日本酒エリアN(庶民の酒飲みのブログ)gooブログ版  *生酛が生�瞼と表示されます

新潟淡麗辛口の蔵の人々と”庶民の酒飲み”の間で過ごした長い年月
(昭和五十年代~現在)を書き続けているブログです。

鶴の友について-3--番外編1

2010-05-12 12:46:39 | 鶴の友について

ここしばらくブログを”書けなかった”のは、2002年の後半から使ってきたウィンドウズXPのパソコンがクラッシュしたからです。
ハードにもソフトにもまるで詳しくない私ですが、長年にわたって使ってきたため旧式化し問題が少しずつ生じていても、愛着があり使い続けてきました。
しかしクラッシュした以上は何とかしなければならなかったのですが、諸般の事情でここまで遅くなってしまったのです。

結局、高校3年の私の息子の友人にPCをマザーボードから自作してもらうよう依頼することになり、先月の末にセットアップしてもらったのです。
これまであまり関心が無くまるで分かってなかったのですが、意外なことに、私の周囲にもPCを自作している人がけっこういたのです。
良いか悪いかは別にしても、多少の困難はあっても、知らないことを知る機会が巡ってくるのはある意味で楽しい面もあります。
正直クラッシュしたことで困っている面も多いのですが、こんなことが起きなければ私が”PCケースの中身”にほんの少しでも興味を持つことはなかった------------そう思われるのです。


私は、日本酒においてはきわめて早い段階でやや変わった”かたち”で大きくクラッシュしてし続けてしまう機会に”恵まれた”ために、逆に強い興味と愛着を日本酒に感じることが出来たのかも知れません。

昭和五十年代前半、二十歳代前半の私は今思っても忙しい日々を送っていました。
その忙しさのほとんどは「自分が知らない状況、自分が知らない人達に自ら積極的に”飛び込む”」ことが造りだしていたのです。

昭和五十年代前半は、”地酒の創成期”と言えた昭和四十年代後半よりはやりやすい状況にありましたが、私自身もその将来に”確信を持っていた”とはとても言える状況ではありませんでした。
ただ、”地酒の創成期”を造りだし支えてきた魅力のある人達の”お人柄や考え方”に共感し、おそまつで能天気な私なりにたとえその末席であっても”同じ仲間”と思ってもらいたくて、全力投入していただけなのです。

おそまつで能天気な私も、その全力投入の日々の中で少しづつ自分にとって自然で無理がなく借り物でもない”自分自身の感じ方や考え方”を見つけていったような気がしています。
今振り返ると、柔らかい(優しい)印象の早福岩男早福酒食品店会長、〆張鶴宮尾行男社長、剛直な(やや怖い)印象の鶴の友・樋木尚一郎社長、嶋悌司先生---------この方々にとってはご迷惑だったと思うのですが、この方々に当たって砕ける”ぶつかり稽古”の中で現在に続く「私自身の日本酒に対する感じ方と考え方」が造られたのです。
そして”ぶつかり稽古”が続く中で、柔らかく見える早福岩男会長や宮尾行男社長の中の”剛直さ”も感じとれるようになり、やや怖い印象というか先入観があった樋木尚一郎社長、嶋悌司先生の”優しさ”に直接ふれさせてもらうことになるのです。


嶋悌司先生と新潟県醸造試験場がその原動力となった新潟淡麗辛口の最初の主力メンバーの蔵である〆張鶴、八海山、千代の光を昭和五十年代前半に知り、鶴の友はその直後に久保田はその後半に接触を持つことになる私は、同時に昭和五十年代半ばまでに南会津の國権そして伊藤勝次杜氏の生酛に関わりを持っていました-------この忙しい昭和五十年代に、今思うと今につながるすべての要素が存在していました。
しかし良くも悪くもその要素が”それなりに私の中で醗酵”し、その要素の本当の姿とありがたさを実感できるためには、平成3年に日本酒業界を離れてからの鶴の友・樋木尚一郎社長との”対話という形の授業”の長い時間の蓄積が必要だったのです。

