日本酒エリアN(庶民の酒飲みのブログ)gooブログ版  *生酛が生�瞼と表示されます

新潟淡麗辛口の蔵の人々と”庶民の酒飲み”の間で過ごした長い年月
(昭和五十年代~現在)を書き続けているブログです。

鶴の友について-2--番外編(吟醸会)

2008-02-24 22:17:36 | 鶴の友について

今回は、鶴の友について-2--番外編として、2月19日に開催された第87回の「吟醸会」のことについて書きます。 最初のころは年間4~5回、ここ10年は年間3回開かれている「吟醸会」は27年の”歴史”を持っています。

2008219_87_002 2008219_87_001 2008219_87_004 2008219_87_005 2008219_87_007 2008219_87_006



会員にはハガキで案内が来ますが、「来るもの拒まず、去るもの追わず」ですので希望すれば誰でも参加できます。(吟醸会の開かれるテルさんのお店につては、鶴の友について-2--NO9(北関東限定)を見てください。吟醸会の説明も書いてあります)
定休日の火曜日ということは決まっていますが、何日の火曜日というのは直前まで分からない場合もあるため、残念ながら都合がつかず参加できない人が私の周囲にもいますが、テルさんのお店に行ったことがない人でも気楽に参加できるのです。
今回は早めに連絡がきたのですが、それでも都合がつかず「泣く泣く出張に行った」私の友人もいます。
今回は、鰤シャブ、源鮭フライがメインでした。

鰤シャブは説明の必要はないと思われますが、当初からの古い「吟醸会」の会員である”源さん”が「趣味」で獲ってくる新鮮な鮭をフライにしたもの------それが「吟醸会」には欠かせない源鮭フライです。
2008219_87_012 2008219_87_013 2008219_87_015 2008219_87_010 2008219_87_016 2008219_87_020



そのほかに鰹の刺身、あんこうのとも酢、鰤のかま、鰤のはらみの握りなどがありました。
もちろん、あんこうはK浜港に上がった常磐ものです。この時期は少人数、大人数に関わらず宴会の料理にはあんこう鍋のリクエストが多いそうです。宴会でなくともあんこう鍋は提供できるそうですが、手間ひまがかかるため四人前からになるそうです。(あんこうのとも酢は一人前からで大丈夫です)どちらにしても都会のような”とんでもない価格”ではないので、私達庶民の酒飲みも安心して”あんこうの料理”を楽しめるのです。
2008219_87_014 2008219_87_008 2008219_87_012_2 2008219_87_019 2008219_87_017  

                             

 テルさんのお店でいつも出している日本酒は、〆張鶴 純、八海山吟醸、千代の光吟醸造り、鶴の友別撰の720mlびんですが、さらに冬の時期には千代の光しぼりたて生、國権の春一番(ふなぐち)が加わります。しかし「吟醸会」はそれにこだわらずに日本酒を楽しんでいるのですが、「いつも飲んでいる銘柄」を越える日本酒に出会える機会が多いとは言えません。それだけテルさんのお店のベースの日本酒のレベルが高いことの”証明”なのかも知れませんが-------。

今回の日本酒は、「吟醸会」の会員やテルさんのお店の常連の皆さんが出張や旅行先で買ってきて「吟醸会」にいただいた大吟醸、純米吟醸が6本ほどがありましたので、これでいこうということになりました。出席しているときの私の”役目”は、用意された酒の説明をすると同時に乾杯用の酒を選択し、お一人お一人酒用の小さめのグラスに注いでいくことです。

乾杯の酒には、ベースの酒の中から千代の光しぼりたて生を選びました。乾杯終了後は自由に栓があけられ好みの酒を飲みだします。美味い酒はすぐ無くなり、そうでない酒は余ります。結局、ベースの酒を4~5本追加して「吟醸会」は終了しました。

基本的な原則をきちんと踏まえた上での”遊び”が、テルさんのお店と「吟醸会」にはあります。
「こうしたらもっと面白いのではないか」、「ここまでやるとさらに楽しいのではないか」------そんな気持があふれています。 店内の写真の”木札”もそのひとつです。
この”木札”は、30年以上前のテルさんとテルさんの義兄でもある「吟醸会」のG来会長の”ささやかな遊び心”から始まったものです。それを見たテルさんのお店の常連が、「面白いから自分のも、費用は払うので作って欲しい」との”依頼”が数多くあり、それぞれ屋号や家紋、マークなどの意匠を凝らしたものをテルさんとG来会長が浅草に持っていって作ったものを、一枚、また一枚と掛けていって出来上がったものなのです。
”木札”もこれだけの枚数が揃い、そのほとんどが時間の流れを感じさせる”飴色”になっている「景色」は、”遊び心の塊”にしか造りだせない存在感があります。

