さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

ギンスター通信

2017年02月18日 | 現代短歌 文学 文化
一太郎ファイルの復刻。以前、田中槐さんが中心になって出していた「青の会」会報というコピー雑誌があった。それに連載したコラムである。一度ここに全文をのせた。そののち一度引っ込めて、一部字句を直した(2017.4.27)。論旨や内容に大きな変更は加えていない。そののちもう一度引っ込めて、また出すことにした。(2018.3.10)

ギンスター通信


 「もしも、海の中のイソギンチャクが思考するとしたら…。」「どんなに彼は豊かな瞑想をすることだろう。」(ヴァレリー)

 瞑想というのは。そういうとてつもない時間の流れの中にあるものであり。われわれはそうした異次元の境位を仮構しないと、生きられない動物であるのだが。もう一度、さらにまた再び、よく見回して、聞くことを心がけよう。すっかりセメントとアスファルトで固められてしまった川の土手に立ち、自らの身の内に吹き出した毒の気配を、感じ取ろうではないか。本来、「経済活動」には、何の意味もないのだと、感じられる瞬間が、ある。「教育」もそう。無益の花だよ。

 「もしも、海の中のイソギンチャクが神だったら。」「彼はあらゆることを実現し、また実現しないだろう。」
 少なくとも奇跡を行ったりはしないだろうさ。(そう。)妻が哺乳瓶の形を模した糊を買ってきたので、すっかりぼくは不愉快になってしまった。(あってはならない混同だ。)そこに一線が引かれている、そういうところでは、注意深くならなくてはならない。

(四行を削除した)

(注)「ギンスター」は、ドイツ語でエニシダの意。クラカウアーの初期の小説の名でもある。以下は「未来」若手の「青の会」会報に連載した短文。)
                (「zo・zo・rhizome」一九九五年七月号 )


 NHK取材班の「太平洋戦争日本の敗因」が角川文庫になって出始めた。その1「日米開戦勝算なし」の表紙は、手旗を打つ水兵の後ろ姿だ。

近藤芳美の

  果てしなき彼方に向ひて手旗うつ万葉集をうち止まぬかも
  
という著名な一首を思い起こす。

 私の父は少年の海軍兵士だったが、手旗信号の練習でずいぶんいじめられたそうだ。無理な姿勢になった時に、「ハイ、そのままー」と訓練担当の意地悪な上官が指示を出す。
「体でおぼえさせる」ということらしいが、手のこんだ新兵イジメである。
「そのまま三十分」。
全身に玉の汗が流れ、手足はしびれて感覚がなくなる。身動きすれば「一打入魂」などと書かれた「精神棒」でお尻が真っ青になるまで殴られる。もしくはビンタ。「根性をたたき直してやる」ということらしい。

 フィリピンの軍政で、日本国が早くから民衆の支持を失った原因のひとつに、一般の兵隊が道行く人々にやたらと「ビンタ」を張ったことがあった。フィリピンはスペインの植民地だった関係で由緒ある教会が多く存在していたけれども、日本軍が教会を武器の保管場所としたために、米機の爆撃でほとんど破壊された。そう言えば『俘慮記』には印象的な教会の十字架の描写があった。

 フィリピンには「パション」という受難劇の伝統がある。「パション」は口誦の叙事詩で、ラテン語の読めない信者たちは、タガログ語で語られる「パション」によって初めて真にキリストの教えの何たるかを知り得た。神の前での人間の平等。兄弟としての信徒…。そこから近代のフィリピン革命が起ち上がったのだった。(その後ロバート・デ・ニーロ主演の『ミッション』という映画を見たが、イエズス会の歴史には興味深い事実がたくさんある。)
(「zo・zo・rhizome」一九九五年八月号 )


 「しかし私は象を撃ちたくなかった。」(『象を撃つ』オーウェル評論集1.平凡社刊)

個人の善意というものがいかに信用ならないものか、ある状況の中で、個々の人間の判断と行為はどのように変化してゆくものなのか、個人の「意志」の正当性を測ることがどれほど難しいものなのかを、ジョージ・オーウェルの短編小説『象を撃つ』は、鮮やかに描き出している。私がどのように「個人」でありたいと願っても、私が為すことは植民地の支配者であるイギリス人の行為として、かの被支配地の住民たちには受け取られてしまうということ、そして、そのようにしか自分も振る舞えないのだということを痛切に思い知らされる、滑稽で残酷な話の帰結。

