(撮影が下手でピンボケですが國権の蔵の中です)
30年近く、ときどきですが会津田島に来ていた私ですが、その途中も含めて道路にまったく雪の無い2月の会津田島は初めての経験でした。
旧型で古くはありますがテルさんの息子の光っちゃんのフラット6のレガシーに、履かせたスタッドレスタイヤが”活躍”したのは蔵の駐車場のスペースだけだったのです。
日本酒雑感--NO9に書いた”予定どうり”に、「吟醸会」のベース基地の東屋のテルさんのご長男の光っちゃんと2月4日に國権酒造を訪ねました。
”予定外”だったのは、光っちゃんの友達のG力発電所に勤めるY山君が急遽参加することになったのと、途中の渋滞で大遅刻をして國権酒造の皆さんにご心配とご迷惑をおかけしたことです。
残念ながら仕込は終わっていましたが、蔵の中を細井信浩専務が時間をかけて丁寧に案内してくれました。
写真はピンボケになってしまったものが多くあまり使えるものがありませんが、甑の大きさや麹ぶたの数で小さいが丁寧な造りを、ほんの少しでもイメージしてもらえれば助かります。
”仕事”で酒を扱っている光っちゃんもY山君も、”蔵の中”を見るのは初めてでした。
久しぶりに仕込みの時期に会津田島に来た私の目に、30年前と比べて変わったと感じられたのは、細井専務のお子さんの安全のために風格のある座敷にある囲炉裏に”蓋”がされていたことだけでした。
玄関も、入ってすぐの左の座敷もあまり変わってなく、一番時間の経過を感じたのは細井社長の頭髪と髭が”風格のある白”に変わっていたことです。
仕事でもプライベートでも酒蔵にはまったく縁のないY山君にとって、”蔵の景色”のすべてが珍しく興味を強く惹かれたようでした。
その座敷の隣にある釜場があり小さめの和釜と甑を説明付きで見た後で、ふなぐちの”名前の由来”になったふね、やぶたを見て(ちょうどやぶたの粕はがしをしていました)酛場(酒母室)へ進んだところ、仕込み容器(壷代)に暖気樽が入っており、その隣の壷代では汲掛け用の円筒が入れられていました。
「これから汲掛けという作業をしますが、あまり熱心に見られると作業をする蔵人が”あがってしまって”作業ができなくなりますので、ほどほどに見てください」と細井専務の冗談も出始め、光っちゃんもY君も”固さ”がほぐれてきました。
「麹室を開けられるか親方(杜氏)に聞いてきますから-------」と細井専務は言ってくれたのですが、大遅刻してなければ麹の引き込みも出麹もふつうに見れたのですから、「次の機会もありますから------」と”辞退”しました。
そして醪の入った仕込みタンクを見させてもらうため、梯子を上りタンクの前に通された足場に乗り醪の表面を見たうえで、細井専務にひしゃくですくってもらった醪の味を見させてもらって「蔵見学の時間」は無事終了しました。
光っちゃん達に蔵の見学の最中、細井専務は細かい説明は省いていましたし、私も必要最低限しか発言はしませんでした。
プライベートでは日本酒に”縁と興味”が無かった35歳の光っちゃん達に、”見学している現場”で細かいことを説明しても分からないからです。
細かい知識よりも、はるかな”ご先祖様”の時代から伝えられてきた、日本人しかできない”自然の摂理”を肌の感覚で感じ取り取り入れてきた”芸の細かさ”が、「その主成分がでんぷんである米」から酒を造りだすことを可能にしていることを、自分の目で見てほんの少しでも感じてもらえればいい--------私自身もそう思っていたからです。
”見たこと”の説明なら後でいくらでもできますが、”見てないこと”の説明は説明する方も説明される方も、私の実体験では、「説明し難いし理解し難い」のです。
その後座敷にもどり細井専務を囲んで話をしました。
光っちゃんもY山君も、自分達より幾分若いが”ほぼ同世代”の細井専務が相手だったせいか、だんだん”本音の会話”が出始めたようでした。
