
2005年に書き始めたこのブログを2018年にも書いていることにある種の感慨が私にはあります。
ここ数年は書く記事の本数が少ないのですが、それでもここまで書き続けることになるとは想像できませんでした。
更新回数も少なく記事も長く読み難いにも関わらず、本人としては申し訳ないのですが、訪れる人が少なくないのがここまで書き続けた理由の大きな一つなのかも知れません。
毎年書いているような気がするのですが、今年はもう少し“勤勉”に記事を書いていきたいと思っています。
昨年の12月に読売新聞に獺祭の広告が大きく掲載されました。
「お願いです。高く買わないでください」と書かれていました。
私がネットで見る限りでは“好意的な評価”が多かったのですが、私個人はやはり“違和感”を感じざるを得ないのです。
なぜなら獺祭には正規販売価格で32400円(720ml)のフラグシップの大吟醸も有りますし、「オール山田錦で大吟醸酒以上しか造っていない」という方針は“企業”として“高単価”を志向してきた証明だからです。
もちろん私自身も正規の価格をはるかに上回る価格で売られているという“事実自体”には強い怒りを感じています。
しかし広告に出ていた“比較的安い下のクラスの獺祭”でも、(正規の価格であっても)庶民の酒飲みが「気楽に晩酌で飲める」価格ではありません。
「大吟醸は晩酌で飲む酒ではない」という反論が飛んでくるのも承知の上ですが「手に入り難い、高酒質高単価の酒」というイメージを獺祭が纏っていたことも私個人には事実だと思われるのです---------それゆえ私自身は“違和感”を感じざるを得ないのです。

なぜ私が獺祭の広告に“違和感”を感じるのか?
たぶんそれは、昭和五十年代前半より現在に至るまで鶴の友・樋木酒造を身近に感じ見続けてきたことが原因だと思われます。
鶴の友・樋木酒造は、獺祭・旭酒造のアンチテーゼと言えるほどあらゆる面で正反対の蔵です。
製造石数も800石以下と30000~50000石の間と言われている獺祭・旭酒造とは比べられないほど小さい蔵で、蔵の建物も住居も文化庁の有形文化財に指定されており(その制約で)造る酒の量が減ることはあっても増えることはない蔵です。
しかも壜詰めもレッテル貼りも1本、1本人間の手で行なっておりある意味できわめて“非効率な蔵”ですが、その分“丁寧に手間をかけて”造られているとも言えます。
上記の写真は、お歳暮として親戚、諸先輩、友人に差し上げたり自分自身で楽しませて頂く鶴の友ですが、市販大吟醸の上々の諸白や非売品の大吟醸のレッテルには“大吟醸とは書いて無く”、特撰には吟醸酒とは書いてありません。
また上記の写真には無い別撰や上白は本醸造ですが本醸造とは書いてありません(さすがに純米は純米と書いてありますが------)。
米の種類も精米歩合も書いてありませんが米は五百万石を中心に越淡麗、山田錦も使用しています、平均精米歩合は一番価格の安い上白でも60%に近い水準まで磨いています。
鶴の友はコストの高い酒造好適米もふんだんに使い手間をかけた丁寧な造りの酒質の高さに定評がありながらも寒梅や久保田の同等品と比べ価格が1割以上安いのです--------特に特撰はコストパフォーマンスがきわめて高い超お買い得な酒です。
その鶴の友を醸し出す樋口宗由杜氏は鶴の友の杜氏として16年目を迎えるベテランですが年齢は46歳と若い“ニュータイプの杜氏”とも言うべき存在です。
樋口宗由杜氏は新潟の出身でもなく酒造業界の関係者でもありません。
若い頃アルバイト先で飲んだ吟醸酒の魅力に惹かれ“酒造りの世界”に飛び込んだ“素人”で、中越の蔵に所属し新潟清酒学校で酒造りを学び平成11年に鶴の友に入り4年間の風間前杜氏の薫陶を受け15年に杜氏に就任したというのが経歴です。
鶴の友・樋木酒造は何回も書いているように蔵・住居が有形文化財で“伝統を大事にする蔵”ですが、同時に“破天荒なほどの革新的な蔵”でもあるのです。
上記の樋口杜氏は平均年齢80歳の数々の実績を誇った“超高齢軍団”に代わり鶴の友の造りを受け継いだのですが、(前杜氏の風間杜氏のサポートを受けていたとしても)樋口杜氏ともう一人以外の三人は樋口杜氏が若いころのアルバイトの仲間という“まったくの素人”だったのです。
今客観的に振り返ると、新潟清酒学校と新潟県醸造試験場があった新潟だから可能性がゼロではなかったと思えるのですが、それでもリスクが極めて大きい決断でした。
鶴の友・樋木尚一郎社長のこの決断が今後三十年以上酒を造り続けられる、“徒弟制度の酒造り”の欠片も無い“平成の時代の酒造り”のチームを造りだしたのです。
現在平成生まれが二人いる鶴の友の酒造りのチームは“酒造りの関係者や新潟県民”以外であっても受け入れてきました。
3年くらいでひととうり酒造りの各パートをこなし2級酒造技能士になりその後さらに各パートをより深く知り、杜氏が引退し後継者が居なくなった蔵の製造責任者として数名を送り出していくつかの小さな蔵の廃業を回避する手伝いをした、“業界の常識”では有り得ない「小さい蔵のための酒造技術者を“拡大再生産”できる希少な蔵」になっているのです。
しかもこのチームはメンバーが入れ替わりながらも全国鑑評会の金賞、越後流選手権の一位、関東信越国税局鑑評会の第一位というトップエンドの酒質でも結果を出し続け、価格の一番安い上白(二千円以下)でも価格をはるかに上回る酒質の高さを維持し庶民の酒飲みを“幸せな気持ち”にさせているのです----------。

上記は暮れに送って頂いている新潟の酒です。
〆張鶴も千代の光も鶴の友も四十年近い(酒販店時代+会社員の現在も含め)お付き合いをさせて頂いております。
〆張鶴を飲むときは宮尾行男会長、千代の光を飲むときは池田哲郎社長、鶴の友を飲むときは樋木尚一郎社長の顔が自然に浮かび色々な“思い出”が脳裏を駆け巡ります。
この三つの蔵の酒は晩酌で毎日飲める一番価格の安い酒でもきわめて美味く、“値段以上の価値”があり買ったことを“後悔”しない貴重な酒蔵の酒です。
もしこの記事を見られた方で〆張鶴・純、千代の光・吟醸造り、鶴の友・特撰を飲む機会に恵まれましたら、できれば獺祭と比べて飲まれることをお願いいたします----------そうして頂ければ、私が獺祭に感じている“違和感の一端”を具体的にご理解頂けるのではないかと思われるからです---------------。