今回は少し視点を変え、鶴の友・樋木尚一郎社長の”肉声”が聞こえてくるような文章とその文章の”私なりの解釈”を、誤解を恐れずに書いてみようと思います。
酒とは何か
人は酒とどのように
関わるべきか
『 酒を生業とするものは
利潤の追求を第一と
してはならない 』酒の正しい飲み方として
「量を控える。空腹でのまない」ことを推奨いたします。
少量の飲酒は、善玉コレステロールを増し体内の免疫力
を高める。
空腹時の飲食は、アルコールの吸収を早め、酔いの度合
いを強くする。酒好きの人はとかく食事が疎かになり、必
要な栄養の摂取が阻害される。
日本人の食文化・食生活は非常に多彩であるが、
日本酒はどんな料理とも相性が良く、理想的な飲酒形態
「食中酒」として最も優れている。
酒を百薬の長とするには
「少量有益・大量有害」という意識をしっかりと持つ必要が
ある。少量飲酒は健康を維持し、長寿に貢献する。
楽しく有意義な人生をおくるため、この酒を味方につけ、
活用していただきたい。
樋木酒造株式会社
上記の文章は樋木尚一郎社長が、数がきわめて少ない鶴の友の正規取扱店や関係者に昨年の11月ごろに直接渡されたものです。
(私自身はファックスで送っていただいたのですが---------)
一見すると冒頭の言葉は”過激な言葉”のように思えますが、けしてそうではありません。
私が三十年以上伺い続けてきた樋木尚一郎社長の”考え方、行動の根幹”が率直にストレートに書かれているだけなのです。
そして、酒の正しい飲み方として以下の文章はその”考え方、行動の根幹の「具体的説明」”なのです。
鶴の友の正規取扱店の皆さんは、この樋木尚一郎社長の”正論の正しさ”を認めていますし、樋木尚一郎社長が”この正論を言う資格”が十分にあることをも認めていても、この文章を直接手渡された正規取扱店の”店主の困惑の度合い”も私は想像できるのです。
昭和五十年代半ばから酒販店を離れた平成三年にかけて私もこの”困惑、あるいは矛盾、ジレンマと格闘”してきたのですが、この文章に込められた「日本酒業界の対応の鈍さへの危惧、長いお付き合いの鶴の友の正規取扱店やそれ以外の酒販店に対する”深い気持”」を理解できるようになるには、日本酒業界を離れた後の十数年の月日が必要だったのです。
私は昨年タバコを止めました。
航空機のみならず鉄道も車両内だけではなく駅構内も全面的に禁煙になり、店舗でも喫煙スペースを探すのが楽でなくなり、”民主党の政府筋”から「タバコは1箱1000円でもいい」というような”経済原理を無視した発言”もあり「もう止める潮時なのか」と痛感したからです。
たぶん30年前には私もタバコ業界の方々もこんな状況になるとは想像できていなかったと思われるますが、タバコ愛好家と製造・販売のタバコ業界との間での経済的合理性、商売上の利害得失などなどを無に帰す大きな”世の中の変化の力”によってタバコ業界は”壊滅的打撃”を受けつつあります。
あれほど大騒ぎして導入したタスポカードも、「コストの合わない”貸与自販機”の撤去”」が始まったため、自販機がかなり少なくなっていくはず------とタバコ販売に関わる友人から聞いてもいます。
生まれたときから、”タバコの健康被害の情報”を浴びるように受けて育ってきた高校三年の息子にとって、私はタバコの件では「批判され続けてきた”反家庭的存在”」と言えました。
「受動喫煙で吸わなくても健康被害を受ける」------という息子の言葉には、強制的に私の喫煙を止めさせるというニュアンスはありませんでしたが、”喫煙にはマイナスだけで何のメリットもないという強い響きがあり、そしてそれは世の中の大勢を占めているように思えるのです。
酒とタバコはまるで”対のように”取り上げられます。
かつては”嗜好品、娯楽の代表”として対で取り上げられましたが、
現在は”健康を害するものの代表”として対で語られることがかなり多くなっています。
比べればタバコよりは-----と思われていますがいつ何時タバコ業界と同じような”壊滅的打撃”を受ける批判にさらされるかも知れない部分を酒も内在させているのです。
酒は飲み方を誤れば、命を失うことになるかも知れない健康被害を引きおこす可能性を持つ”飲み物”であり、酒を飲むことに溺れればアルコール依存症につながり家庭を破壊してしまう可能性を持つ”飲み物”です---------この”酒の負の側面”を酒造・酒販の日本酒業界は正面から見据えていないのではないかとの強い懸念が鶴の友・樋木尚一郎社長にはあるのです。
