日本酒エリアN(庶民の酒飲みのブログ)gooブログ版  *生酛が生�瞼と表示されます

新潟淡麗辛口の蔵の人々と”庶民の酒飲み”の間で過ごした長い年月
(昭和五十年代~現在)を書き続けているブログです。

鶴の友について--NO6

2006-08-05 22:23:09 | 鶴の友について

新潟市周辺以外では、きわめて手に入りにくい酒の鶴の友のこと私は書き続けています。 いったい何故?と思う人も多いでしょう。”飲めない酒”のこと書かれてもね-----と反発される人もいるでしょう。 その理由は、1000~2000人の鶴の友の本当の価値の分かる、新潟市周辺以外の”庶民の酒飲み”が、増えて欲しいからです。

蔵も住居も”文化財”の鶴の友ですが、30年前に比べ約半分強に醸造石数が低下しているため、実は造るつもりなら、現在の数量の40~50%増やすことが可能なのです。その増える数量は、晩酌で飲む”庶民の酒飲み”1000~2000人に相当します。たぶん現状で、50%増やしても売り先を選ばなければ、すぐに完売すると思われますが樋木社長はそうゆう売り方は絶対にしませんし、簡単に増産もしません。

登場以来、接客を必要としない”効率”の代名詞だったコンビニエンスストアは、現在皮肉なことに、生き残りを賭けて”非効率”を追求しています。その”非効率”は、御用聞きだったりアイテムのある部分を”地元御用達”の商品で占めたり、無駄なスペースを意図的に多きく取ったりと各社さまざまですが、その狙いは”コミニケーション”にあります。

利用者に喜んでもらったり楽しんでもらったりできる”非効率”をサービスとして提供し、利用者との”交流”を武器にして、時間延長や地域密着の品揃えを志向し始めている、スーパー業界や他のコンビニとの激しい流通戦争の中で、”生き残り”を図ろうとしているのです。

では酒販店はどうでしょうか? 

地域密着や消費者との”コミニケーション”は本来は得意技であり、”酒の面白さと楽しさ”を一番伝えられる立場にありながら、長い間免許制度に守られてきたせいか、ごく一部の店を除くとその平均点は、”マニュアルで対応する”大手コンビに比べても低いと言わざるを得ない状況です。

この30年間、酒販店の消費者に対する”コミニケーション”の能力は、低下し続けています。販売環境の悪化、店主の高齢化、後継者の問題等の理解できる要因があったのは事実ですが、免許制度に守られてきた長い時間の間に、消費者に”買っていただいている”という単純な事実を忘れてきたことに、酒販店の”コミニケーション”の能力がここまで低下した最大の原因があります。

その延長上に待っているのは、消費者にとって必要の無い店は消費者によって淘汰されるという、厳しい現実です。

「一生懸命やっているのにお客さんが来てくれない」と嘆く前に、自分の店がお客さんが来てくれる店なのか、振り返るべきです。駐車スペースも無い、店も明るくもなく清潔ともいえない、冷蔵庫(ウォークイン)等の品質管理の設備も十分ではない-----このような”ないない尽くし”では、消費者が足を運んでくれるはずがありません。
 それは、酒の知識や店主の人柄以前の問題です。

では地酒(地方銘酒)専門店はどうでしょうか?

残念ながら、消費者に対する”コミニケーション”の能力は、現在の大手コンビニに比べても、大幅に低いと言わざるを得ない状況です。なぜなら、きわめて少ない例外的な店を除く彼らのほとんどが、もともと”庶民の酒飲み”を相手にしていないからです。

業務店と呼ばれる料飲店が彼らの得意先だからです。料飲店80~90%、酒マニアと呼ばれるごく一部の消費者が10~20%-----たぶんこれが地酒専門店の標準的な売上構成比だろうと思われます。

たとえば〆張鶴 純 のように、その名前と酒質が有名なわりにその数量が少ない酒は、たとえその店が正規取扱店であっても、最優先----料飲店、申し訳程度----酒マニア、それゆえ”庶民の酒飲み”は足を運んでも買えないのです。

地酒専門店の草分けの人達は、個性が強い人がほとんどで、私自身も「困ったなぁ」と思うような人もいましたが、程度の差こそあれ酒に対する信念と愛情を持っていました。

30年前この人達は、「月桂冠レベルだけが酒だと消費者に思われたら、酒はいずれ滅びる」----という強い危機感と、「本当の酒を守り、消費者に知らしめなければならない」という強い信念を持っていたのです。( 30年前月桂冠に代表されるNBの酒は、冷静に客観的に見ても、かなりひどいものでした。”清酒風アルコール飲料”と言われてもしかたがないレベルでした。しかし、その後の努力で酒質は向上し、現在では地酒の平均レベルよりはるかに高い水準にあります)

この人達は商売人でもあったのですが、鉄道ファンのような”オタク”の要素も少なからずあったと思います。
今消費者が目にする地酒(地方銘酒)専門店の多くは、この人達の長い間の努力が実りようやく”商売”になり始めたころ、”商売上の戦術”として、”信念や愛情は見習わず”にそのスタイルだけをコピーした店がほとんどなのです。
ゆえに彼らは、「聞いた事の無い知らない酒だが、あんたがそこまで言うなら飲んでみよう」----と言ってくれ買ってくれた”庶民の酒飲み”に、感謝の気持ちを持つことはないのです。

昭和50年代前半、北関東の地方都市にあった私の店のお客様にとっては、八海山、〆張鶴も ”聞いたことも見たことも無い知らない酒”だったのです-----それゆえ、私を信じて買っていだだいた最初の1本のありがたさを、私は今でも忘れていません。