鮨店の店主でありながら、若いころ、車の2級整備士でもあったと聞いているテルさんは車の趣味にも”遊び心”があります。 お互いに若いころ、私は自分で初めて買ったブルーバードの910SSSターボに長く乗っていましたが、テルさんはそのころまだ数が少なかった4WDの1BOXにサンドバギーを乗せて砂のある場所で楽しんでいました。
あるとき私も好きではなく、テルさんも好きとは聞いていなかったフォルクスワーゲンのビートルがテルさんの店に置いてあったのです。
「どうしたんですか?」と聞くと、「サンドバギーのレースに使っていたエンジンをデチューンして載せたビートルなんだが、乗ってみたら面白いので譲ってもらったんだ」との答えが返ってきました。「加速が凄いし、RRだから登り坂は最高に楽しい。良かったらその辺を走ってみたら-----。ただしレブリミッターが付いているけど、6500回転を超えるとエンジンが壊れるとチューナーに言われているので回転にだけは気をつけて-----」と気軽に貸し出してくれました。

テルさんのご好意はありがたかったのですが、市販車に装着されたターボとしては最初のころの”どっかんターボ”に慣れていた私は、”鈍重で古くて遅れている”というイメージしかビートルに持っていなかったので、やや馬鹿にしながら”カブト虫”に乗り込みました。
15分ほどゆっくり走って慣れてきた私は国道に出ました。その国道には、長さ数百メートルのけっこうきつい上り坂があったからです。
この坂でテルさんの言う加速を試そうと思い、上り坂の手前の信号が青になるのを待ちました。青になると同時に私は、初めてテルさんのビートルのアクセルを床まで踏み込みました。
するとビートルは猛然とダッシュをし始め、オーバーレブしないようにシフトアップするのが精一杯の状況になり、坂の途中でトップに入れたときには150キロになっており、慌ててアクセルを戻していました-----本当に冷や汗が流れました。

テルさんはにやにやしながら待っていました。聞いてみると出力178馬力で車重880kg、まるで軽トラックに3リッターのエンジンを積んだようなものだったのです。
この”カブト虫”には、嘘か本当なのか、ある”伝説”があります。
20年くらい前、高速道路を走っているときの話ですが、前を走る”カブト虫”をポンコツと侮ったスカイラインのGTRが「きわめて危ない失礼な抜き方」をしたとき、(そのとき”カブト虫”を運転していたのは誰かは定かではありませんが)軽く踏んでいたアクセルを4速で全開にした”カブト虫”が、スピードリミッターが効いて180キロで失速したスカイラインGTRを、オーバー200キロのスピードでぶち抜いたというものです------残念ながらかなり前に廃車になったこの”カブト虫”は、メンテナンスに手間も暇もお金もかかったようですが、それも含めて面白くて楽しいと思えないとできない”遊び”だったのかも知れません。

テルさんや「吟醸会」の人達は、車を名前やカタログのスペックだけで選ばないのと同様に、有名銘柄であることや大吟醸、純米吟醸というカタログのスペックでは酒を判断しません。
酒は飲んでみて美味いかどうかだからです。
大吟醸や純米のレッテルは美味いかどうかを保証しているわけではではないのです。
ましてテルさんや「吟醸会」の中核メンバーの常連は、ごくふつうに日常的に〆張鶴 純、千代の光吟醸造り、そして鶴の友の別撰を飲んでいるため無意識に自然に比較してしまうのです------いつも飲んでいる酒と比べて美味いかどうかを。

鶴の友別撰は、外見はふつうの本醸造です。大吟醸や純米吟醸のレッテルを見慣れた人には、”古くて見栄えのしないレッテル”の酒のように思えるのかも知れません。
しかし、1300CCのエンジンを1500CCにボウアップをすると同時にフライホイールなどのエンジン部品のほとんどが交換され、エンジンのバランスもシビアに調整し給排気系をすべて取り替え、電動ファン付きオイルクーラーの取り付けなどの空冷エンジンの冷却能力向上や、ノーマルの40馬力を大きく上回る178馬力を受け止められるサスペンションのチューニングをされた”カブト虫”が「ふつうの車」ではないように、鶴の友別撰は「ふつうの本醸造」ではないのです。