 ここには書くことによって縦横に自らの行為を炙り出す<複眼>というものがあり、そういった<複眼>によってしか見破る事のできない政治や国家体制の虚構というものがこの世には存在するのだということを、生涯を通じて実践的に暴露していったのがオーウェルのペンだった。

 『象を撃つ』のように、自分が裸の王様だった事実を認めるということは、真に公正な精神の持ち主でなければかなわないことだ。人間は弱い存在だ。時に身ぶるいしながら耐えなければならないような現実というものは、ある。そこに、事態の本質をしかと見すえた上でオーウェルのような深刻ぶらない軽快な語り口というものはあっていいのだ。
      (「zo・zo・rhizome」一九九五年九月号 )


 赤子というのは微妙なものだ。ちょっと体を冷やすとひゃっくりが出る。暑すぎると汗もが心配だ。おしめが濡れると、火がついたように泣き出す。この「火がついたように」というのは、まったくうまい言い回しだ。アア、という声が聞こえるたびに、びくっとしてベッドの所に飛んで行く。少し泣いたからといって、おしめが変えてあれば問題はない。それなのに大きな目を開けたままなかなか寝ようとしない。今日が十一日目。少し遊んでいるのかもしれない。こんなふうに声を出す度にすぐ抱き上げてあやしてやっているうちに、「抱きぐせがつく」わけか。ミルクを飲んでおなかがいっぱいになると眠ってしまう。ミルクはだいたい三時間おきに与える。眠りに落ちると、笑うような泣くような苦しいような、実に不思議な表情をする。「表情」以前、の不定形な状態にあるのだろう。これからしばらくは、「言語」以前の状態をたっぷり観察することができるにちがいない。

 言語というのは、ひとりひとりにとっての「パンドラの箱」だ。それなのに産まれて初めてひとが発語する瞬間の記録というのは、どうしてあんなにも感動的なのだろう。大江健三郎の小説『新しい人よ目覚めよ』を読んだのは十数年前のことだが、今から思えばあの小説のいちばん素敵な場面は、主人公の少年が重い障害による知の薄暗がりから一歩踏み出して、はじめてことばを口にする瞬間の描写だった。
(「zo・zo・rhizome」一九九五年十月号 )

 5
 知人から『正座』という句集をいただいた。少しめくってみると、なかなか面白い。作者の可知あきをは、序文によると、昭和六十年に脳梗塞にかかって以来、病臥することが多いらしい。でも、句はからっとしていて天与のユーモア、それから俳句という文芸が可能にする自由さにあふれていて、病気の暗さを感じさせない。思わず笑ってしまった句を引く。

  万歩計蝶も遠くへ行きたがる
  年寄が蝌蚪をいぢめてをりにけり
 老醜の一歩手前のちやんちやんこ

どれも老いの風景に取材しながら、痛烈である。「万歩計」をベルトにつけて、やたらと遠くまで歩くのを誇りにしたがるのは、健康を気づかう人々にありがちなことである。私の母が現にそうだ。蝌蚪と見るとやたらに嫌って塩だの石、火まで持ち出したりするのは、農業の経験のある年寄なら当然の反応かもしれないが、これはおそらく自分の盆栽を庭に並べて賞でているといった類の人物の、いじいじとした思い込みの激しい蝌蚪つぶしなのである。老醜のちゃんちゃんこを着るのは誰でもよいが、こう言った瞬間、あからさまになるのは自らの老醜である。

  仰臥位は天への正座翁の忌
  冬麗のぬすつと橋に鞄置き

ことんと胸のうちに落ちるようにわかる句がある。この二句、並んでいる。「鞄置き」に納得できるのがうれしい。 (「zo・zo・rhizome」一九九五年十一月号 )