”酒の負の側面”に目をそむけたままで、日本酒業界が”自らの経済的合理性や利害損得”だけで走ってしまうと”自らを破壊する”ことになりかねない----------そのような強い危機感が鶴の友・樋木尚一郎社長の冒頭の言葉として現れていると、私には思えてならないのです。
酒の正しい飲み方として以下は、”酒の負の側面”を見据えてないだけでなく、酒造・酒販の日本酒業界が”本来そうあるべき面”からも目をそらしているのではないか-------「量を控える。空腹では飲まない」、「日本酒は多彩な日本人の食文化・食生活を受け止められる自然で理想的な”食中酒”」、「酒を百薬の長とするための”少量有益・大量有害という意識”」などのことを真正面から見据え正攻法でエンドユーザーの消費者のお役に立ち、エンドユーザーの消費者に「日本酒は面白くて楽しい」と感じてもらえる努力が致命的なほど重要なことを知らしめようとされている、と私には感じられるのです。
昨年の9月に私の先輩でもあり仲間でもあったIさんが酒販店を廃業しました。
日本酒の知識と経験も有る、地元において”同じ感覚を持つ”唯一の相談できる相手であり、自分と自分の置かれた立場だけではなく酒販業界をも客観的に見ることが出来たIさんらしい取引先にもお客様にも迷惑をかけない”見事な終わり方”でしたが、Iさんの”判断と決断”が正しいと私にも実感できるだけに残念で寂しい思いも深いものがありました。
たぶん私や私の家族であってもビールやビール系飲料や缶チューハイをまとめて買う必要性があるときは、SM(スーパーマーケット)かGMS(大手総合スーパー)に行くと思われます。
”軽くない商品”を買いに行くのですから(価格も重要な要素ですがそれがすべてではありません)十分な駐車スペースが有り、明るく広いだけではなく必要なら30本でも40本でも”冷えている商品”が存在する売り場からカートに乗せたままでレジをとうり車までスムーズに持ってこれるからです。
ビールやビール系飲料の新製品をいち早く飲みたいときはCVS(コンビニエンスストア)に向かいます------なぜならSMやGMSより(もちろん酒販店よりも)早く商品が必ずと言っていいほど入荷しているからです。
このような”買い方に慣れている”消費者に、「駐車スペースも無く、明るくも無く、クリンネスもあまり感じることが無く、リーチイン・ウォークイン等の冷蔵庫のスペースが決定的に不足し、新製品の入荷も遅れ気味で、両手で持った商品を下ろし”自分でドアを開けなければ店を出れない”」酒販店が支持されるとはとうてい思えないのです。
ビールメーカーの営業の最重要な戦いは、CVSやGMSの”棚割り”をかけての同業他社との戦いであり、地場の酒類問屋にとって地元のSMチェーンに納入出来るかどうかが”その存続”の命運を握っている--------酒販店は自覚してようと自覚してまいとに関わらず、このような厳しい現実にさらされています。
Iさんはこの厳しい現実を自覚されていただけに、酒販店としてはきわめて悪い立地にありながら食品その他も扱いながら営業を続けられてきたのですが、開店されて30年以上経ち補修や増強でしのいできた冷蔵庫を始めとする諸設備の全面的な交換が必要になり低下し続けている売上ではとうてい賄えないことと、借りていた駐車スペースも返却せざるを得なくなったことが重なり、「周囲に迷惑をかけない前の廃業という”正しい決断”」をされたのです。
「この状況下でもきちんと酒販店として生き残っていくには何が必要なのか」-------折に触れて、Iさんや尼崎の山本酒店・山本正和さんと(電話で)話し合うことが今でもあります。
鶴の友・樋木尚一郎社長との電話も”この話題に終始する”ことも珍しいことではありませんでした。
昨年の9月に本当に久しぶりに村上に伺った折にも、かつて日本酒業界の一員として〆張鶴にも接してきた”現在は外部の人間である私”に上記のことに対して、「Nさんはどう思われますか?村上でも休廃業する酒販店が少なくないのですが、どのような酒販店が将来ともに酒販店としてやっていけると思いますか?」と話の流れの中で〆張鶴・宮尾行男社長に”世間話の延長としての感想”を求められたこともありました。