”カブト虫”がRやSのエンブレムが付いている”値段の高い車”を簡単に抜き去るように、鶴の友別撰は”値段の高い”大吟醸や純米吟醸とレッテルに書いてある酒を、あっさりと抜き去ってしまうのです。
それが酒が分かれば分かるほど痛感する鶴の友の”凄さの本質”なのです。

「吟醸会」は、正確に言うと、実は90回くらいになっています。
(前にも書いたと思いますが)なぜかと言うと、もともと「吟醸会」の名前の由来である吟醸酒を私一人で味わうのはあまりにもったいないと、テルさん、G力研究所のS高研究員、O川研究員を含めた4人で、非売品も含めた吟醸酒のみを比較して楽しんだ昭和五十年代半ばの「ささやかな会」がそのルーツなのです。
この時代は”庶民の酒飲み”にとっても「黄金の日々」だったのかも知れません。
関東信越国税局の鑑評会で、春秋連続で第一位に輝いたころの〆張鶴や千代の光の大吟醸、そして今は飲むことのできない高浜春男杜氏が全力投入した非売品の八海山の大吟醸を飲む機会を与えられ、そしてその大吟醸が造られる現場を見せてもらえる機会も与えられたのですから--------。
この「ささやかな会」が数回おこなわれたころ、G来会長に見つかってしまい「酒は美味い料理を囲んで大勢で楽しく飲むから面白いんだ。お前らだけでちまちまやるんじゃない」-----鶴の一声で現在の形になったのです。

私が平凡な人生を平凡に送ることが”目標”のつまらない男だったせいか、なぜか私は”規格外”の人生を送る”先輩”に恵まれています。
G来会長は高校の大先輩でもあったのですが、ちん、とん、しゃん系の遊びの中で鍛えられた軽妙洒脱な人柄も、”破天荒”な仕事の実績も早福岩男さんによく似た大変魅力のある人です。 G来会長のお供をして、吉原にあるしもたや風のもんじゃの店や浅草や向島の小料理屋に行ったことも若いころあったのですが、まるでテルさんの店や地元の料飲店にいるかのように、笑いの絶えないG来会長の周囲には人が吸い寄せられ、一度帰った人まで知らせを聞いて戻ってくるという具合でした。 テルさんの店や他の地元の料飲店で聞かせてもらったG来会長の若いころの”失敗談”は、それこそ抱腹絶倒で本当に笑い転げたものです。
G来会長には、昔も今も「説教らしい説教」はされたことはありませんが、笑い話そのものや笑い話と笑い話の”間の話”や行動で、私に限らずS高、O川研究員も含めての当時の”若手”は大事なことを教えてもらい育ててもらったと思っています。

昭和五十年代前半から、車の免許に例えると、〆張鶴の宮尾行男専務(現社長)、千代の光の池田哲郎常務(現社長)、早福岩男早福酒食品店社長(現会長)に当時の最先端の”学科”を見せていただき、テルさんやG来会長を始め「吟醸会」の皆さんに「先輩が後輩の面倒をみるのが、自分がお世話になった先輩への恩返し」------というありがたい”文化”の中で”実際の車の運転の仕方”を学べたことは、私にとって本当に幸運でした。
そのおかげで、昭和五十年代半ばに鶴の友の樋木尚一郎社長に初めてお会いしたとき、「酒は面白くて楽しいもの」、「酒は庶民の傍らにある楽しみ」------ある意味で当たり前のことでしたが当時の拡大局面の新潟淡麗辛口では”異端”とも言えた「鶴の友の哲学」を、自分に分かる範囲という限定的なものでしたが、自分の中に受け入れることが可能になったと思われます。その後の鶴の友の樋木社長から受けた影響の大きさを振り返ると、この「吟醸会」の皆さんの存在は私にとって本当にありがたいことでした。