 「青の会」のシンポジウムのあと二次会に出て思ったことは、「未来」には実に多くの若者がいて、短歌に取り組もうとしているということだった。ある結社には<若手の会>というのがあって、そこにも多くの二十代歌人が集っているのを知って、うらやましいことだと思っていたのだが、とんでもない、「未来」の方が層が厚い。これは大変なことだ。この若いひとたちのエネルギーがひとつに結びつけば、大きな文学運動ができる。「青の会」も「ぞ・ぞ・りぞーむ」も、揺るがせにならない潜勢力を持っていると言うべきだ。何が起きるのだろう。何も起こらないのかもしれない。どちらでもよい。可能性は大だ、ということである。

 今度の会では、裏方にまわってくれたカメラ担当のUさんのような人の存在を忘れることはできない。疲れてしまってもうやりたくないという人もいるかもしれない。でも、収穫は大きかった。お互いの顔を見ることができたのである。「わくわくリゾーム」は、二度目もやるべきだと思う。単なる勉強会かもしれない。でも、それでいい。
 ※以下、二行削除した。
                 (「zo・zo・rhizome」一九九六年一月号 )


 戦後詩人たちの「短歌嫌い」というのは、戦後ずっと誇らしげに語られ続けた神話のようなもので、短歌は戦後詩人たちからずっと差別され屈折したかたちで語られ続けて来た。のっけから、近代的な精神を持って生きようとする者にとって折口信夫の文章くらい耐え難いものはない、と嫌厭の情をあらわにしつつ『折口信夫論』を書き出す松浦寿輝もその例外ではないのだが、折口を論じながらいつしかジャック・デリダのアントナン・アルトー論まで引っ張り出して来るあたり、手に汗握らせるおもしろさである。おかげさまで、ぼくなどは折口を経由してはじめてデリダの読み方を教えてもらったような始末だ。大嘗祭の時に天皇のところに降りて来る神が男性なのか女性なのか、ずっとぼくは不審に思って来た。松浦によれば、それは明確に男神である。

「大嘗祭の『ミタマフリ』において天皇が神を迎える、ちょうどそれと同様に、日本語のエクリチュールにおいては、仮名が漢字を迎えるのだ、それによって言葉が『発生』するのだと言えはしまいか。」このアナロジーはおもしろすぎるし暴論のようでありながら、実に大きなことを指示している。詩を作る者にとっての真理、への言及なのである。

 ここでふと、『土地よ、痛みを負え』の文体の全体としての雄々しさの意味を考える。小泉千樫的なしなやかな短歌の文体に対して、『土地よ、痛みを負え』は松浦の文脈での「漢字」に当たるのではないか。短歌が<近代>を受肉した痛み、という読みの方向において。
(「zo・zo・rhizome」一九九六年二月号 )


 今日は地下鉄サリン事件の井上嘉浩被告の公判の一回めだ。井上被告は極刑を免れないだろうと思う。むごいことをやってしまったものだ。教祖麻原をみんなが死刑にしたがっているが、無理もない。ぼくとて許せないと思うし、憎悪も覚えるのだが、さて、彼を死刑にして気がすめばそれでいいのか。オウムの殺意を醸成したのは、バブル経済のようなものを引き起こした欲まみれの日本社会そのものである。人々は、彼を殺して鏡に映った醜い自分の顔を忘れようとしているのではないか。さらに、オウム事件の被告たちの死刑を言いたてる大声によって、死刑廃止論の小さな火がかき消されようとしている。

 同じ日の新聞は、HIV訴訟の和解を原告団が受け入れたことを報じている。この訴訟を通じて、印象的な若者たちが登場した。中でも原告の一人川田龍平さんの顔は忘れられない。あのパセティックでひたむきな表情には、胸がしめつけられる。

 二人の若者が、ずいぶんと異なった人生を歩んでいるものだと思う。ただ、ひとつだけ共通している点がある。それは、二人とも絶望に直面しているだろうことである。その上で、一方には希望があり、一方にはあまりそれがなさそうだということが、何となくわかる。希望がないということに、同情するひとは少ないと思うが、どうなのか。希望がない井上被告に近いということが、自分の中にはないのかどうか。
 省みて、自分が希望ということばをこのごろ使ったことがないのに気がつくのである。
(「zo・zo・rhizome」一九九六年四月号 )


