4月24日(水)に久しぶりに吟醸会が開かれました。
多少の“誤差や勘違い”もあるかも知れませんが、第98回の吟醸会です。
上記の写真はテルさんの鮨店の入り口です、そして入り口を入ると
こんな“景色”が迎えてくれます。
今回はG来会長の“強い要望”でやや早めに日程が決まっていたため私も何んとか休みがとれたため、前回とは異なり、18時半のかなり前に到着 していました。
吟醸会における私の“主な役目”は、乾杯の酒の選定と状況に応じた飲む酒の“スムーズな搬入”ですが、今回は乾杯の酒が極めて貴重だったため
早く行く必要があったのです。
上記の写真が今回の乾杯の酒なのですが、吟醸会の会員でも私やテルさん、G来会長やS高・O川研究員などの古手の会員しか「リアルタイムで飲んだ経験が無い」、〆張鶴 大吟醸 1.8L 平成2年11月瓶詰の(平成元年BY)---------二十数年冷蔵保存したたった1本しか存在しない“本当に貴重な酒”だったため私としても万全を期したかったのです。
昭和五十年代前半より年一度飲ませて頂いてきたこの〆張鶴・大吟醸は、少なくとも平成5~6年ごろまでは、関東信越国税局の鑑評会で春夏連続で首席第一位や全国新酒鑑評会で金賞などの結果を生み出した--------鑑評会のためだけに造られた出品酒をそのまま瓶詰めしたものでした。
当時の私のこの大吟醸の実績割り当ては1.8Lで6本、720MLで60本で
自分用を確保するのも簡単でなかったほど素晴らしい酒質の大吟醸だったのです。
「どこも引っ込まずどこも出張っていない、食べ物の邪魔をせずに包み込んで自然なバランスを造り出し、それゆえ飲み飽きをすることもない」----------当時私達が感じていた〆張鶴の“バランス美の極致”を誰もが一番分かり易い“かたち”で体現していたのがこの大吟醸だったのです。
そんな〆張鶴・大吟醸がなぜテルさんの鮨店の冷蔵庫で二十数年をすごしたのか?
国税庁醸造試験場(当時)の新酒鑑評会の金賞入賞の基準が変ってしまい、私たちが慣れ親しみ素晴らしいと感激していた平成元年までの淡麗辛口の極限の〆張鶴・大吟醸の“かたち”のままでは金賞入賞が不可能になったため、〆張鶴・宮尾酒造も(もちろん藤井正継杜氏)もまるで別な酒のように感じられるまでの“酒質設計の変更”をせざるを得なかった------------その結果やや極端な言い方をすると、前年までスバルインプレッサWRX-STIだと思っていた車がトヨタのランドクルーザーに近い印象をまとって登場したための戸惑いがあったからだと思われます。
〆張鶴のイメージを代表する純(純米)の酒質は変わることがなかったため逆に戸惑いが大きく、その結果(今では大変ありがたいことだったのですが)6本のうちの1本が奇跡的に残ったのです。
一万円以上のお金を出して全国新酒鑑評会金賞受賞酒を買われる方がいらっしゃるかも知れませんので、念のため書き添えます。
全国新酒鑑評会金賞受賞酒の肩書きは、必ずしも飲んでみての美味さを“保障”しているわけではありません。
かつては国税庁の醸造試験場(現在は独立行政法人酒類総合研究所)の専門家の先生方が「大吟醸はこうあるべき」と決めた基準と同じように造れた大吟醸が入賞酒であり金賞受賞酒なのです--------標準的な水準を上回る酒造技術は担保されていますが、その美味さは酒造りの研究者や技術者が美味いと思う味であり庶民の酒飲みが思う一般的な美味さとは異なるのです。
私個人は、平成になるまで全国新酒鑑評会金賞受賞酒の審査基準と庶民の酒飲みの美味さの基準には海と堤防の高さの差しかなかったと思われるのですが、残念ながら、現在は大きくかけ離れているように思われます。
造る側から見た酒質だけではなく、飲む側のごく普通の酒飲みが「この美味さで晩酌で飲めるこの価格なら喜んで買う」---------エンドユーザーの消費者の「声な無き声」をどれだけ汲み取った酒質と価格を実現出来るかに日本酒の未来は左右される----------私はそう感じざるを得ないのです。
上の写真の國権は8年古酒の大吟醸をテルさんがさらに4~5年貯蔵したものです。
下の〆張鶴、國権以外の吟醸酒は会員の皆様に頂いたもので、この5本以外にも数本の酒を投入しました。
前置きが長過ぎると“批判の声”が聞こえてきそうなので、そろそろ〆張鶴 大吟醸 1.8L 平成2年11月瓶詰を飲んだ“感想”を書きます。