「遊びは”無駄の塊”だ。だから”遊び”に効率や利害や損得は存在しない。でも、仕事や私生活では残念ながら皆んな利害や損得、効率に追われてまくっている。だから日常の中にほんの一部でいいから”無駄の塊”の遊びが欲しいと思っているんだ。ほんのひととき”無駄の塊”の遊びに熱中してほっとしたいんだ。Nよ、酒は庶民の楽しみの”遊び”のひとつだろう。お前の言うとうり、新潟淡麗辛口は本当に凄いものだとしてもお前の”つまらない講義”を聞いて飲みたいとは俺は思わない。今まで俺が飲んできた酒より新潟の酒が面白くて楽しいというなら、それを皆んなに見える形で見せてみろ。Nよ、お前がそれをやると言うなら俺もテルも手助けはするよ」------G来会長にこう言われた私は、どうしたら楽しいと思ってもらえるか、どうやったらより面白いかを考えながら「吟醸会」に参加していたのですが、いつの間にか、酒のことを”自分の言葉”で話すのが、酒の周囲(料理や器など)のことも”自分の好み”を話すのが、大好きになっている自分自身に気がついたのです。 そして専門用語をほとんど使わない私のほうが、専門用語の”羅列”しか語れなかった以前の私よりも、酒の面白さと楽しさを分かってもらえている事にも気がついたのです。

「吟醸会」はとりあえず100回をひとつの目標にしています。思えばよくここまで続いたものです。 若かった私も最初に会ったころのG来会長の年齢を超えてしまっています。G来会長が我々にしてくれたことのお返しを、自分達の後輩にできているのだろうかと考えると、忸怩たる思いで一杯になりますが、自分のできる範囲でやれることはやろうとの気持は、いくらおそまつな”極楽トンボ”の私であっても捨ててはいません。
私はあらゆる機会をとらえて、「面白くて楽しい」身近にある遊びとしての酒を”語る”ことを続けていきたいと思っています。
テルさんの鮨店もG来会長の豪快な笑顔がいつも見れる「吟醸会」も、お店の場所が特定でき足を運べる北関東の”庶民の酒飲み”にはドアが開かれています。ぜひ一度そのドアをたたいてみることをお薦めします。


大黒正宗について--NO1

2008-02-12 23:56:34 | 大黒正宗について

鶴の友について-2を書き終えて”冬眠”に入った私は、残念ながら今年も造りの時期に新潟にも他の蔵にも行けずに、ただ”冬眠”していいます。 私なりに、長い間感じてきた鶴の友のことを、おそまつで能天気な私に分かる範囲で書けたと思えたため、ただひたすら”冬眠”を貪っておりますが、一時的に”冬眠”を中止して、またその後で”冬眠”に戻ろうかと思っています。

鶴の友について-2を書いてる間も、〆張鶴や千代の光、南会津の國権の各蔵との「交流の思い出」が頭の中に存在していたのですが、十年近く直接お話を伺う機会に恵まれず、鶴の友の樋木尚一郎蔵元に比べ、自分の目で見た「リアルタイムの情報」が不足しているため、書きにくい状況にありました。 〆張鶴や千代の光、國権については、本当に久しぶりになってしまうのですが、直接蔵に行かせていただき”蔵の今”を見たうえでないと書きにくいと感じておりますので、”本格的な冬眠明け”の後でと考えております。今回は、大黒正宗というお酒について書かせていただきます。

私は、大黒正宗という蔵とはまったく”縁”が無い状況で過ごしてきました。その意味で私は、大黒正宗を”語る資格”はありません。その私が「大黒正宗について」を書こうとしているのは以下の理由からです。

新潟淡麗辛口の人の”縁”から、尼崎の山本酒店山本正和さんから大黒正宗を送っていだき飲ませていただく機会にめぐまれたこと。

一人のエンドユーザーの消費者として、大黒正宗について感じることがあったため。

電話で話を伺う山本さんの、大黒正宗についての”熱い気持”の根底に震災の存在を感じたため。

この「大黒正宗について」は「鶴の友について」とは違い、酒自体と山本さんから伺ったことをベースにした私個人の”感想”という個人的見解であり、蔵の状況やお考えをほとんど知らない状態で、エンドユーザーの消費者の一人という視点で書かれたものであることを最初にお断りしておきます。

神戸という街は、日本酒にとって灘に代表されるナショナルブランド(NB)の本拠地であり、大きな存在感がある場所でもありますが、そのため逆に新潟市民にとっての鶴の友のような”地酒”が存在し難い地域と、私は長い間感じてきました。 三十年以上前、灘、伏見のNBのアンチテーゼとして誕生した新潟淡麗辛口を主力銘柄としてきた私は、酒販店時代も最後までNBを取り扱い、現在もNBの酒質の平均レベルの高さを評価していますが、灘に鶴の友のような”地酒”の蔵が存在できるはずがないと考えてきました。それゆえ私は、まったく”灘の地酒”に関心を持つことなく過してきました。