 たとえば、一行めに、こう書くとする。

眠らない子供

このあとに、

眠らない子供
が眠らない子供の内側で
眠らない子供でない
  などということは たぶん ない

などと書くと、自由詩らしきものになる。ここで、

蓑虫や風といっしょに眠らない子供
眠らない子供がいて満開の桜

なんて感じにすると俳句らしきものになる。

めでたさや吾子の放屁に年新た

程度にくだくと、川柳めいて来る。有季定型だと、

眠らない子供いく人銀河冴ゆ

みたいなやや耽美的な世界にもなる。短歌となると、こう
は行かない。

 一夜さを眠らぬ吾子に背をむけて妻は嗚咽をこらへるごとし

こうして作ってみたものの、何だか古い。

眠らない子供のための王国でキャンディーを売るモンロー、ジャクリーン

とりあえず面白ければいいんだけれども、弄物喪志という言葉もある…。お茶を濁してごめんなさい。 (「zo・zo・rhizome」一九九六年五月号 )


      
   極私的歌枕       
     
 先日、半年かかってワープロで書きためた何十頁かの原稿を、保存のミスですべて消去してしまったのに気が付いた。ディスクの中をいろいろ探してみたけれども、途中の草稿も見当たらない。今日は四月一日で、花曇りの空はうす暗く、二歳半の一人娘がベランダの前の三坪ほどの庭で、犬の縫いぐるみを空に放り上げては、アハハハ、アハハハハハという愚かしい笑い声をたてているばかり。肝油ドロップを一粒口に含む。何十年も前から、同じ少年の顔が、この容れ物の缶には印刷してあったような気がする。手首の腱鞘炎対策で購入したものだ。

 家に入って来た娘が、石油ファンヒーターの蓋を耳障りな音をたてて持ち上げては放したりして気を引こうとしている。次に空の哺乳瓶を足元に転がし、相手にしないでいると、それをまた拾って、食べかけのまま置いてあったバナナを取りに向こうに行き、また戻って来てこちらを見ながらバナナをかじっているのを、さらに相手にしないでいると、部屋を出て行った。そうすると今度は、妻がやって来て、田園都市線を使って東京方面まで出るとしたら大手町にはどういう行き方がいいと思うか、と聞くから自分で調べたらどう、と突き放すように言うとこれも部屋を出て行く。

 手洗いモードにしてセーター類を洗っている洗濯機の、間を置いて動くモーターの規則的な音が響いている。子供は一日中何かをしゃべり続けている。ばい菌マン。新幹線。赤い靴。ミニーちゃん。おんも行こう。いちごケーキ。キティちゃん。インディーちゃん。わんちゃん。うんちした。あんぱんまん。お帽子かぶってる。ねんねしなさい。らっしゃい、いらっしゃい。痛い、たい。

 ぼくの歌枕は、この四畳半の書斎なのかもしれない。七本の本棚と三つの小机。千数百冊の本。子供に壊されたカセットデッキ。足元に散乱するゴミ。バスケットボール。座布団二枚。積み上げられたカセットテープ。他の本の土台と化した百科事典。段ボール箱。散らばった小銭。重ねられた手紙と資料とプリント。あちこちにわけて置かれている文房具。それらに時々子供がぶつかって突き崩すために雪崩が起きる。一冊の本を捜しているうちに時間がたち、あきらめて翌日にふっと目を上げるとそこの書架に横積みにされていたりする。からすが阿呆阿呆とさっきから鳴いている。消えたディスクの記憶のことをいつまでも残念がっていても仕方がないだろう。

 …思い出した。桜ヶ丘の境川べりから建設会社の広い工具置き場がある敷地の方に上がって行く畑道の途中に、一本の桜の木があって、ここをランニングのコースとして走ったためにたまたま目にした木なのだが、疲労困憊して小暗い坂を走りのぼり、視線を上に向けると白々とした花が青い空いっぱいに輝いて咲いているのを救いのように感じながら、残りの力をふりしぼって走り続けた時の至福の思いは忘れ難いものだった。これをぼくの四月の歌枕としておこう。

眩みつつ見上げし花はマラソンののち幾年も身内にそよぐ

(「zo・zo・rhizome」一九九?年?月号 )



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