「さすが〆張鶴、やっぱり凄い」の一言に尽きます。
二十数年もたっているのに香りにも微かな変化しかなく、含み香も十分にあり全体の味わいはまろやかでありながら味全体を支える土台はまったく崩れていないのです-----そして全体の印象はもう飲めることは無いと思っていた、懐かしい昭和五十年代の〆張鶴・大吟醸の味わいだったのです。
上記の写真(クリックすると拡大できます)は以前に写したものですが、右は数量限定ですが発売されている鶴の友・特撰です-----------------他の蔵の“ふつうの大吟醸”より美味いと私個人には思える、鶴の友の中でも一番コストパフォーマンスが良いものなのですが、全部で数千本しか発売されないため鶴の友の中でも手に入れ難いという致命的な“欠点”があります。
しかし同時に鶴の友・樋木酒造の、鑑評会への出品大吟醸の“かたち”が窺えるという、きわめて稀な“長所”をもあわせ持っているのです。
ちなみに真ん中と左の鶴の友はお金では買えない非売品で、詰められる本数もきわめて少なく蔵の外にはほとんど出ることの無い“樋木家の鶴の友”なのです。
私はかつて、“この鶴の友3本”を同時に試飲させて頂くという『至福の時間』を経験したことがあるのですが、今回の〆張鶴・大吟醸を味わったことは、昭和五十年代前半から〆張鶴・宮尾酒造を知る(もちろん私もですが)テルさんやS高、O川研究員や古い吟醸会のメンバーにとってたとえ小さいグラスの半分しか飲めなくても、当時に思いをはせる『幸せな一瞬』だったのです。
鶴の友・樋木酒造と〆張鶴・宮尾酒造--------どちらも私にとって若いころから何回も行かせて頂いた『居心地の良い“場所”でもあり懐かしい“場所”』でもあります。
現在の鶴の友・樋木酒造と〆張鶴・宮尾酒造は、同じ新潟県に在りながらも、“まったく違った蔵”との印象を持たれる方が大多数と思われます。
新潟市の地酒に徹しきわめて少ない正規取扱店しか無い鶴の友・樋木酒造、ひとつの県に数店舗しかなくてもほぼ全国に正規取扱店がある〆張鶴・宮尾酒造----------むしろ“正反対の蔵”と思うほうが自然なのかも知れません。
四十年前に比べ約半分まで販売量が減った鶴の友・樋木酒造、約三倍に販売量が増えた〆張鶴・宮尾酒造--------現在も“庭の豊かな緑”も含めて蔵の佇まいがほとんど変わっていない鶴の友・樋木酒造、大きく醸造石数が増えたため蔵の内部が以前の面影が見当たらないほど変貌した〆張鶴・宮尾酒造--------確かに“かなりの違い”があることは私なりによく分かっているつもりです。
しかしそれでも、同じようなアングルで写した蔵の正面の入り口の写真が違いの中にも“共通する何か”を感じさせるように、同じ部分というか『同じ頑固さ』を私個人は感じてきたのです。
鶴の友・樋木酒造と〆張鶴・宮尾酒造の差異と共通する点については、少し長い記事ですが、
國権について--NO4(http://blog.goo.ne.jp/sakefan2005/d/20090404)
に詳しく書いてありますので見ていただければ助かります。
平成2年の〆張鶴大吟醸について、今思うと穴ががあったら入りたいと思うほどの発言を、おそまつで能天気な私は当時宮尾隆吉前社長と宮尾行男現社長にしてしまった“明確な記憶”があります。
「〆張鶴ほど評価の確立した蔵に、飲む人達の評価のきわめて高い大吟醸の“かたち”を変えてまで全国新酒鑑評会金賞受賞を狙う必要性があるのでしょうか」--------おそまつで能天気なだけではなく、何も分からない若造のくせに生意気な発言だと現在の私自身でも激怒すると思うような発言ですが、おふたりには笑ってお許しいただいたような記憶がありますが、二十数年を経た〆張鶴大吟醸そのものに今回強いお叱りを受けたような気がしています。
風間杜氏から樋口杜氏に受け継がれた鶴の友が樋木尚一郎社長の強い意思で“その根幹”が変わっていないように、昭和五十年代前半に故宮尾隆吉前社長、宮尾行男現社長そして藤井正継前杜氏が造りだした“〆張鶴の根幹”が、国税庁醸造試験場(当時)の新酒鑑評会の金賞入賞の基準が変ってしまったため“そのかたち”を変えざるを得なかった平成2年の大吟醸にもしっかりと存在しており、私の当時の発言は“二重の意味で不当”だったと大反省させられ、空になった〆張鶴大吟醸に深く頭を下げたい心境になったのです----------。