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新潟淡麗辛口の蔵の人々と”庶民の酒飲み”の間で過ごした長い年月
(昭和五十年代~現在)を書き続けているブログです。

鶴の友について-6--NO2

2022-05-05 11:08:51 | 鶴の友について

 

 鶴の友について-6--NO1の続き

新潟淡麗辛口という高品質高コストではあるが日本酒のゲームチェンジャーになり得る、存在を月桂冠に代表されるNBという存在よりほんの僅かに高い消費者にとっては費用対効果が極めて高い存在になるためにどのような『方法』を編み出したのかを以下に書いていきます。

1. 原則として従来の問屋ルートの販売は極力排し、新潟県内もメインのターゲット東京を含む関東も新規取引は蔵と小売店との直接取引(直取引)しか        
  行わない。

2. 蔵と小売店の話し合いで前年度の実績に基づいた今年度の数量を決定し蔵はその合計数量を造り供給する、小売店は自分達がお願いした数量を売り切
  る責任を負う。
        
3.  新潟県外は蔵からの発送運賃は酒販店側が半額負担(一部の蔵は酒販店が全額負担)し蔵も半額を負担することが基本の原則で銀行振り込み料も小売店 
  側が負担する。

『方法』は以上になるのですが、今の時点で見ると何の変哲もない当たり前の話なのですが、昭和四十年代終わり~五十年代初めの時点では 『とんでもない話』で蔵サイドでも小売店サイドでも受け入れ難い『方法』だったのですが、地方公務員という枠をかなり逸脱していた嶋悌司先生と、従来の酒販店の常識には全く囚われていない早福岩男社長(現会長)と、ごく一部の蔵であっても世間の動きを見て強い危機感を覚えていた蔵を保有していた新潟淡麗辛口は少数の蔵ですが1~3を越えてしまうところが現れ、そのことが小さくない波及効果を及ぼしていくことになるのです---------。 

1.はこの年代では非常識極まりないものでした。
逆に今は、ある程度の評価のある地酒(地方銘酒蔵)が問屋ルートでの販売がメインだとしたら常識外と言われるようで、❝時代の皮肉❞を私は感じざる    を得ません。
この年代はNBを中心した酒蔵→→酒問屋→→酒販店が当たり前の流通ルートで、ごく一部の地元の近場の酒蔵と例外的に直取引(直接取引)あるぐらいでした。
新潟淡麗辛口の蔵もこの例外ではありませんでしたが、たとえ地元であっても新規の取引は直取引の原則を曲げずに対処して行き従来からの問屋ルートもできる限り直取引に変えようと努力を継続し続けていました。
その理由は単に中間マージンを排除してより酒質の向上にコストをかけたいというだけでなく、2.にもまたがる理由がありました。

2.は新潟淡麗辛口にとって一番の重要項目かも知れません。
良い酒を造りたいという気持ちは多くの酒蔵には存在していますが、置かれている状況によって『良いをどのレベルで考えるか』の違いが出てきます。
私が体験し実際に見てきた酒蔵は「たとえ赤字スレスレでもエンドユーザーの消費者が求める高酒質の酒を造りたい」との気持ちは持っていましたが、
「ただし造った酒の全量を酒販店サイドが売れても売れなくても引き受けて値引きの要求や返品を一切しない」とい条件ならばだけれど---------------。
この条件も現時点でみれば❝不思議な話❞ではありませんが、この時期の常識では「売れているNBより仕入れ価格が安くなければ取り扱う必要は無いし、ある程度の月日が過ぎても売れなければ返品する」のが当たり前だったのです。
これでは高酒質であるが高コストである新潟淡麗辛口造れるはずもありません。

2.はこの時代に高酒質・高コストの新潟淡麗辛口を、けして高くないリーズナブルな価格でエンドユーザーの消費者に提供するためには絶対に外せない条件であり、その条件を受け入れた新潟市を中心にした(早福岩男会長の存在が可能にしたのですが)少数の酒販店から取り扱いが始まったのです。
そしてその試みのもつ可能性の大きさにいち早く気付いた新潟県外の酒販店からの新規取引の依頼が増えてくるにつれ3.が浮上し始めたです。

3.現在より運賃は少し安かったように記憶していますが、30~50本程度の本数では発送の手間も含めて酒蔵の負担分は、取り扱い店が増えれば増えるほど軽いものではなくなっていきます。
新潟市などの県内には蔵が直接配達しても本数も取扱店もある程度あるため蔵の負担感もあまり多くありませんが、東京を中心とした県外の酒販店の発送には軽くない負担感がありました。
取り扱い酒販店のことも考え妥当な落としどころで半額負担が浮上してきたと思われますが、振り込み手数料の酒販店サイドの負担は❝象徴的意味合い❞もあって酒蔵としては妥協できない部分だったと思われます。

昭和五十年代初めに『酒販店の跡継ぎ』という自分の立場を嫌っていた私は、1~3には何の抵抗も無かったのですがその当時の業界の常識では受け入れ難いことであったようです。


上記に、新潟淡麗辛口がエンドユザーの消費者(特に若い層)に広めていくという『目的の達成』のための『手段としての方法』を書いてきました。
現在日本酒に少しでも興味のある人達ににとって、1~3の『方法』は珍しいものではなくむしろ当たり前のものかも知れません。
今人気のある地酒あるいは地方銘酒の蔵には、この新潟淡麗辛口が『開発した方法』は受け継がれていますが、むしろそれよりはるかに大事な『目的』はまったくと言って良いほど受け継がれてはいません。
「このままでは新潟清酒はエンドユーザーの消費者(特に若い世代)に❝自分達には縁がないもの❞と思われ飲まれなくなってしまう。どのような造り方で、どのような酒質で、どのような価格で、どのような販売の仕方なら、日本酒に関心のない若い需要層の消費者にも飲んでもえるのか?それを本気で考え全力で走らないと新潟清酒は滅びかねない」とい切迫した『動機が生んだ目的』は、現在の地酒の蔵や地方銘酒の蔵には残念ながら、ごく一部の蔵を除いては受け継がれていないと言わざるを得ないのです--------------------。
現在本当にごく一部を除いた製販の日本酒業界に致命的なほど不足しているものは『エンドユーザーの消費者からの視点』です、この視点が欠けているならばどんなリサーチもマーケティングも❝日本酒の浮上❞にはつながらないと私には思えてならないのです----------------。


どのくらい時間が掛かるかも分かりませんが、この記事への投稿は続けていきますので、気長にお待ちいただければ助かります。

 

 

 






 

 



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