今の私は、謙遜でも卑下でもなく昔よりはマシであっても、相も変わらず基本的にはおそまつで能天気です。
しかし、おそまつで能天気な私であってもそれなりに成長できるほどの”体験”に恵まれたのは、ありがたいことに事実と言えました。

新潟淡麗辛口がその創成期を脱し拡大に向かう状況を、自分自身もその尖兵の一人として身近に感じながらも、消えかけていたと言っても過言ではない生酛を現在の”隆盛”に導いた南部杜氏の伊藤勝次杜氏の生酛に、昭和五十年代初めから半ばにかけて同時並行で関わる機会を得たことは、今思うと、不思議と言えば不思議と言えます。
造られ方も酒質も”対照的”であるだけではなく、時代の風をその帆に受け始めていた淡麗辛口、時代の風によって淘汰されかかっていた生酛-------まるで正反対な”酒”に自然な流れで同時に関わることになってしまうのは、私自身がそう思わなくても、やはり不思議と言えるのかも知れません。

最初に行った新潟の蔵の八海山から、〆張鶴→早福岩男早福酒食品店社長→千代の光、鶴の友につながっていく新潟淡麗辛口の流れ---------。
そして、元々取引がありながら何の興味の無かった伊藤勝次杜氏のいた蔵での伊藤勝次杜氏の外部にはあまり知られることのなかった”生酛一筋の仕事の凄さ”を、南会津の國権の大木幹夫杜氏(昭和五十年代後半~平成十年代後半、月桂冠の杜氏として活躍)から聞かされ伊藤勝次杜氏の生酛へ強い興味を持ち傾斜していく流れ---------。
昭和五十年代初めから半ばにかけて、私がこのまったく違うふたつの”流れの中”で壁に当たって苦しむことはあっても矛盾を感じることはなく、おそまつで能天気な自分なりに全力で走れたのは恵まれているこでもあり不思議なことでもありました。

新潟淡麗辛口においても私はその酒質に衝撃に近い強い印象を受けていましたが、今振り返ると、それ以上に「酒質という結果を生む原因は何なのか」を知りたいという強い欲求を感じていたように思えるのです。
幸か不幸か、まるでジェットコースターに乗ってしまったかのような私の新潟淡麗辛口の”入り方”は、「酒質という結果を生む原因は何なのか」を観察し自分なりの答えを出すのに”恵まれた環境”を造りだしてくれたのです。
私は新潟淡麗辛口の源流からは離れていますが、流れ出た源流が集約され清冽な小川になる地点で拡大していく下流の流れを俯瞰させていただけたようにも思えるのです。

伊藤勝次杜氏の生酛については、日本酒雑感NO3~NO8に書いたとうり生酛本醸造、生酛純米の単体の発売に関わることになります。
その当時は、何としても伊藤勝次杜氏の生酛を単体で出したい、伊藤勝次杜氏の仕事の価値をたとえ一人でも二人でも分かってもらいたという気持だけでしたが、現在は、時代の風に淘汰されかかっていた生酛が伊藤勝次杜氏の造りだした生酛本醸造、生酛純米が発売されたことによって、”現在の生酛の立場”へのターニングポイントなったことを実感しているのです。

「酒質という結果を生む原因は何なのか」--------これに興味を持つことは、PCの性能や能力や出来ることに価値を置くのではなく、なぜそうなるのかとPCケースを開けて”中身を見る作業”に似ていると私には思われます。
中身のボードやボードに取り付ける”部品”に対する知識と実際にセットアップした経験が多くないと、要求された性能を満足させる自作のPCは造れないのと同じだと私には感じられてならないのです。
例えてみると私は、規格のまったく違う”正反対の”二つのマザーボードをその知識と実体験の不足のため、部品を何回も壊すという悪戦苦闘の体験を繰り返し十年近い時間をかけて完成させたようなものでした。

