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新潟淡麗辛口の蔵の人々と”庶民の酒飲み”の間で過ごした長い年月
(昭和五十年代~現在)を書き続けているブログです。

鶴の友について-3--NO4

2010-08-25 09:56:54 | 鶴の友について

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本当に久しぶりに、8月21日(土)新潟市に行かせていただきました。

常磐高速・磐越高速を経由して9時過ぎに新潟中央インターに降り、9時半前に早福酒食品店に到着し、2時ごろまで早福岩男さんに直接お話を伺うことができました。
いつもお忙しくまた来客も多い早福さんですが、私が新潟市を訪ねるのが7~8年ぶりだったことに配慮して下さったせいか、ゆっくりとお話を伺うことができました。

私にとって早福岩男さんは”知りたいことがいっぱい詰まった”宝箱”です。
私自身が新潟淡麗辛口の蔵を知った昭和五十年代初め以前のことや、私自身が体験したことであってもあまりにおそまつで能天気であったため「まるで見えていなかったことや考えもしなかったこと」などの--------現在の私が切実に知りたいことの”解答の宝庫”なのです。
時間の制約もありすべてを伺えるものではありませんので、また伺うことをお願いして2時ごろに関屋本村町から内野へ向けて出発しました。


新潟市は私の住む北関東の地方都市に比べきわめてよく道路が整備されています。
高速道路のような”高架でインターチェンジがあるバイパス”を利用し20分かからずに内野町にある鶴の友・樋木酒造に到着しました。
この日もきわめて暑かったため道路に面した鶴の友・樋木酒造の入り口は、上記の写真のようにほとんど閉められていました。

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裏側に車を回すと、上の写真のように、樋木尚一郎社長がお一人で水まきをされていました。
以前と少しも変わらない蔵のたたずまいと樋木尚一郎社長を見た瞬間、7~8年の時間が経っていることを、私は忘れてしまったようです。

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冬の仕込みの時期の活気のある蔵も私は好きですが、上記の写真のように静かにひっそりと酒が熟成を重ねている夏の蔵も私は好きです。

人の気配の無い静かな蔵の中を通って、これも以前の記憶とほとんど変わっていない事務室の中に入らせていだだき、本当に久しぶりに直接樋木尚一郎社長のお話を伺うことができたのです。
けして広いとは言えない、むしろコンパクトとも言うべき事務室の中にはパソコンも無ければFAXもありません。
あるのは、ダイヤル式の黒い電話と質素な机と椅子と事務の仕事のための必要最低限の家具だけです-------私が最初にお邪魔した昭和五十年代半ばとほとんど変わらない”景色”でした。

蔵の内外のたたずまいと同様に、樋木尚一郎社長の”考え方の根幹”も変わってはいないのです。

樋木尚一郎社長の”考え方の根幹” から導きだされる”予想される当然の帰結”---------昭和五十年代半ばからそれを伺ってきた私は、残念ながら的中してしまった鶴の友・樋木尚一郎社長の”予想の正確さ、正しさ”を証言できる数少ない人間の一人なのかも知れません。

酒販業界の人間であった当時の私は、「新潟の酒を売って飯を食いたい」と思い〆張鶴、八海山、千代の光の拡売に努め後に久保田も主力銘柄として販売することになります。
その私にとって、樋木尚一郎社長の”考え方の根幹”は自分自身の思いと立場を破壊しかねない”危険な”ものでしたが、他の蔵とは違うきわめてゆっくりと時が流れ「自分達が失ってしまった大切な何かが色濃く残っている」鶴の友・樋木酒造の中で樋木尚一郎社長から伺い続けたとき、否定できなくなっていったのです。

時代が昭和から平成に移って数年が過ぎたころ私は酒販業界を離れたのですが、そのころには鶴の友・樋木尚一郎社長の”予想の正確さ、正しさ”が顕在化し始め、日本酒業界に”影が差し始めたこと”をおそまつで能天気な私でも実感できるようになっていました。
そして現在の日本酒業界の現実は、 樋木尚一郎社長の”考え方の根幹” から導きだされる”予想される当然の帰結”どうりの結果になっている--------今の私にはそう思えてならないのです。
                                                             
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上記の写真は蔵の中にある温度計です。
たぶん私が初めて蔵にお邪魔したときにはそこに存在していたはずです。

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上の写真は、蔵の敷地と一本の道を挟んで裏側にある、鶴の友・樋木尚一郎社長がご近所の将棋愛好家や新潟大学の将棋部、老若男女の弓道愛好家のために無料開放している「将棋の部屋兼弓道場」です。
30数年前の私が見た「景色と外見もその中身」もまったく変わってはいないのです。

おそまつで能天気な私も、淡々とごく当たり前のように「変えてはいけないこと変えない」ことの大変さ、そしてそれを守り続けるためには「強い信念と犠牲をいとわない強い気持」が必須であったことを、今は肌の感覚で感じることができます。
そして過去も現在も鶴の友という酒が、樋木尚一郎社長や樋木家の方々の「強い信念と犠牲をいとわない強い気持」で支えれていることを、改めて私は痛感させられたのです-----------。




鶴の友について-3--NO5に続く(ただしいつになるか私にも分かりませんが----)