山口二郎教授(北海道大学教授)の見解です。
フクシマ原発事故を受けて日本のエネルギー政策をどうすべきか、また、2大政党制の限界、混乱に関しても触れています。なかなか面白い意見ですのでご紹介します。
山口教授は民主党菅内閣のブレーンでした。(過去形)
福島第1原発の事故以来、日本のエネルギー政策をどうするか、議論が高まっています。今までの政策も、一応手続き的には民主主義の中で決められてきました。しかし、実質的には一握りの専門家が議論を取り仕切り、政治家もそれを追認するばかりでした。また、原発を受け入れた地元自治体には巨額の交付金が投下され、金の力で議論を封じるという手法がまかり通ってきました。その意味では、原発推進は民主主義の不足の結果ということができます。
したがって、これからのエネルギー政策を考える際には、民主主義を徹底するという発想が必要です。民主化の試みの1つとして、国民投票を求める運動があります。先日イタリアでは国民投票によって脱原発の路線が決まりました。日本の憲法では国会が唯一の立法機関と規定されているので、国民投票によって法律を変えることはできません。しかし、投票で表明された民意には大きな権威があります。
私も、国民(住民)投票を政治参加の1つの手段として持つべきだと思います。しかし、国民投票が成功するためにはいくつかの条件が必要です。何よりも必要なのは、投票までに時間をかけて、しっかり議論することです。投票という結果ではなく、各人が意思表示至るまでの議論と思考の過程こそが重要なのです。たとえば、一九九六年に新潟県の旧巻町で原子力発電所用地に町有地を売却するかどうかを問うた住民投票が行われました。また、二〇〇〇年には徳島市で吉野川可動堰を建設するかどうかの住民投票が行われました。いずれの地域においても、住民は勉強会を何度も行い、それぞれの施設の必要性、まちの将来への影響について議論を重ねました。そして、ノーという結論を出しました。従来の専門家主導の政策形成における民主主義の不在を、住民の議論が補ったのです。
しかし、議論の積み上げなしでいきなりイエス、ノーを問う投票を行えば、人々の気分や感情で重要な物事が決まる危険があります。AKB48の総選挙ならば好き嫌いで投票すればよいのですが、国民(住民)の命運を左右する政策課題についてはそうであってはなりません。たとえば、今年二月に名古屋市で行われた市議会解散の住民投票においては、河村たかし市長の推進する市民税減税という政策について、掘り下げた議論は存在しなかったように思えます。
二大政党は重要な政策について明確な姿勢を示せず、党の中に様々な意見が入り乱れている状態です。国民投票の運動を盛り上げていけば、必然的に政治家も自分自身の意見を持たざるを得なくなるでしょう。その意味では、直接民主政治が機能不全に陥っている政党政治を鍛えるという効果も期待できると思います。
フクシマ原発事故を受けて日本のエネルギー政策をどうすべきか、また、2大政党制の限界、混乱に関しても触れています。なかなか面白い意見ですのでご紹介します。
山口教授は民主党菅内閣のブレーンでした。(過去形)
福島第1原発の事故以来、日本のエネルギー政策をどうするか、議論が高まっています。今までの政策も、一応手続き的には民主主義の中で決められてきました。しかし、実質的には一握りの専門家が議論を取り仕切り、政治家もそれを追認するばかりでした。また、原発を受け入れた地元自治体には巨額の交付金が投下され、金の力で議論を封じるという手法がまかり通ってきました。その意味では、原発推進は民主主義の不足の結果ということができます。
したがって、これからのエネルギー政策を考える際には、民主主義を徹底するという発想が必要です。民主化の試みの1つとして、国民投票を求める運動があります。先日イタリアでは国民投票によって脱原発の路線が決まりました。日本の憲法では国会が唯一の立法機関と規定されているので、国民投票によって法律を変えることはできません。しかし、投票で表明された民意には大きな権威があります。
私も、国民(住民)投票を政治参加の1つの手段として持つべきだと思います。しかし、国民投票が成功するためにはいくつかの条件が必要です。何よりも必要なのは、投票までに時間をかけて、しっかり議論することです。投票という結果ではなく、各人が意思表示至るまでの議論と思考の過程こそが重要なのです。たとえば、一九九六年に新潟県の旧巻町で原子力発電所用地に町有地を売却するかどうかを問うた住民投票が行われました。また、二〇〇〇年には徳島市で吉野川可動堰を建設するかどうかの住民投票が行われました。いずれの地域においても、住民は勉強会を何度も行い、それぞれの施設の必要性、まちの将来への影響について議論を重ねました。そして、ノーという結論を出しました。従来の専門家主導の政策形成における民主主義の不在を、住民の議論が補ったのです。
しかし、議論の積み上げなしでいきなりイエス、ノーを問う投票を行えば、人々の気分や感情で重要な物事が決まる危険があります。AKB48の総選挙ならば好き嫌いで投票すればよいのですが、国民(住民)の命運を左右する政策課題についてはそうであってはなりません。たとえば、今年二月に名古屋市で行われた市議会解散の住民投票においては、河村たかし市長の推進する市民税減税という政策について、掘り下げた議論は存在しなかったように思えます。
二大政党は重要な政策について明確な姿勢を示せず、党の中に様々な意見が入り乱れている状態です。国民投票の運動を盛り上げていけば、必然的に政治家も自分自身の意見を持たざるを得なくなるでしょう。その意味では、直接民主政治が機能不全に陥っている政党政治を鍛えるという効果も期待できると思います。