青春の思い出はほろ苦く
仕事の手を休め静かにすするコーヒーは、日本茶と違い、また格別の味がする。
日本人の生活に馴染んでしまったコーヒーも、ほんの一昔前まではハイカラとダンデイを象徴する言葉の一つだった。
『両国橋を渡りしが停車場の食堂に来て珈琲を飲む」(小泉千樫『屋根の上』)。大正四年の作、
その当時は珈琲を飲むという言葉は、それだけで十分歌になった時代である。
コーヒーの味と香り、その色合いは、妙に感性をとぎすませたりもする。
「ふるさとの訛りなくせし友といて珈琲はかくまでにがし」(寺山修司『空には本』
喫茶店の隅で語らいもなくもなくて含むカップの液体は、底に互いに心の深淵をのぞかせて苦い。
珈琲や夏のゆうぐれながかりき(日野草城)
盛んに外来語を用いた俳人の作だが「コーヒー」と記したのでは、なあまぬるすぎて
暑さもことさらに耐えがたかろう。
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はなしをかえて少しの間七五三の招待を受けて東京にいきます。
娘の長男五歳の祝いです。