さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

同人誌「ベラン」vol.1

2017年07月01日 | 現代短歌 文学 文化
久しぶりに家にいる土曜日、朝起きて新聞に目を通してから何をしていたのか覚えがない。昼を食べてから、うとうと寝てしまったらしい。梅雨の間のどんよりとくもる空さながら、体が重い。夕方になって生協に行って、新玉ねぎや小松菜や、大きくて緑色のきれいなレタスなどを買って戻るうちに、少し体が動くようになった。

 戻ったら郵便物が何通か届いていた。角田純さんが知人と三人で同人誌を出し始めた。「ベラン」という、版画用紙に包まれた変形版の詩歌雑誌だ。地味だけれど、おしゃれ。手に取ってうれしい。

 ヴィオールの音の内に
 ときおり不愉快な摩擦音を孕ませながら
 双子の喧嘩みたいな、影との格闘は続く 

     米田満千子の詩「弓を引く」より

これは、楽器を弾く詩の一部である。

「……嘗ては陸側と海側の境界として確たる存在感を示していた防波堤が、その一帯の埋め立てにともない、何故かその内の一部分だけがコンクリートの塊として壁のごとく取り残されてしまった。風化して粗い灰色の地肌を晒したままの無用の塊は、しかし、時と共に次第にあたりの風景に同化しつつあつて、その中ほどのところには、コンクリートに刻まれた階段が残っていて、そのステップを虚空へと捧げている。」

     角田純の散文詩「モンピ海岸」より

このあとに歌が八首つづく。そのうちの一首。

蒼みゆく水無瀬島を置きて夕海は波もすずろに時すぎにけり
         角田 純

この「水無瀬島」には、「みなせ」と振り仮名がふられていて、「みなせをおきて」と読む。歌枕でなくて、現実の「水無瀬島」に作者は常日頃から親しむ機会を持っているのだ。歌と現実の境にいつでもシフトしてしまえるという、このできすぎた環境に、角田さんのような現実と幻視を重ねた歌を作る精神的な志向を持った作者が住んでいるというのは、天のいたずらか。

アンダンテ カンタービレ 足跡へ波が寄せ来る 児の足跡に
         松本秀一「bird」より

松本さんは版画家で、この雑誌の制作・デザインに深くかかわっているようだ。角田さんは、何ともうらやましい知人をお持ちである。以上、刊行への祝辞としたい。



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