春風駘蕩

いつの時代でもこうありたい

その後の大銀杏

2010年11月21日 | 日記
久しぶりに鶴岡八幡宮にお参りに行った。

二の鳥居から境内に向かう一直線の参道「段葛」を歩いた。頼朝が妻政子の安産を祈願し、自ら指揮してつくったという
この参道を歩くと、古都鎌倉のよさがふつふつとたぎる。何ともすがすがしい気持ちだ。

三の鳥居をくぐり、赤橋を渡って境内に入ると、日曜日とあってか、参拝客でにぎわっていた。その喧騒のなか、
境内の中央に位置する下拝殿では結婚式が行われていた。ここは静御前が義経を慕って舞を納めたところで、「舞殿」
とも呼ばれている。この由緒ある舞台の上で、しかも、多くの参拝客が見守るなか、神職、新郎新婦、両家関係者による
厳かな儀式が執り行われていた。

喧騒のなかの厳かな儀式、この取り合わせに違和感を覚えながらも、見とれているうちに古式豊かな神前での結婚式も
いいものだと思えてきた。

境内では何組かの新郎新婦を見かけたが、同時に七五三を迎えた子どもたちの晴れ着姿も目に付いた。3歳の女の子だろう、
着物に靴、手には千歳飴を持ってはしゃぎながら走り回っていた。ほほえましい光景だ。

実は、今日、八幡さまに行こうと思ったのは、あの大銀杏がその後どうなっているのかを確かめたかったからだ。
大銀杏が倒れてから8ヵ月、その間、テレビのニュース等で再生への努力は聞いていたが、
今日、その姿、力強い再生の姿を目の当たりにして、感動した。

残った根元付近はヒコバエ(切った根や株から芽が生え出ること)に覆われ、近くに据えられた親木の幹や枝からも
新芽が大きく伸びていた。新芽はすべて大銀杏のDNAを受け継ぐ後継樹だ。
「立派に育つんだよ」と激励し、境内を後にした。

川喜多映画記念館

2010年11月19日 | 日記
鎌倉市川喜多映画記念館に初めて行った。
記念館がオープンしたのは今年4月1日だったから半年遅れになる。

洋画の紹介に尽力した川喜多長政・かしこ夫妻の自宅跡(鎌倉市雪ノ下2丁目)に造られた建物は、板塀に囲まれた
鎌倉らしいたたずまいを残している。展示室、映像資料質室、情報資料室があり、名作の上映、講演やワークショップの場
となっている。

訪ねたときは「西鶴一代女」の上映の日だった。この映画は、井原西鶴の『好色一代女』の映画化で、監督は溝口健二、
主演女優は田中絹代、1952年(昭和27年)の作品だ。

田中扮するお春は、高貴な家の子どもまでもうけた女だが、男の都合によって翻弄され、島原の遊女から老いて夜鷹にまで
なり下がる。夜鷹に身をやつしたお春が羅漢堂で過去を回想するという場面から物語は始まる。
田中は、この作品で13歳の少女から50を過ぎた娼婦までを見事に演じている。
鬼気迫る演技で人生のドロドロした部分を描き切ったところがすごい。

モノクロで画面は暗いが、白黒の色調を絶妙に駆使した撮影の技術と、なによりも田中の熱演に魅了された
濃密な2時間だった。なお、この映画はヴェネツィア国際映画祭でグランプリに次ぐ栄誉を受け、溝口の名を
国際的に高らしめた作品となったとのこと。

記念館での12月の上映作品は、小津監督の「出来ごころ」「宗方姉妹」、ジャン・コクトーの「美女と野獣」、
ロジェ・バデムの「危険な関係」、千葉茂樹監督の「マザー・テレサとその世界」(上映終了後、千葉監督の講演)、
アン・ペトリ/ジャネット・ペトリの「マザー・テレサ~母なることの由来~」。

私は、来年の1月14日から16日までの「山猫」上映を楽しみにしている。

ボジョレー・ヌーヴォー

2010年11月18日 | 日記
大手旅行会社の友人から今年もボジョレー・ヌーヴォーが届いた。
11月18日はボジョレー・ヌーヴォーの解禁の日。この日の朝に届くよう配慮した贈り物だった。