「こんな機会がなかったら知ることは無かったと思いますが、日本酒ってこんなに興味深くて面白いものだったんですね-------。今日は来させてもらって本当に良かった」------というY山君の発言に続いて光っちゃんも、「またぜひ来たいなぁ、そしてそときは仕込みを最初から見たいなぁ」という”本音の発言”を皮切りに、話が弾み始めたのです。
「皆さんはあまり日本酒は飲まれませんか」という細井専務の”質問”に対してY山君は、
「友達や会社の仲間とは居酒屋で飲むことが多いのですが、その際にはビールかチューハイがほとんどで日本酒はあまり頼まないし、頼みにくい”雰囲気”があるかなぁ-----。それに居酒屋のメニューに日本酒のことが書いてあってもその説明自体がよく分からないし、その説明自体が当たっているのかどうかも自分達には分からないので”パス”してしまうことが多いかも知れません」との正直な”返答”に、細井専務はきわめて軽いが”ショック”を感じたようでした。
日本酒と和食を楽しみ語る、手前味噌ながら優れた”コミュニティ”と私が思える吟醸会の主要メンバーの光っちゃんですら、外で友達と飲むときは日本酒を飲む機会が少ない------知識、データとして分かっていた「日本酒は若い需要層に恐ろしいほど”足場”を持っていない」ことを、直接素直に率直に”聞かされる”局面で、平静でいられるほうがむしろ不自然です。
「能、狂言そして歌舞伎は日本の伝統文化だと自分自身も思うが、私自身にとっても身近で日常的な存在とは思えない。 しかしY山君も、能や狂言の俳優に比べ歌舞伎の俳優のことは知っているよね。 それは歌舞伎俳優の主だった人達が、歌舞伎だけではなくテレビドラマや映画、舞台に進出して時代劇だけではなく現代劇やミュージカルにまで出演していて見聞きする機会が多いからだよね」------私はこの発言に続いて以下のような説明を始めました。
歌舞伎の俳優は、自分達の”芸”がいくら伝統芸、文化だろうが、その芸が庶民に理解され支持されたなければ成立もしなければ存続もしないことを、肌の感覚で実感しているように私には思える。
”身内”だけで”身内”にしか分からない見方で、「立派だ、凄い」と言っていても”身内”以外の庶民にとっては、「何も分からないし、分かりたいとも思わない」--------歌舞伎の俳優は、本業の歌舞伎以外の外のフィールドでも十二分に通用することを”実証”し続けていることで、歌舞伎が”過去の遺物”ではなく現代でも「生き続けている”庶民の楽しみ”」であることを”身内”以外の大多数を占める庶民に証明しているからこそ、庶民にとって能や狂言に比べはるかに近い存在になっている。
日本酒は歌舞伎以上に、庶民(の酒飲み)に支えられることが致命的なほど重要なのに”歌舞伎の世界”に比べ、その面白さと楽しさを伝える努力ははるかに少なくきわめて小さいと、私には思えてならないのです。
そしてそのことが全アルコール飲料のシェアで、焼酎の11.4%を下回る7.6%という日本酒の現状をもたらしているとも思えてならないのです。
日本酒の面白さと楽しさを知らしめることは、「酒造好適米は、酵母は、生酛は、大吟醸は、純米は」------ということだけを告知することではないと私個人は感じています。
何故ならばそれは身内の、身内にしか分からない”見方”でしかなく、むしろその”見方”を押し付けることは小さなプラスを生んでも大きなマイナスをエンドユーザーの消費者に造りだしているように、私個人には感じられてならないからです。
私は、以前に比べればかなり少なくなりましたが、少し興味はあるが日本酒を飲む機会があまりないという人達のために「ミニ試飲会」をすることが、ごくたまにあります。
その場合早福さんの”越くにの五峰”を利用させていただいて、新潟淡麗辛口と一言で言われる五銘柄をある順番にそって飲んでもらい、そして最初にもどる------という単純で簡単な”試飲方法”しかおこないません。
きわめてシンプルで”言葉”を必要としない試飲なのですが、ほとんどの人が「日本酒というものが銘柄によってこんなに味の差があるとは思わなかった。 こんな機会がなければ分からなかったけど、面白いものなんですね-----」との感想を持つようようです。