私個人の個人的感想に過ぎませんが、上記の問いに対する”個人的解答”は、個人の酒販店が生き残っていくためにはGMSやSM、CVSには対応が難しい商品知識と接客能力が必要な商品-------日本酒か焼酎、ワインを主力にする必要があるというものですが、残念ながらそれだけでは”万全”ではなく以下のことが絶対に必要になるのと思われるのです。
- 駐車スペースや冷蔵庫、自動ドア等の設備(ハード)が他の業界の店舗(例えばCVSなど)に同等か近い水準にあること。
- 店舗の明るさ、クリンネス、商品の展示技術等(ソフト)が他の業界の店舗と同等か近い水準にあること。
- 1と2が実現した上で初めて商品の品揃え・商品知識が”武器”として使えるようになるのです。
- そしてその店の店主がエンドユーザーの消費者に、何でお役に立つのか、何を提供できるのか、何を伝えたいのかを明確に店舗の中に実現出来ていると同時に、ネット通販を目的としないホームページやブログで発信できることも必要になってきていると思われます。
日本酒を選ぶのか焼酎を選択するかそれともワインを選ぶのか、それともふたつかあるいは全部を選ぶのか---------それはさまざまだと思われますが私自身は日本酒を柱に据えるのが生き残れる確率が一番高いと信じています。
なぜなら私自身が思ってきた以上に日本人にとって日本酒はDNAに刻み込まれた切っても切れない存在だと感じているからです。
何回も書いていますが、私は日本酒業界を離れてからも毎年酒粕を300Kg前後配っています。
鶴の友・樋木尚一郎社長や千代の光・池田哲郎社長、〆張鶴・宮尾行男社長のご理解とご好意のおかげで配れているのですが、酒粕が来るのを楽しみに待っている人は”酒飲み”ばかりではないのです。
まったく酒を飲めない人でも、”酒粕から造る甘酒”は大好きだという人が”私が想像できない”ほど多く存在していたのです。
そしてその人達に差し上げている鶴の友や千代の光、〆張鶴の酒粕がその人達を喜ばせ楽しまさせるだけではなくその人達の”健康”にも役立っているのです。
本来日本酒を造る過程で出る”廃棄物であるはず”の酒粕ですらこれほど”役に立ち喜ばせる”のですから、そのおおもとの日本酒は酒粕以上に”役に立ち喜ばせる”日本人にとって傍らにあるのが自然でなおかつ「面白くて楽しいもの」なのですが-----------------その”事実”をエンドユーザーの消費者に伝える努力がきわめて不足しているため、私自身は、本来あるべき地点からかなり下回る位置に日本酒が現在は置かれているような気がしてならないのです。
日本人の食文化・食生活は非常に多彩であるが、
日本酒はどんな料理とも相性が良く、理想的な飲酒形態
「食中酒」として最も優れている。
酒を百薬の長とするには
「少量有益・大量有害」という意識をしっかりと持つ必要が
ある。少量飲酒は健康を維持し、長寿に貢献する。
楽しく有意義な人生をおくるため、この酒を味方につけ、
活用していただきたい。
鶴の友・樋木尚一郎社長の書かれた文章の上記の部分に、今後”生き残るべき酒販店”の店主がエンドユーザーの消費者に、何でお役に立つのか、何を提供できるのか、何を伝えたいのか---------明確に店舗の中に実現すべきことが何であるかが書かれています。
日本の食文化は長い歴史がある多彩でありながらきわめて健康的なものでもあることは現在欧米はじめ世界中で認められおり、皮肉なことに、海外では日本酒に対する”増え続ける強い需要”があると聞いています。
日本酒もその食文化の一翼を担い多彩な食文化を受け止める”食中酒として一体化している存在”として受け継がれてきた歴史があります。
日本酒の長い”歴史”の中では、「”日本酒単体”で語れることのほうが”例外”」なのです。
食文化と言われると、何か難しくめんどくさい高踏的なもののように思われるかも知れませんが、私自身が感じている身近で大事な食文化は「美味い料理を食べ美味い酒を飲む」という一言に尽き理屈や能書きも必要とはしていません、単純に「面白くて楽しい」だけなのです。
私自身は食に限らず文化という言葉は、”遊びと遊び心のかたまり”だと解釈しています。