私達は、蔵元や杜氏・蔵人と違い造る側の専門家ではありません。
しかし専門家にお願いしたり要望を伝えるためには、伝わらなければただ言っただけになってしまうので、専門家が理解できるコミニュケーションツールを自分自身が獲得することが必要になります。
造る側に要求される水準までの”造りの知識や実体験”は必要ないと思われますが、(かつての私がそうであった)酒販店の立場の方は、マニアではないごく普通のエンドユーザーの消費者に造る側の”意図や思いを翻訳して”伝えれる、エンドユーザーの消費者の”要望や思い”を専門家に翻訳して伝えられる-------それを可能にするコミニュケーションツールを酒販店の方々は努力して身に付け磨き続ける必要があるのではないかと私個人は感じています。


今私が使ってこのブログを書いているPCを息子の友人のM君にセットアップしてもらう際に、

  1. どのような用途に使うのか
  2. 価格を優先するのか、それとも性能を優先するか
  3. コンパクトさを優先するのか、やや大きくても先の拡張性を優先するのか
  4. 希望のCPUはあるのか、メモリーやHDDの容量はどの程度必要か
  5. OSは何が希望なのか

など細かくいろいろなことを息子を介して”質問”してくれ、私もウインドウズ7の32ビット版と64ビット版との違いとか、今回のようにハードディスクが壊れた場合に”一番良い事前のバックアップの方法”とか数多く発した初歩の初歩の質問の答えを息子を通じて教えてもらいました。

M君がセットアップしてくれた日は、残念ながら私は仕事で、夜帰ってくると先の拡張性を優先してやや大きなPCケースを選択したため(20インチの16対9のディスプレーにしたこともありますが)「机の上には置けず”机の下”に置いて」ありました。
当然ながら2002年モデルのPCよりは”はるかに快適”で、今回クラッシュしたPCがいかに旧式化していたことを改めて実感しました。
M君の”実体験に基づいた実際的アドバイス”のおかげで、完成品を買うよりもコストパフォーマンスが良いのみならず”ハードとソフトの音痴”である私でも面白くて楽しいと感じられるPCを手に入れることができました。

後日書店で私のPCと同じCPUと、ほぼ同じマザーボードでほぼ同じ周辺機器で構成された自作PCの解説書が発売されているのを見つけ買いました。
M君の実体験に基づいた分かりやすい”解説とアドバイス”を息子を介して聞いていたので、興味を引かれ買ったのですが、二ヶ月前の私だったら到底考えられない事態でした。
そして読んでみると(分かりやすく書いてあったこともあり)、M君が意図したことの意味が何となく理解でき自作PCを身近に感じられるようになったのです。
そして現在PCの拡張だけでなく、将来自分でゼロから組んでみたいとも少しですがそんな心境になり始めています。


自作PCにはまったく興味の無かった私が、M君の実体験に基づいた分かりやすい”解説とアドバイス”のおかげで自作PCに興味と親しみを感じたように、「実体験に基づいた知識と自分自身が実感している面白さと楽しさを”客観性を保って”」エンドーユーザーの消費者の庶民の酒飲みに”解説とアドバイス”できる日本酒好きの人が一人でも多く増えて欲しいと私は思っています。
そして特に、求めれば蔵の人達とも”実体験を重ね深める”ことが出来、エンドーユーザーの消費者の庶民の酒飲みとも”実体験を重ね広げる”ことが出来、蔵とエンドユーザーの消費者と間の”有効で実際的なインターフェースになれる”日本酒を売る酒販店の立場の人に私は一人でも多くいて欲しいと願っています。
なぜなら、日本酒を売る酒販店という存在は、酒を造る蔵と酒蔵が造った酒を最終的にお金を支払って買い飲んでくれるエンドユーザーの消費者がなければ存在出来ないと私個人には強く思えるからです------------。