山本さんに最初に送っていただいたのは、大黒正宗(本醸造、原酒)だったと記憶しています。その時点で、大黒正宗には本醸造、しぼりたたて生、大吟醸のすべての市販酒が原酒で、しぼりたたて生以外は2~3年の貯蔵熟成を経て出荷されていることを聞いていました。本醸造原酒だと18~18.5%のアルコール度数になり、加水された15.5~16%の通常の本醸造に比べると”飲みにくく”なるのがふつうです。 〆張鶴も、千代の光も12月~1月にかけてしぼりたて生原酒を発売していますが、それは造りたてのフレッシュさを楽しむためであり通年販売しているわけでもなく、その販売数量も全販売数量の一桁の%でしかありません。

昭和五十年代後半、〆張鶴の宮尾行男専務(現社長)に、「もしあえて生原酒を貯蔵するとしたら、温度で酵母を押さえ込むマイナス2度~0度が望ましい」------あえて生原酒を長く貯蔵するとしたらどのくらいの温度がいいかという”私のお馬鹿な質問”の答えとして教えていただいたことがあります。 極楽とんぼで能天気な私は、単純に「生原酒を貯蔵したらどうなるのだろう。やってみたら面白そうだから-----」というような”軽い気持”でお聞きしたのですが、苦笑いを浮かべながらも〆張鶴の宮尾行男専務(現社長)は答えてくださいました。

私は”遊び的感覚”で、その温度で〆張鶴と千代の光の生原酒を6年貯蔵したことがあります。それは”遊び”としては楽しいものでした。

詳しい技術的なことは私は分かりませんので間違っているかも知れませんが、私の”感覚”では、温度で押さえ込まれた酵母が死にはしないが”冬眠状態”に近い状況になり、その結果他のもう少し高い温度(5~6度)で貯蔵するより熟成(あるいは変化)のスピードが極端に遅くなる------そのように感じたのです。 「吟醸会」(鶴の友について-2--NO9に書いてあります)の長老格の鮮魚問屋のM屋さんの、冷凍した魚をゆっくり解凍するための氷温の”解凍庫”に1年置かせてもらった生原酒と、当時酒販店だった私の店のリーチインクーラーに1年置いた生原酒の味は明らかに違っていましたし、届いたばかりの新酒の生原酒と比べるとその違いはさらに顕著なものだったのです。

その後5年間、毎年”解凍庫”に貯蔵したものと新酒を比べる”楽しさ”を、私は「吟醸会」の仲間や来店されるお客様と一緒に楽しむことができたのです。今もM屋さんの”解凍庫”には、2~5年ものの生原酒が数本貯蔵されています。

生原酒は理想的な温度で貯蔵された場合、時間がたつほど当然ながら荒さ(フレッシュさ)が薄れてきます。アルコール度数の高さを感じさせず、やわらかさ、舌触りの良さの”厚み”が増し味全体が洗練されてきます。そして切れがいいタイプの生原酒の場合は、アルコール度数が低くなったような”軽快さ”が、舌触りの良さの”厚み”をより強調するようになります。

6年ものの最後の1本(たぶん〆張鶴のしぼりたて生原酒)が一升瓶の五分の一になったころ、酒の飲めない中東の国に3年行くという地元のH製作所に勤務されている方が来店されました。「当分飲めないので、国内にいるうちに一緒に行く仲間と飲み納めをしたいので-----」2~3本美味い酒が欲しいとのことでした。気の毒に思った私は試飲をしてもらったうえで、自分の”コレクション用”にとってあった酒も含めて3本をお買い上げいただきました。大変に喜んでいただいたせいか、帰り際にふと思いついて6年ものを試飲してもらうことにしました。 「これは〆張鶴のしぼりたて生原酒を、理想的な温度で6年間貯蔵したものの最後の1本です。私のような貧乏人も大金持ちも、時間は平等です。100万円出そうが1000万円出そうが時間を買うことはできません。この酒はその時間を贅沢に使った”遊び、道楽”だけしか出せない味になっています。ここまで少なくなると私もまるで吝嗇漢になったような心境で、ふだんは冷蔵庫の奥にしまい込んでいるのですが、飲んでみますか」------もちろんこんな申し出を断る酒飲みは存在しません。