ご夫婦の間でも味の好みが分かれ、アルコールに対する好みは同じだと思っていたことを大きく”裏切られた”こと、でむしろ「面白い」と日本酒に興味と関心を持ってもらえることが多いのです。
面白いという庶民の酒飲みの反応は、
- 銘柄によって味の差がきわめて大きいがスタートで
- なぜそうなのか→→→造られ方が違うから
- どう造られ方が違うのか→→→原料米や精米も含む技術的な違いがあるから
- なぜ技術的な違いがあるのか→→→蔵元や杜氏が何を大切にし何にこだわるかの違いがでてくるから
- ここまできて初めて酒造好適米、酵母、大吟醸、純米の説明が必要になります。
もし私が、日本酒について何の知識も経験もない人間で、1~4をはぶいて5の説明を押し付けられたら、「難しそうだしめんどくさそうだから、とりあえずパスしよう」と思ったはずです。
Y山君の世代の人達にっとっては、これがごく普通の日本酒に対する”標準的な対応”だと思われるのです。
細井専務はそのことを十分認識されていると思われますが、残念ながら、酒造・酒販の”日本酒業界”全体の認識は低いと言わざるを得ないのが現状だと私は感じています。
”日本酒業界”の認識とエンドユーザーの消費者の意識との乖離が、日本酒の現在の状況を生んでいると私には思われてならないのです。
その乖離をきちんと認識したうえでないと、他のアルコール商品に対する”日本酒の反攻”は成立しないのではないか-------私個人にはそう思えてならないのです。
「酒は面白くて楽しいもの」、「酒は庶民の楽しみ」---------以前に何回も書いていますので(鶴の友についてシリーズ)詳しくは述べませんが、”この言葉”は昭和五十年代前半、鶴の友の樋木尚一郎蔵元に初めてお会いしたときに伺ったものです。
”その言葉”は、おそまつで能天気で何も分からなかった私であっても、強い印象が残り忘れられないものでした。
昭和五十年代前半から、早福岩男さんに接しさせていただきながら〆張鶴、八海山、千代の光、久保田、伊藤勝次杜氏の生酛を取り扱いさせていただいた月日と、平成3年以降のエンドユーザーの一人として早福岩男さん、〆張鶴、千代の光、そして鶴の友の樋木尚一郎蔵元に向き合ってきた月日のおかげで、今は私なりに”その言葉”の意味が理解できたように思うのです。
日本酒そのものの将来には私個人は楽観しています。
日本酒の面白さと楽しさ、伝統に裏付けられた日本人のDNAに刻み込まれた文化であり、多彩な和食を1本で受け止められる幅と奥の深さ--------現在でもエンドユーザーの消費者に日本酒の入り口に立ってもらいドア開けてもらえば、強い関心と興味を伴って認知してもらえると私は信じられるからです。
しかし現在の蔵や酒販店の将来には、私は、楽観的判断を持つことはできません。
個々の蔵や酒販店が生き残れるかは、個々の蔵や酒販店がどれだけエンドユーザーの消費者に日本酒の入り口に立ってもらえるのか、ドアを開いて中に入ってもらえるかにかかっているからです--------蔵や酒販店とエンドユーザーの消費者の意識の乖離という事実への認識が低いと感じざるを得ないため楽観的にはなれないのです。
私個人は、エンドユーザーの消費者に日本酒のドアを開いて中に入ってもらうためには、酒そのものというハード以外に、前掲の1~4の”ソフト的なもの”が必要と思っていますが、ハードとしての酒には”切れ”が絶対に必要だとも思っています。
「Nさん、私は日本酒のことは良くは知らないのですがNさんの言われる”切れ”とは具体的にはどういうことなのですか?」------私の”説明”の途中でY山君から質問がありました。
「Y山君は蔵に一緒に来て、細井専務の丁寧で分かりやすい説明付きで蔵の中を見せてもらい醪の味も見るという経験をしたから、たぶん日本酒の面白さと楽しさと奥の深さを感じてもらえたと思うけど、残念ながらこんな体験ができるのはエンドユーザーの消費者の中のごく一部の人に限られている。
その人達以外の大多数の人が感じる日本酒の印象は、日本酒の酒質がすべてになる。