言うまでもなく、ボジョレーとは、フランスのブルゴーニュ地方のボジョレー地区のこと、ヌーヴォーとは、
この地区で作られたワインの新酒のこと。この新酒の販売や飲用が解禁されるのが毎年11月の第3木曜日と
決まっている。この日、フランスはもとより、各国のワイン好きがボジョレー・ヌーヴォーを味わうのだ。

いただいたワインのラベルには、太陽と月、ブドウやワイングラスを手に躍動する3人の姿、それとフランス語
に混じって小さく「天・地・人」の漢字が描かれている。

最初にいただいたときは何もわからず、さっぱりとしたおいしいワインだと思った。ところがある日、作家の
村上龍さんのメルマガ「JMM」を読んでいると、このワインが単なるフランスワインではなく、日本人男性の
仲田晃司さんという方が現地フランスで造り上げた立派なワインであることがわかった。

仲田さんは岡山県高梁市の出身。24歳でフランスに渡り、28歳でメゾン・ルー・デュモンというワイン醸造所
を立ち上げたワイナリー・オーナーなのだ。そのことを知ってからは、このワインを丁寧に味わうようになった。

フランスでワイン造りに励んでいる日本の若者は他にも数名いるらしいが、「現地にしっかりと根付いて、創造・
発信することができる彼らの姿が、とてもまぶしい」と、村上さんは自身のメルマガで絶賛している。

仲田さんが丹精込めて造ったボジョレー・ヌーヴォーを贈ってくれた友人の心遣い、ポリシーに敬意と感謝を込めて、
新酒を味わった。

マニフェストの修正

2010年11月16日 | 日記
民主党政権が誕生して1年2ヵ月になる。その間、衆議院選挙中に掲げたマニフェストが、なし崩し的に修正・撤回
されている。とりわけ政権交代を実現させた目玉政策とも言える子ども手当の支給が財源不足で行き詰まり、管内閣は
満額支給を断念せざるを得なくなった。

マニフェストには「子ども1人当たり年31万2千円(月額2万6千円)を中学卒業まで支給する(平成22年度は
半額実施)」と明記しているが、これを23年度においては3歳未満に限り月7千円上積みして月2万円、3歳以上
中学生までは月1万3千円に据え置くと大幅に修正。

ガソリン税などの暫定税率の廃止は、22年度は廃止断念、23年度も民主党内には慎重論が根強く、断念の可能性が強い。
高速道路の無料化についても23年度要求額は1千5百億円、24年度以降は毎年1・3兆円をつぎ込むことになっているが、
先行きはまったく不透明だ。

農業の戸別所得補償も23年度から毎年1兆円を投入することになっているが、23年度要求額は8千臆円、八ツ場ダム
にいたっては建設中止を撤回するとのことで、いったい民主党政権は何を考えているのかさっぱりわからない。

外交・安全保障での失態は言うに及ばないが、内政においてもこのざまだから国民の不安や不満がつのるのも当たり前。
もともと「宰相の器」ではない人が総理になったのだから無理もないことだが、であればこそ国家・国民のために一刻も早く
退陣すべきではないのか。内閣支持率はすでに危険水域に達している。

文化勲章の受章

2010年11月03日 | 日記
今日はは文化の日。この日、平成22年度の文化勲章受章者に選ばれたノーベル化学賞受賞予定の鈴木章氏と
根岸英一氏のほか、原子核物理学・学術振興の有馬朗人氏、日本中世史の脇田晴子氏、演劇の蜷川幸雄氏、
服飾デザインの三宅一生氏、建築の安藤忠雄氏の7人が天皇陛下から文化勲章が授与された。

文化功労者にはスポーツの王貞治氏、漫画の水木しげる氏、映画の吉永小百合氏、歌舞伎の市川猿之助氏ら17人。
また、秋の叙勲として、桐花大綬章に扇千景氏が2度目の叙勲、旭日大綬章には南野知恵子氏、深谷隆司氏ら12人、
漫画家の松本零士氏、女優の司葉子氏らは旭日小授賞を受章。

この時期になると、勲章や叙勲の類を一切うけつけない細川護煕元総理や小泉純一郎元総理のことを思う。
権威主義、形式主義を排除し、強い信念のもと、自らの生き方、ポリシーを貫き通している。凡人にはなかなか
できないことだ。