「ちょっと遊んでこうしたほうがより面白い、より楽しい」-------日本酒単体で”遊ぶ”よりはその広大な”背景である食べ物”をも含んで遊んだほうが「より間口も奥行も深い”遊び”」ができて面白くて楽しいし、健康を維持することにも長寿にも役立つことが出来るのです。
基本的な原則をきちんと踏まえた上での”遊び”が、テルさんのお店と「吟醸会」にはあります。
「こうしたらもっと面白いのではないか」、「ここまでやるとさらに楽しいのではないか」------そんな気持があふれています。 店内の写真の”木札”もそのひとつです。
この”木札”は、30年以上前のテルさんとテルさんの義兄でもある「吟醸会」のG来会長の”ささやかな遊び心”から始まったものです。それを見たテルさんのお店の常連が、「面白いから自分のも、費用は払うので作って欲しい」との”依頼”が数多くあり、それぞれ屋号や家紋、マークなどの意匠を凝らしたものをテルさんとG来会長が浅草に持っていって作ったものを、一枚、また一枚と掛けていって出来上がったものなのです。
”木札”もこれだけの枚数が揃い、そのほとんどが時間の流れを感じさせる”飴色”になっている「景色」は、”遊び心の塊”にしか造りだせない存在感があります。鮨店の店主でありながら、若いころ、車の2級整備士でもあったと聞いているテルさんは車の趣味にも”遊び心”があります。 お互いに若いころ、私は自分で初めて買ったブルーバードの910SSSターボに長く乗っていましたが、テルさんはそのころまだ数が少なかった4WDの1BOXにサンドバギーを乗せて砂のある場所で楽しんでいました。
あるとき私も好きではなく、テルさんも好きとは聞いていなかったフォルクスワーゲンのビートルがテルさんの店に置いてあったのです。
「どうしたんですか?」と聞くと、「サンドバギーのレースに使っていたエンジンをデチューンして載せたビートルなんだが、乗ってみたら面白いので譲ってもらったんだ」との答えが返ってきました。「加速が凄いし、RRだから登り坂は最高に楽しい。良かったらその辺を走ってみたら-----。ただしレブリミッターが付いているけど、6500回転を超えるとエンジンが壊れるとチューナーに言われているので回転にだけは気をつけて-----」と気軽に貸し出してくれました。テルさんのご好意はありがたかったのですが、市販車に装着されたターボとしては最初のころの”どっかんターボ”に慣れていた私は、”鈍重で古くて遅れている”というイメージしかビートルに持っていなかったので、やや馬鹿にしながら”カブト虫”に乗り込みました。
15分ほどゆっくり走って慣れてきた私は国道に出ました。その国道には、長さ数百メートルのけっこうきつい上り坂があったからです。
この坂でテルさんの言う加速を試そうと思い、上り坂の手前の信号が青になるのを待ちました。青になると同時に私は、初めてテルさんのビートルのアクセルを床まで踏み込みました。
するとビートルは猛然とダッシュをし始め、オーバーレブしないようにシフトアップするのが精一杯の状況になり、坂の途中でトップに入れたときには150キロになっており、慌ててアクセルを戻していました-----本当に冷や汗が流れました。テルさんはにやにやしながら待っていました。聞いてみると出力178馬力で車重880kg、まるで軽トラックに3リッターのエンジンを積んだようなものだったのです。
この”カブト虫”には、嘘か本当なのか、ある”伝説”があります。
20年くらい前、高速道路を走っているときの話ですが、前を走る”カブト虫”をポンコツと侮ったスカイラインのGTRが「きわめて危ない失礼な抜き方」をしたとき、(そのとき”カブト虫”を運転していたのは誰かは定かではありませんが)軽く踏んでいたアクセルを4速で全開にした”カブト虫”が、スピードリミッターが効いて180キロで失速したスカイラインGTRを、オーバー200キロのスピードでぶち抜いたというものです------残念ながらかなり前に廃車になったこの”カブト虫”は、メンテナンスに手間も暇もお金もかかったようですが、それも含めて面白くて楽しいと思えないとできない”遊び”だったのかも知れません。テルさんや「吟醸会」の人達は、車を名前やカタログのスペックだけで選ばないのと同様に、有名銘柄であることや大吟醸、純米吟醸というカタログのスペックでは酒を判断しません。
酒は飲んでみて美味いかどうかだからです。
