なかなか面白い話です。ユーロの経済、政治統合の危機とギリシャの債務返済の問題です。結論を出すのはユーロ関連国です。ギリシャの国民、政権の意思表示を受けて改善可能な案を交渉し、実施するしかありません。
ギリシャ救済として貸付された資金が、貸し付けを行った民間金融機関の懐に入ったことも指摘されています。ギリシャにおける財政収支の均衡、貿易収支の改善ができることが展望できる解決策ができることが最善です。
<F.T>時として、正しい行動は賢明な行動だ。今のギリシャは、これに当てはまる。適切に実行されれば、債務削減はギリシャとその他ユーロ圏諸国に恩恵をもたらす。困難を生み出すだろうが、ギリシャを見捨てることで生じるリスクよりは小さい。
残念ながら、そのような合意に達するのは不可能かもしれない。ユーロ圏の危機が終わったという考えが間違っているのは、このためだ。
ギリシャの急進左派連合(SYRIZA)の勝利に驚いた人などいないはずだ。「景気回復」の最中にあって、ギリシャの失業率は労働力全体の26%に上り、若年失業率は50%を超えている。国内総生産(GDP)も危機以前のピークを26%下回っている。
だが、この場合、GDPは経済的厚生の低下を示す指標として極めて不適切だ。ギリシャの経常収支は2008年第3四半期にはGDP比15%の赤字だったが、2013年下半期以降は黒字になっている。つまり、財とサービスに対するギリシャ人の支出は実際、少なくとも40%減少したわけだ。
この惨状を考えれば、有権者が前政権と、前政権が債権者に命じられて――どこか中途半端に――推進した政策を拒絶したのは決して意外ではない。
新首相のアレクシス・チプラス氏が述べたように、欧州は民主主義の原則の上に成り立っている。ギリシャの国民は意見を述べた。時の権力者は、少なくとも耳を傾ける必要がある。
だが、聞こえてくることはすべて、債務と緊縮財政に関する新たな取り決めに対する要求が、多かれ少なかれ、あっさり拒否されることを示唆している。
この反応を煽っているのは、膨大な量の独善的ナンセンスだ。特に2つの意見がギリシャの要求に対する妥当な回答の妨げになる。
最初の意見は、ギリシャ人はお金を借りたのだから、どれだけ高くつこうとも返済する義務がある、というものだ。これはまさに債務者監獄を支えた姿勢だった。だが、実際は、債権者には賢明にお金を貸す道義的責任がある。借り手に対する資産査定を怠れば、将来起こることを受け入れるしかない。
ギリシャの場合、特に対外赤字の規模は明白だった。ギリシャという国家がどう運営されているのかも明らかだった。
2つ目の意見は、危機が勃発して以来、ユーロ圏諸国はギリシャに対して非常に寛大だった、というものだ。これも間違っている。確かに、ユーロ圏と国際通貨基金(IMF)によって供与された融資は2267億ユーロ(GDP比約125%)という莫大な金額に上り、GDP比175%の公的債務総額のざっと3分の2に当たる。
だが、この融資の大部分は、ギリシャ人に恩恵を与えるのではなく、ギリシャ政府およびギリシャの銀行に対する不良債権の損失処理を避けることに向けられた。
政府の活動の財源に直接回されたのは、融資のわずか11%だった。16%は利払いに回された。残りはさまざまな資本対策に向けられた。つまり、資金が入ってきて、その後、再び流出したのだ。
より誠実な政策は、金融機関を直接救済することだった。だが、それではきまりが悪すぎたのだろう。
ギリシャ人が指摘するように、債務減免は普通のことだ。20世紀に国内外の債務をたびたびデフォルト(債務不履行)したドイツは、その恩恵を受けた。支払うことのできないものは、支払われない。
債権者である各国政府が民間金融機関を金融機関自身の愚かさから救うために使ったお金を返済するために、ギリシャの人たちが数十年にわたって多額の財政黒字を計上するという考えは、妄想だ。
では、何をすべきなのか? 選択肢は、正しいこと、便利なこと、危険なことのいずれかだ。
IMFの元欧州局長、レザ・モガダム氏は次のように主張する。「欧州は改革と引き換えに大幅な債務減免を認め、ギリシャの債務を半減し、財政収支の要求水準も半分にすべきだ」。こうすれば、ユーロ圏の閣僚らが2012年に合意した「GDP比110%を大幅に下回る債務」という基準と合致するという。
だが、そのような削減は無条件で行うべきではない。最善のアプローチは、1996年に始まったIMFと世界銀行の「重債務貧困国」イニシアティブに定められている。このイニシアティブでは、当該国が改革の厳密な基準を満たした後に初めて債務減免が認められる。
このようなプログラムは、政治的、経済的な近代化を必要としているギリシャに利益をもたらすだろう。
政治的に便利なアプローチは、「エクステンド・アンド・プリテンド」を続けることだ。間違いなく、審判の日をさらに先送りする方法はある。また、額面価値を下げることなく利息と返済の現在価値を引き下げる方法もある。
こうした対策ならば、ユーロ圏は、危機に見舞われたほかの国々、特にアイルランドの債務減免にも応じるべきだとする道義的な問題を避けることができる。
だが、そのようなアプローチは、切に必要とされている誠実で透明性の高い結果を生み出すことができない。
危険なアプローチは、ギリシャをデフォルトに追い込むことだ。
そうすれば、欧州中央銀行(ECB)がもはやギリシャの中央銀行として機能できないと感じるような状況が生まれる。そうなったら、次は離脱が余儀なくされる。
それがギリシャにもたらす結果は、短期的には間違いなく破滅的だ。筆者の推測では、数十年間にわたって近代化に向けた動きを覆すことにもなるだろう。
だが、ダメージを被るのはギリシャだけではない。ギリシャの離脱は、ユーロ圏の通貨同盟は不可逆ではなく、単なる厳密な為替ペッグだということを浮き彫りにする。これでは2つの世界の最悪の要素を併せ持つことになる。ペッグ制の硬直性を持ちながら、通貨同盟の信頼性がないのだ。
将来危機が起きるたびに、これが「離脱の時」なのかどうかが問われることになる。その結果生じるのは慢性的な不安定さだ。
ユーロ圏の創設は、加盟国が通貨に関して考え得る案のうち、2番目に悪い案だった。ユーロ圏の解体は、最悪の案だ。だが、ギリシャを出口に追いやると、まさにそこへ行き着くことになりかねない。
正しい道筋は、検証可能な改革の成果を条件として、債務減免の道理を認めることだ。政治屋にすぎないポリティシャンならば、この考えを拒むだろう。真の政治家たるステーツマンならば、飛びつくだろう。彼らがどちらなのか、間もなく分かる。