サニーレタスの栽培

2010年10月29日 | 日記
友人から「家庭菜園キット2個セット」が送られてきた。隠居の身を案じてか、あるいは野菜が高騰しているので
少しでも自給せよとのことなのか、理由はわからないが面白い贈り物だ。包みを開いてみたら、この家庭菜園キット
を販売しているのが家電製品のテレビショッピングで有名なジャパネットたかただった。同社が家庭菜園のキットまで
販売しているのかと驚いたが、とりあえずベランダで栽培することにした。

キットというだけに、家庭菜園を行うための道具一式がそろっている。種子や液肥はもとより、虫除けの防虫網まで
ついている。プランターのサイズは普通サイズより大き目のが2個。底石や土がそれぞれ用意されており、説明書に
したがってこれらをセットしていけばよい。準備はいたって簡単。

種子は、ほうれん草(西洋大葉)とサニーレタス。説明によると、ほうれん草は種まきの前日から水に浸しておくと
よく発芽するというので、そのとおりにする。翌日、ほうれん草とサニーレタスの種を同時に蒔く。

5日後、ほうれん草が芽を出した。その2日後、サニーレタスが発芽。ほうれん草は、ひょろ長い長方形の双葉、
サニーレタスは、丸っこい楕円形の双葉。みんな元気に芽を出したが、大きく育てるためには間引きをしなければ
ならないという。せっかく芽を出したのに間引きとは可愛そうな気がするが、仕方ないことなのだろう。

土を用意し、種を蒔き、水をやると、かわいい芽がでてくる。双葉の芽は次第に大きくなり、やがて本葉が出てくる
のだろう。それがいつごろなのか、どれくらいの大きさになるのか、これからの毎日が楽しみだ。

ノーベル賞の明と暗

2010年10月09日 | 日記
ノーベル化学賞に日本人2人が選ばれた。根岸英一・米パデュー大学特別教授(75歳)と鈴木章・北海道大学
名誉教授(80歳)。

その2日後、中国の民主活動家、劉暁波氏(54歳、服役中)に平和賞授賞というニュースが伝わってきた。
日本人2人の授賞理由は、医薬品や電子材料など、さまざまな工業物質を効率よく合成する革新的な手法
「クロスカップリング反応」の開発。素人にはなかなか理解できない専門的な技術だが、政府はもとより
国民も挙げて喜んだ。日本では、これが久しぶりの明るいニュースとなった。

一方、中国はどうか。中国政府は平和賞授賞のニュースを言論統制し、事実を国民に知らせまいとしている。
なぜそのようなことをするのか。理由は簡単だ。中国は世界第2の経済大国になったが、この繁栄の裏には
格差拡大、人権抑圧など内部に深刻な問題を抱えている。

劉氏への平和賞授賞のニュースが中国全土に広がれば、民主化を求める国民の動きが一挙に起こりかねない。
そうなれば中国が抱えている影の部分、つまり人権抑圧問題が改めて問われることになる。共産党政府は
それを最も恐れているのだ。

劉氏への平和賞授賞が果たして中国の民主化運動の前進につながるのかどうか。残念ながら答えはノーである。
なぜなら、中国は共産党一党独裁の国で、共産党が軍を完全に掌握している。言うまでもないことだが、中国の
人民解放軍は共産党の軍隊だ。そうである限り、中国の民主化は簡単には進まない。

喜ぶべき授賞が、中国政府にとっては暗いニュースとなった。

岩倉具三さんの死

2010年09月13日 | 日記
職場の先輩・岩倉具三さんが死んだ。死因は脳梗塞ということで突然の死だった。享年73歳。

死の2日前、電話で話しをしたときにはいつもと変わりなく元気だったのに、それが・・・。とにかく驚いた。
人間の死というのはこのようにあっけないものなのかとつくづく思った。

岩倉さんは職場の先輩で、農政通として知られていた。わが国農政の節目節目には何らかの形でこの人がか
かわっており、関係者からは大きな信頼を得ていた。また、自らを厳しく律し、年齢や性別に関係なく、
誰に対しても誠実に接していたのでみんなに尊敬されていた。