大吟醸や純米のレッテルは美味いかどうかを保証しているわけではではないのです。
ましてテルさんや「吟醸会」の中核メンバーの常連は、ごくふつうに日常的に〆張鶴 純、千代の光吟醸造り、そして鶴の友の別撰を飲んでいるため無意識に自然に比較してしまうのです------いつも飲んでいる酒と比べて美味いかどうかを。鶴の友別撰は、外見はふつうの本醸造です。大吟醸や純米吟醸のレッテルを見慣れた人には、”古くて見栄えのしないレッテル”の酒のように思えるのかも知れません。
しかし、1300CCのエンジンを1500CCにボウアップをすると同時にフライホイールなどのエンジン部品のほとんどが交換され、エンジンのバランスもシビアに調整し給排気系をすべて取り替え、電動ファン付きオイルクーラーの取り付けなどの空冷エンジンの冷却能力向上や、ノーマルの40馬力を大きく上回る178馬力を受け止められるサスペンションのチューニングをされた”カブト虫”が「ふつうの車」ではないように、鶴の友別撰は「ふつうの本醸造」ではないのです。”カブト虫”がRやSのエンブレムが付いている”値段の高い車”を簡単に抜き去るように、鶴の友別撰は”値段の高い”大吟醸や純米吟醸とレッテルに書いてある酒を、あっさりと抜き去ってしまうのです。
それが酒が分かれば分かるほど痛感する鶴の友の”凄さの本質”なのです。「吟醸会」は、正確に言うと、実は90回くらいになっています。
(前にも書いたと思いますが)なぜかと言うと、もともと「吟醸会」の名前の由来である吟醸酒を私一人で味わうのはあまりにもったいないと、テルさん、G力研究所のS高研究員、O川研究員を含めた4人で、非売品も含めた吟醸酒のみを比較して楽しんだ昭和五十年代半ばの「ささやかな会」がそのルーツなのです。
この時代は”庶民の酒飲み”にとっても「黄金の日々」だったのかも知れません。
関東信越国税局の鑑評会で、春秋連続で第一位に輝いたころの〆張鶴や千代の光の大吟醸、そして今は飲むことのできない高浜春男杜氏が全力投入した非売品の八海山の大吟醸を飲む機会を与えられ、そしてその大吟醸が造られる現場を見せてもらえる機会も与えられたのですから--------。
この「ささやかな会」が数回おこなわれたころ、G来会長に見つかってしまい「酒は美味い料理を囲んで大勢で楽しく飲むから面白いんだ。お前らだけでちまちまやるんじゃない」-----鶴の一声で現在の形になったのです。私が平凡な人生を平凡に送ることが”目標”のつまらない男だったせいか、なぜか私は”規格外”の人生を送る”先輩”に恵まれています。
G来会長は高校の大先輩でもあったのですが、ちん、とん、しゃん系の遊びの中で鍛えられた軽妙洒脱な人柄も、”破天荒”な仕事の実績も早福岩男さんによく似た大変魅力のある人です。 G来会長のお供をして、吉原にあるしもたや風のもんじゃの店や浅草や向島の小料理屋に行ったことも若いころあったのですが、まるでテルさんの店や地元の料飲店にいるかのように、笑いの絶えないG来会長の周囲には人が吸い寄せられ、一度帰った人まで知らせを聞いて戻ってくるという具合でした。 テルさんの店や他の地元の料飲店で聞かせてもらったG来会長の若いころの”失敗談”は、それこそ抱腹絶倒で本当に笑い転げたものです。
G来会長には、昔も今も「説教らしい説教」はされたことはありませんが、笑い話そのものや笑い話と笑い話の”間の話”や行動で、私に限らずS高、O川研究員も含めての当時の”若手”は大事なことを教えてもらい育ててもらったと思っています。昭和五十年代前半から、車の免許に例えると、〆張鶴の宮尾行男専務(現社長)、千代の光の池田哲郎常務(現社長)、早福岩男早福酒食品店社長(現会長)に当時の最先端の”学科”を見せていただき、テルさんやG来会長を始め「吟醸会」の皆さんに「先輩が後輩の面倒をみるのが、自分がお世話になった先輩への恩返し」------というありがたい”文化”の中で”実際の車の運転の仕方”を学べたことは、私にとって本当に幸運でした。