しかし、平成になる頃に、地酒(地方銘酒)専門店に参入してきた人々にとっては、八海山、〆張鶴は希少性に価値のある、”庶民の酒飲み”には売るつもりの無い存在になっていました。

”庶民の酒飲み”から見て一番遠い店----残念ながら、それが地酒(地方銘酒)専門店の現実なのです。彼らは、免許制度が無くなっても一般酒販店とは違うので、自分達は”生き残れる”と思っているようですが、はたしてそうでしょうか。
 本来酒が持つ人と人との”コミニケーション”の広がりと可能性を、”商売上の戦術”のため矮小化してしまった彼らが、むしろ一般酒販店より先にエンドユーザーの消費者によって淘汰されてしまうと、私には感じられてなりません。

”元酒販店”で、現在”ごく普通の会社員”である私の周囲には、数十人規模(私が直接知らない人も含めると100人は超えている)の酒のファンである、”庶民の酒飲み”がいます。
昨年はとうとう350kgを超えて配ってしまった、”酒粕のファン”を加えるとその人数はもっと増えます。

”あいつは馬鹿だけど、馬鹿なりに面白いところがある”、”いつも大した人間ではないと思うんだけど、おまえの話を聞いてると、なぜか酒が飲みたくなるんだよなぁ”-----褒め言葉はまったく無いのですが、おかしなことに、彼らがまた”酒のファンの拡大再生産”をしてしまうのです。その”勝手な連中の声”に押されて、地元の小さな蔵の”県民が誇りを持って飲める酒”の開発プロジェクトに”手弁当”で関わったり、配る酒粕が350kgになってしまったり、「20年振りに、〆張の純米の樽酒がどうしても飲みたい」との”希望の実現”に走り回ったり-----どう考えてみても、もうすでに”サラリーマンのボランティア活動”の範囲を超えています。

”勝手な連中の声”に振り回されてきたこの十数年ですが、彼らの”楽しそうな様子”や”嬉しそうに喜ぶ顔”を見続けておかげで、”樋木社長の信念”が私なりに理解できたような気がしています。

「酒は面白くて楽しいもの」、「酒は庶民の楽しみ」、「酒を造る人間も売る人間も、飲む人の立場に立たなければならない」-----この”樋木社長の信念”を、もし酒販店に復帰したときの私は、今やっていることをそのままやれば、私なりに実践できると思っています。
変わる部分があるとすると、フルタイムでやれるので、私が交流する酒のファンが”数十人”から”数百人”になるだろうと思われることだけです。

もし、私が酒販店に復帰したら、数百人は晩酌で飲める”幸せな庶民の酒飲み”が増えると思われます。
あなたが私に、直接にも間接的にも、接触できない地域の方でも私の周囲にいる、”幸せな庶民の酒飲み”になることはできます。
NO3に書いた新潟市の3軒のお店を訪ね話を聞き、鶴の友を実際に味わってください。
そうすれば、あなたは「鶴の友の価値が本当に分かる幸せな庶民の酒飲み」にたどり着ける”切符”を、手にすることができます。

久保田が発売された直後、私は当時の親しい酒販店の仲間に、ひとつの”予言”をしました。その”予言”は、周囲のほとんどの人達から批判され否定もされましたが、10年もたたないうちに批判した人達から、「Nさんの予想のとうりになってしまった」と言われるようになりました。 
この”予言”は、私自身が当たって欲しくないと思う気持を少なからず持ちながらも、周囲の人達に発した”警告”でした。しかし、”予言”は当たってしまい、”警告”は”警告”としては機能しませんでした。
周囲の人達は、”予言”の正しさを認めても、”警告”された危険を危険と思わず、むしろその状況に争うように進んで”適応”し、現在の地酒(地方銘酒)専門店へとギヤをトップに入れ続けていたからです。

私が”予言”をすることが出来たのは、樋木社長のおかげでした。
樋木社長に出会う前の私は、新潟淡麗辛口の”拡大戦略”に何の疑問も持っていませんでした。
”拡大戦略”がいいことであり、マイナスは何もない-----そう思い込んでいました。樋木社長のお話は、私にカルチャーショックをもたらしましたが、何回も伺ううちにそれまでの私の考えと行動を破壊しかねないと感じながらも、否定できないあるいは否定してはいけない”視点”を、私に与えてくれたのです。

昭和50年代前半に、ひょんなことから八海山に行って以来、新潟淡麗辛口で突っ走ってきた私は、苦戦しながらも八海山、〆張鶴の知名度が上がってきたこともあって、ようやくこのころ”やれる”と感じていました。
それゆえ樋木社長の存在がなければ、私もギヤを抜くことができなかったはずです。

私は、「鶴の友の価値が本当に分かる幸せな庶民の酒飲み」が増えてほしいと切実に願っています。
そうでなければ、困難に耐えての”鶴の友の増産”はありえないし、今中2の私の息子が”幸せな庶民の酒飲み”になれる保障がないからです。

私は大変勝手な人間です。
樋木酒造が、鶴の友を造り続ける負担の大きさを、他の人達よりも知りながら、それでも造り続けてもらえることを強く希望しています。
希望が強いる負担の大きさに比べ、自分ができることのあまりの小ささに情けない思いがありますが、それでも私は鶴の友に存在し続けて欲しいのです。
なぜなら、エンドユーザーの消費者のことを考え、犠牲を払ってきた樋木酒造のような得がたい蔵を無くしてしまったら、私達消費者に酒を語る資格が無くなると強く感じているからです。ゆえに私は1000~2000人の鶴の友の本当の価値の分かる、”庶民の酒飲み”を造りたいと思いこのブログを書いているのです。