資本主義が封建主義に代わって、登場し、世界の多くの国々に採用、適応されて政治経済の指導的原理とされてきました。しかし、アメリカの経済的衰退、大手企業の退廃的な経営姿勢、世界におけるアメリカの指導性の低下と終焉、――そのアメリカに頭を押さえられ、彼らの言うがままの政治経済をし続ける日本の自民党型政治。イギリスの衰退、フランス、イタリア、スペイン、ギリシャの財政破たんなどの経済的な混迷、ドイツの経済的、政治的台頭への恐怖―――中国の経済的な成長と領土拡張主張などーーー先進工業国における経済的な低迷と、軍事力依存の結果、国力の消耗が激しくなり、その補完策としての国民収奪と社会保障制度の後退―――一層の貧富の格差拡大。これらが現在の治安悪化と政治的な混乱、右翼勢力の台頭・排外主義を引き起こしています。
その主要な問題は、多国籍企業、大手金融機関、国際的な闘士集団による利益至上主義、資源の収奪、投機、利益の海外逃避、労働賃金に切り下げーー企業の社会的な責任を放棄した政治経済姿勢にあります。この多国籍企業、大手金融機関、国際的な闘士集団から政治資金を受けて政治経済を彼らに奉仕するように捻じ曲げる。巨額資金で政権、政治を買収するような政治を規制し、国民が主人公となる政治制度に転換しなければなりません。
<内田樹教授の文書>レヴィナス『モーリス・ブランショ』新装版のためのあとがき
「新装版のためのあとがき」
私たちは再び、ほぼ半世紀ぶりに、地殻変動期に遭遇している。そういうときに相変わらず「成長戦略」とか「官製相場」とか「非正規雇用によるコストカット」といった「平時的」イシューにしか頭を使わない人たちと、「そんなこと言っている場合じゃないのではないか・・・」としだいに不安になっている人たちの間では選好する書物に違いが出て来て当然である。
メディアで行き交っている言葉に納得できず「そのような表層的な知性の使い方では、今起きている出来事のほんとうの意味は把持できないのではないか」と思う人たちは直感的に「非常時用」の書物を探し始める。レヴィナスはそのような文脈の中で選ばれた。私はそう推論している。
レヴィナスが読まれることは一人の(自称)弟子としては素直にうれしく思う。けれども、レヴィナスのような根源的知性に対する需要が高まるのは、「平時」が終わりつつあることの徴候だと思うと、複雑な気持ちになるのである。