一口飲んでもらい帰っていただこうと思っていたのですが、飲んだ後に感に堪えぬ表情をされたこのお客様は申し訳なさそうに、「もう一杯いただいてもいいでしょうか」と言われ、さらにその一杯を飲んだ後でその言葉がもう一度繰り返されました。どうも私は吝嗇漢にはなれないようで、「分かりました。私にとっても本当に貴重な酒ですが、餞別がわりに差し上げます」と言うと、大変に喜ばれ買ったはずの3本の酒を”置き忘れ”、このお客様は6年ものの最後の1本を大事に抱え走って帰った------という笑い話のような思い出も生原酒にはありました。(もちろん後で、頭を掻きながら恥ずかしそうに忘れ物を取りに再度来店されましたが-----)

この話を後日、千代の光の池田哲郎常務(現社長)にしたところ、「しぼりたて生原酒はすぐに飲んでもらうのが前提の酒だ。Nさんが販売するつもりがなく貯蔵していることであっても蔵としては不本意だ」とお叱りを受けました。蔵元としては当然の”懸念”です。安易にやるべきではないし、何かあったら自分が責任を取るつもりがないとできないことです。しかし私は6年の生原酒の貯蔵のおかげで勉強になりましたし、それ以上に酒の楽しさと面白さを私自身だけではなく周囲の庶民の酒飲みと一緒に味わうことができた、貴重な経験でした。

「前置きの話」としては長くなりましたが、原酒は加水された酒には無い面白さが有り、”遊べる”楽しさもありますが、飲む側にも飲み手としての”能力”を要求されるためその「魅力を味わえる人」が限定されてしまいます。

日本酒の最大の”武器(魅力)”は、「多彩な和食」を1本で受け止められる、むしろ”和食のパートのひとつ”とさえ言える、和食にとって理想的な「食中酒」という点にあると、私個人は感じています。

原酒は、「多彩な和食」を受け止められるのでしょうか? 残念ながら、答えは否だと私個人は思っています。 皮肉なことに、優れた原酒ほど「食べ物」を必要とせず、「食べ物」の存在がむしろ原酒の魅力を邪魔してしまうのです。原酒は原酒だけで”その味”が成立してしまうように、私には感じられます。 洋食と和食の違いは何でしょうか-----濃い味付けの洋食を大好きな人でも、毎日3食1ヶ月食べ続けたら”食べ飽きる”と思われます。和食は多彩なだけではなく、長年食べ続けても”食べ飽きる”ことはありません。多彩であり、食べ飽きることもなく健康的でもある-----海外で「和食」が拡大し続け、それに伴い日本酒の需要が急激に拡大している海外の現状は、国内から眺めると”皮肉”としか言いようがありません。

和食にとって、理想的な「食中酒」の日本酒の代わりになるアルコール飲料はありません。ビールやワイン、焼酎やウイスキーなどの蒸留酒の魅力と価値を私自身も十分に分かっているつもりですが、和食にとって理想的な「食中酒」という点では「帯に短し、たすきに長し」なのです。

大黒正宗は、洗米、浸漬の段階から蒸し、製麹、酛、醪にいたるまで通常の本醸造のレベルではない、吟醸酒のレベルの”手間暇のかかる”ていねいな造り方をされていることを、まず感じます。 協会10号酵母、新潟県産五百万石、低温発酵によって造りだされた新潟淡麗辛口を30年にわたって飲ませていただいている私にも、大黒正宗の切れの良さは否定できません。本醸造に許された、原料白米1トン当たり100%換算で116リットル以下のアルコール添加も、おそらく80リットル以下(あるいはそれ以下)に押さえられているように私は感じましたが、粕歩合が40%前後に”なってしまう造り”をしない限りあの切れの良さは出ないと思われます。

切れが良いため、新潟淡麗辛口が鶴の友のようなごく一部の蔵しか持ち得ない味の幅と厚みがあってもくどいと感じることは無く、その味の厚みが2~3年の貯蔵熟成を経てむしろアドバンテージになっています。造りそのものにもコストがかかっていると思われますが、さらに2~3年の貯蔵熟成をすることでそのコストは倍加しており、200石と地元神戸の新聞に書いてあった販売石数から見るとかなりの赤字額と想像できます。小さい造りの中で、ここまでコストを掛けて造り続けているのには、蔵元の強い思いがあってのことと私にも想像がつきますが、その思いは現在の大黒正宗という酒をとうしては、神戸や兵庫県の”庶民の酒飲み”に残念ながら伝わり難い状況にあるのではないかと私には感じられてなりません。