岩倉さんに対する周囲の敬意は、その出自にもあった。岩倉さんは、明治の元勲・岩倉具視の末裔。また、
祖母がドイツ人だったので、よく「4分の1はドイツの血」と言っていた。昭和12年2月3日生まれ、東大空手部
の出身で、亡くなるその日まで、朝稽古に励んでいた。

葬儀は、9月13日、聖イグナチオ教会で行われた。葬儀ミサに続いて告別式、聖歌隊による聖歌が静かに流れる中、
弔辞、弔電の披露、遺族の挨拶、参列者の献花が行われた。会葬御礼には「故 ヨセフ ヘルバート 岩倉具三葬儀
の際は・・・」と書いてあった。改めてご冥福をお祈りします。

定期健診への疑問

2010年09月06日 | 日記
定期健診のため湘南鎌倉総合病院に行った。本来なら協会けんぽ指定の病院で受診すべきなのに、私の日程の都合で
指定外病院での受診となった。

協会けんぽ神奈川支部から健診の案内が届いたのは5月。同封資料の中に神奈川県内での健診指定病院として約100ヵ所
が記載されていたが、このうち鎌倉市内で受診できるのは大船中央病院、湘南記念病院、深沢中央診療所、額田記念病院の
4ヵ所。早速、大船中央病院に予約を申し込んだら「健診日は9月になります」との返事。4ヵ月も先になるのかと思ったが、
仕方なく9月14日で予約した。

ところが8月になって、日程の都合で予約日を変更しなければならなくなり、病院にその旨連絡したら今度は「健診日は
来年1月になります」とのこと。5ヵ月先では遅すぎるので断わり、指定外の湘南鎌倉総合病院に電話したら「いつでも
いいです」と言ってくれたので、9月6日に受診することにした。

一連の流れの中で私が思ったのは、協会けんぽはなぜ健診の病院を指定するのか、保険証はすべての病院で使えるのだから、
これと同じようにすべての病院で健診が受けられるようにすべきではないかと。それができない理由が健診の中身にあるの
なら、中身を変えればよい。例えば、身長、体重、腹囲、視力、聴力、血圧、胸部エックス線などの検査が果たして今日、
必要なのか。検査は、血液と尿のだけで十分と主張する専門医は多い。

定期健診は事業者が従業員に対して年1回行うと法律で定めているが、そのあり方について検討すべき時期にきているのでは
ないかと思う。

費用は、私の場合、採血・採尿、胸部エックス線、心電図、上部内視鏡(胃カメラ)の検査だったが、私費と協会けんぽを
合わせて13,110円だった。協会けんぽ指定の病院に比べて、決して高い金額ではない。

老老介護の現実

2010年08月28日 | 日記
8月19日、母危篤の知らせで急ぎ羽田から長崎へ。母を見舞ったのは1ヵ月半前の7月2日だったので、それ以後、
容態が悪化したのだろう。結果として何とか持ち直したが、酸素吸入を離せない状態がずっと続いている。

母は92歳になった。83歳の時、大腿部骨折で入院して手術、その後も入退院を繰り返していたが、数年前から
寝たきりとなり、今年に入ってからは「胃ろう」による治療を続けている。

「胃ろう」とは、口から食事が取れなくなった高齢者に対して腹部の外から胃に管を通して栄養を補給する治療方法。
この治療方法が望ましいものなのかどうか、終末期の医療のあり方として議論があるのは承知しているが、本人の
意思確認もできない状況のなか、1日も長く生きてもらいたいというのが家族の願い。

日本人の平均寿命は、男79歳、女86歳。世界一の長寿国だそうだ。川柳に「還暦に親が立ち会う長寿国」というのが
あるが、まさにその通りで、これは喜ばしいことだし、総論としては正しい。

しかし、各論になるとさまざまな状況が露呈してくる。私の場合、姉1人、弟1人の3人姉弟。姉は70歳を過ぎ、
弟も還暦を過ぎている。3人とも年金生活者だ。その年金生活者が母を看なければならない。当たり前のことだが
負担も大きい。

老いが老いを看る、老老介護の現実。そこには自分の老後を楽しむ余裕さえない高齢者がたくさんいる。「ゆりかご
から墓場まで」とは言わないまでも、高齢社会のあり方、年金や福祉の問題について、もう少し議論をしなければ
ならないと思う。