日本酒以外のアルコール商品は、蒸留酒だけではなく醸造酒のビール、ビール系飲料まで淡麗とかクリアとかドライとか切れとか宣伝しているよね。 淡麗辛口は本来新潟淡麗辛口が”世間に広めた”もので、アサヒスーパードライはそのコンセプトを”後追い”したものだったんだ」
新潟淡麗辛口は、”辛口”にウエイトがあるののではなく、ライト&ドライがその本質だと私は感じてきました。
そして新潟淡麗辛口は、日本酒本来のやわらかさやまるみを、食生活がライト&ドライに変化していた(私自身を含む)昭和五十年代の若い需要層に認知され理解してもらうために、どうしても必要な”酒質”だったのです。
しかし新潟淡麗辛口が”全盛期”を迎えた平成3年ころから、一部有名銘柄の”売られ方”や拡大戦略の弊害と言える酒質の低下、本末転倒の行き過ぎた淡麗化の諸原因が”反動”を生み日本酒全体が「真逆の方向」へ動くことになってしまった。
「ビールは言うに及ばず焼酎ですら、軽くて切れが良い淡麗でクリアという方向へ全力で動いているときに日本酒は業界全体で逆の方向に動き、ライト&ドライの食生活が当たり前のY山君達の世代にその存在感も小さく馴染みの薄いものになってしまう結果を生んでいる。
例えて言うと、歌舞伎の俳優がTVや映画、現代劇の舞台に出演するのは、歌舞伎もそれを演じる自分達もけして”過去の遺物”でもなければ現代でも”評価されるべき価値”がある--------それを歌舞伎を知らない層や若い世代に証明するために、TVや映画や舞台でも歌舞伎以外の俳優とあえて”戦う”ことで実証してきたように私には思える。
日本酒も歌舞伎の俳優と同じように他のアルコール商品と”戦う”ことができなければ、他の俳優にはできない歌舞伎にしかない良さを理解してもらえないように、日本酒しか持っていない素晴らしさはとうてい若い層には分かってもらえない。
”切れ”において他のアルコール商品と”戦えなければ”、若い世代に日本酒の入り口には立ってもらえず、ましてやドアを開けて中に入ってもらうことなど不可能ではないのかと私個人は感じているんだけど、Y山君この説明で分かった?」
反応はY山君ではなく細井専務から”直球”で帰ってきました。
「たとえNさんが言うことが仮に正しいとしても、私の蔵では〆張鶴、千代の光や鶴の友のような酒は造れないし、新潟淡麗辛口は勉強になる点が多いがそれと同じような酒質を造ったとしても絶対に”本家”に及ばないし、新潟淡麗辛口だけが素晴らしいとは私は思っていない」
細井専務の反応はしごく当然なものでした。もちろん私もそのとうりだと思っていますので、
「もちろん細井専務の言われるとうりです。新潟淡麗辛口がすべてはないし、その新潟淡麗辛口の蔵も現在でもその酒質に高い評価のある蔵はきわめて少数になっています。
細井専務や光っちゃんの世代はもちろんだと思うのですが、私達ですら酒に限らず食べ物ですら味が濃すぎたり、くどくていつまでも舌に残って消えないものはあまり食べなくなっている。 ビールやビール系でも飲まれているのは、ラベルに淡麗とかドライとかクリアとか書いてあるものがシェアの多くを占めています。 日本酒は蒸留酒ではありませんから蒸留酒には無いやわらかでまるい味がなければならないと私も痛感していますが、それでも重くてくどくて切れが悪ければ従来の日本酒のファン層以外には飲んでもらえないのも”現実”だと私は考えています。 あくまで私個人の考えですが、”切れ”を良くする方向で造り切れが向上しそのかわりに味の幅が少し狭まったとしても、”切れが向上することによってより多くの人に飲んでもらえる可能性が拡大するし、さらに”切れる”ことによってそのやわらかさとまるみに”正当な評価”をしてもらえるのでなないか----------そう思っているだけなのです」
話はさらに続き自分自身にとっても興味深い話を細井専務から伺ったのですが、中途半端な終わり方で申し訳ないのですが、またまた長くなりそうですので続きは國権について--NO4に書きたいと思います。