原酒しかないということが、大黒正宗と神戸や兵庫県の”庶民の酒飲み”の間の壁になっている------私にはそう思えてならないのです。 本来もっと多くの”庶民の酒飲み”に喜んで飲まれるべき良心的な酒でありながら、原酒であることが「原酒でもそのレベルの高さが分かる少数の人」に制限しています。原酒であることが、和食にとって理想的な「食中酒」という日本酒本来の武器で戦う”戦場”への登場をとどめ、”狭い戦場”で戦わざるを得ない状況を造りだしているように思えてならないのです。

もちろん原酒であることに、強いこだわりを蔵がお持ちであることは私にも想像できます。それは原則として保持されるべきだと私にも感じられますが、全体の5~10%(千代の光の原酒での販売の割合)程度は加水された大黒正宗が、エンドユーザーのふつうの消費者のために、あってもいいのではないかと思うのです。

加水した大黒正宗はおそらく軽快さが増し飲みやすくなるとともに、その味が崩れることなく切れの良さがいっそうその味わいを強調し、さほど酒に詳しくないエンドユーザーの消費者にもそのレベルの高さが分かり易くなると思われます。

蔵元には大変申し訳ないのですが、一度加水した大黒正宗を試験的にでも出していただき神戸のエンドユーザーの消費者の反応に、ぜひ耳を傾けていだだきたいと私個人は切望しております。そしてそれが、震災の後に困難な蔵の再開を果たし現在まで赤字という犠牲を払いながら造り続けてきた蔵元の”思い”が、神戸のエンドユーザーの消費者に伝わる「最善の方法のひとつ」だと私には思われてならないからです。

北関東の住人の私には、たぶん本当には分からないと思われますが、大黒正宗の蔵元にも山本さんを始めとする地元神戸(兵庫県)の少数の取り扱い酒販店の皆さんにも、程度の差こそあれ「震災の記憶」が存在しているように感じられます。大黒正宗の蔵元も正規取り扱い店の酒販店も、他の地域の人達(たとえば関東)に比べエンドユーザーの消費者との”距離”が少し近いように思われます。たぶんそれは、エンドユーザーの消費者も「震災」をともに体験した”仲間”だからなのかも知れません。 仮にもしそうだとしても、根本の気持に変わりがなくても、復興の年月の時間の流れの中でお互いに少しづつ”距離”が離れていくのも現実だと思われます。 だからこそ蔵も酒販店も、エンドユーザーの消費者との”距離”を縮める努力が、「震災」の時より現在のほうがより必要になっている------何も分からない”部外者”の勝手な感想ですが、私はそう感じています。

その「誰もが分かりやすい」努力のひとつとして、蔵と酒販店が協力して「日本酒本来の戦場」で戦える”加水された大黒正宗”を販売されることを、日本酒のファンの一人として私自身も楽しみに待っていますが、それを一番待っているのは神戸や兵庫県のエンドユーザーの消費者ではないのか------私にはそう思われてなりません。そして大黒正宗が、鶴の友のように地元のエンドユーザーの消費者を一番大切に思う蔵であって欲しいし、「震災の記憶を共有」する神戸や兵庫県の”庶民の酒飲み”に、日常的で身近な酒の面白さと楽しさを与えてくれる蔵になって欲しいとも私は思っています。 今はごく少数かもしれませんが蔵と大黒正宗という酒に、強い愛着を持つ酒販店とエンドユーザーの消費者に恵まれているからこそ、そんな蔵になれる可能性がある-----私にはそう思えてならないのです。そして加水された大黒正宗の発売が、その大きなな前進の一歩になるような気がしてならないのです。

追記

北関東の住民である私は、大黒正宗のファンの地元の”庶民の酒飲み”を直接知ることはできません。私が書いたことはあるいは「的外れ」なのかも知れません。そこで大変申し訳ありませんが、加水された大黒正宗の発売についてどう思われるか大黒正宗のファンの地元兵庫県のエンドユーザーの消費者のご感想を、お手数でもこの記事のコメント欄に書き込んでいただければ大変助かります。よろしくお願い申し上げます。