現在大学二年生の私の息子が生まれた時、親類・知人に頂いた出産祝のお返しに千代の光の中でも一番私が好きな吟醸造りを贈らせていただきました。
その吟醸造りをお願いしたとき、池田哲郎社長は「どういう名前にしたのですか?」と質問されお答えしました。
後日その吟醸造りが送られてきたのですが、そのレッテルは通常のものではなく、かなり以前に蔵で使っていた“大福帳”の裏に手書きで息子の名前が書かれたものが貼り付けてありました。
中身の酒を含めて数本をいまだに私は感謝の気持とともに“保存”しています。
業界を離れて二十年以上たつのですが、残念なことに長い休みが取りにくい販売職のため、短い日数で行きやすい新潟市に比べて行かせてもらう機会に恵まれず長い間新井(現妙高市)の蔵にはお邪魔してないため、「千代の光について」を書きにくかったのです。
しかし最近、池田哲郎社長のご子息の剣一郎氏が2012年1月に蔵にもどられブログを書かれているのを、遅ればせながら知りました。
蔵に行ってからと思ってきたのですが、「私なりの千代の光について」を短く(私の基準ではですが)書いてみようと思います。
千代の光
千代の光は、池田哲郎社長と私の年齢が近く、最初にお会いしたとき私が 20代半ばで社長が20代後半で、私にとって一番思ったことが言いやすい蔵元でした。 五つの蔵の中で一番若かっただけに、歯に衣をきせずはっきり明快にものを言う人でした。 その池田社長が、二十年近く前に私に言ったことがあります。 短期的で直接の酒質の向上策ではなく、”業界”の人にとっては常識破りでもあり、また人にとっては悠長なと皮肉を言われかねないことでした。 大変困難なことですが、それができたら確実に酒質は向上し続けるだろうと私は思ったのですが、十年後それは実現していました。
私が二十数年前(それは蔵元に正直に話したことですが)、私が取り扱っても絶対に売れない、売る本数よりも捨てる本数の方が多いと思いつつもその魅力を失うことが惜しくてお願いをした酒ですが、その当時は、どちらかというと杜氏個人の名人芸に支えられているウェイトが高く、素晴らしい魅力と同時にきちんと売る側が管理をしないと魅力が発揮し続けにくいある種の ”ひ弱さ”も抱えていました。 しかし、発言の十年後のこの酒は”30階建てのビルが建つ基礎の上に5階建てが建っているような、表面には出てこないが確実に存在する”強さ”に支えられており、さらに誰もが見ない内装の裏にまで、丁寧な仕事がしてある素晴らしい酒になっていました。 5年前、池田社長はまた私に、「十年後を楽しみに見ていてくれ」と、言われました。 たぶん、今回も言ったことを実現させてくれるだろうと私は確信しています。
千代の光は、越乃寒梅、八海山、久保田に比べその名前がよく知られているとはいえない酒です。 また、売る側の酒販店がそれなりに酒が分かってないと、エンドユーサーの消費者がその魅力の本質が分かりにくい酒です。 酒がきちんと分かっている店主から買って千代の光を飲むことができた”庶民の酒飲み”のあなたは、私が書いた千代の光の素晴らしさを、自分の舌で、喉で味わうことができ、千代の光と池田社長が”庶民の酒飲み”にとっていかにありがたい存在かが実感できるはずです。
追記
千代の光のホームページで全国の取扱店を調べることができます------http://www2.ocn.ne.jp/~sa-chiyo/------
私が直接、その”人柄”と”思い”の深さを知る千代の光の取扱店の店主は、数人しかいません。 ”地酒”を扱う酒販店には、大きく分けると、二つのタイプになると思われます。 たとえば年間一万本を売ろうとしたとき、 1---100種類の銘柄を100本売って一万本にするタイプの酒販店、 2---自分が”ほれ込み”、自信を持ってすすめられる蔵の酒を、上から下まですべて取り揃え ”主力銘柄”として、月桂冠を売るように売るタイプの酒販店-----。 1は、”地酒専門店”に多いタイプ、2は、私のような ”少数派”です。 2のタイプは、毎年のように蔵を訪れそれなりに酒を ”勉強”させていただくだけではなく、〆張鶴の故宮尾隆吉前社長のお言葉のように、「人間対人間の気持ちの交流」を深めていきます。 それゆえ、あまり多くの銘柄を扱うことなく(3~5の蔵で手一杯)、一つの銘柄あたり2000~5000本を売って、一万本を越えていきます。 この ”少数派”は ”少数派がゆえにお互いに強い ”結びつき”をもっています。 その ”結びつき”を支えているのは、お互いのお互いへの”信頼”です。 そして、その”信頼の輪”の中心には蔵元がいます。
私は、できればこの ”少数派”の千代の光の取扱店の店主から買って飲んでいただきたいと思っています。 なぜなら、千代の光には、エンドユ-ザ-の消費者のために前に進もうという ”強い思い”が酒に込められており、その思いを一番良く知っているのが ”少数派”の千代の光の取扱店の店主だからです。
上記は私が2005年に書いた「長いブログのスタートです」の一部の引用です。
もうこれを書いてから7年が経過していると思うと“時間の流れの早さ”に改めて感慨を覚えます。
業界を離れてから二十年以上、私はお中元・お歳暮として親類、知友に、鶴の友・特撰、〆張鶴・純、千代の光・吟醸造りの3本をセットにして贈り続けています。
私個人の知る現在の新潟淡麗タイプの日本酒の中で、酒の個性のバランスも酒質の高さのレベルも、私自身はベストの選択の3本と信じているからです。
言い方を換えると、ある意味で私は、蔵にとって“困った存在”なのかも知れません。
なぜなら量も少なく、得られる高い満足に対して支払う費用がきわめて安い“コストパフォーマンスの圧倒的に良い”日本酒しかお願いしないからです。
私は三十年以上前から千代の光を見させていただいています。
吟醸造り、しぼりたて生(原酒)そして池田哲郎社長が、私にとっての今までの千代の光の“主要なイメージ”ですが、ある意味で“過激と言われかねないほど前向きな”池田哲郎社長が造り上げた千代の光に、ご子息の剣一郎氏が加わることによってどんな“化学反応”が起こり何がプラスされ何がマイナスされるのか------そして何を継承し何が付加された千代の光になっていくのかを今後の楽しみのひとつにしていきたいと思っています。