そのおかげで、昭和五十年代半ばに鶴の友の樋木尚一郎社長に初めてお会いしたとき、「酒は面白くて楽しいもの」、「酒は庶民の傍らにある楽しみ」------ある意味で当たり前のことでしたが当時の拡大局面の新潟淡麗辛口では”異端”とも言えた「鶴の友の哲学」を、自分に分かる範囲という限定的なものでしたが、自分の中に受け入れることが可能になったと思われます。その後の鶴の友の樋木社長から受けた影響の大きさを振り返ると、この「吟醸会」の皆さんの存在は私にとって本当にありがたいことでした。「遊びは”無駄の塊”だ。だから”遊び”に効率や利害や損得は存在しない。でも、仕事や私生活では残念ながら皆んな利害や損得、効率に追われてまくっている。だから日常の中にほんの一部でいいから”無駄の塊”の遊びが欲しいと思っているんだ。ほんのひととき”無駄の塊”の遊びに熱中してほっとしたいんだ。Nよ、酒は庶民の楽しみの”遊び”のひとつだろう。お前の言うとうり、新潟淡麗辛口は本当に凄いものだとしてもお前の”つまらない講義”を聞いて飲みたいとは俺は思わない。今まで俺が飲んできた酒より新潟の酒が面白くて楽しいというなら、それを皆んなに見える形で見せてみろ。Nよ、お前がそれをやると言うなら俺もテルも手助けはするよ」------G来会長にこう言われた私は、どうしたら楽しいと思ってもらえるか、どうやったらより面白いかを考えながら「吟醸会」に参加していたのですが、いつの間にか、酒のことを”自分の言葉”で話すのが、酒の周囲(料理や器など)のことも”自分の好み”を話すのが、大好きになっている自分自身に気がついたのです。 そして専門用語をほとんど使わない私のほうが、専門用語の”羅列”しか語れなかった以前の私よりも、酒の面白さと楽しさを分かってもらえている事にも気がついたのです。
「吟醸会」はとりあえず100回をひとつの目標にしています。思えばよくここまで続いたものです。 若かった私も最初に会ったころのG来会長の年齢を超えてしまっています。G来会長が我々にしてくれたことのお返しを、自分達の後輩にできているのだろうかと考えると、忸怩たる思いで一杯になりますが、自分のできる範囲でやれることはやろうとの気持は、いくらおそまつな”極楽トンボ”の私であっても捨ててはいません。
私はあらゆる機会をとらえて、「面白くて楽しい」身近にある遊びとしての酒を”語る”ことを続けていきたいと思っています。
テルさんの鮨店もG来会長の豪快な笑顔がいつも見れる「吟醸会」も、お店の場所が特定でき足を運べる北関東の”庶民の酒飲み”にはドアが開かれています。ぜひ一度そのドアをたたいてみることをお薦めします。
上記は、鶴の友について-2--番外編(吟醸会)からの引用です。(http://blog.goo.ne.jp/sakefan2005/d/20080224)
約三十年続きもうすぐ区切りの100回を迎える私の地元で開かれている「吟醸会」について書いたものの一部(かなり長い引用ですが)です。
この記事には、「吟醸会」の様子や実際の料理の写真も載せてありますので、興味のある方は記事のすべての部分を読んでいただければ助かります。
私自身がエンドユーザーの消費者に、何でお役に立ちたいのか、何を提供したいのか、何を伝えたくてこの日本酒エリアNを書いているのか------その一端をお分かりいただけるのではないかと思うからです。
謙遜でも卑下でもない”おそまつで能天気”な私が、鶴の友・樋木尚一郎社長の”言動”に強く惹かれ、周囲の人達に助けてもらいながら「酒は面白くて楽しいもの」、「酒は庶民の楽しみ」の方向に自分なりに走ってきた経験を書いた上記の鶴の友について-2--番外編(吟醸会)の中に、鶴の友・樋木尚一郎社長の書かれた文章への「私自身の、自分なりの”答案”」が書いてあると私自身は思っています。
私らしい”おそまつで能天気な答案”ですが、長い時間をかけて”答案”を書く作業の中で、鶴の友・樋木尚一郎社長の書かれた文章に込められた「日本酒を飲んでくれる消費者や日本酒を真面目にきちんと売ってきた酒販店の人達に対する”深い気持”」をようやく少しずつ感じ取れるようになったのです。
取引先の酒販店と少数の関係者のみに渡された、鶴の友・樋木尚一郎社長の書かれた文章を私のブログに書いたことで、あるいは私はお叱りを受けるかも知れませんが、できれば一人でも多くの人に”この文章”を見ていただきたいと私は希望しているのです。
そして鶴の友・樋木尚一郎社長の「言葉の裏側にある”深い気持”」がどのようなものであるのかを、一人でも多くの人に気づいてもらえることを私は願っているのです------------。