春風駘蕩

いつの時代でもこうありたい

レームダック状態

2005年07月26日 | 日記
今日の衆議院本会議でグレンイーグルズ・サミツト(主要国首脳会議)の報告・質疑が行われた。民主党を代表して
質問に立った鳩山由紀夫氏が次のような演説をした。もちろん、サミットに関する質問が主だったが、その前段で
郵政政局に対する民主党の考えを披露した。

「郵政民営化法案が否決されたときは、内閣を総辞職して野党に政権を明け渡すのが憲政の常道だが、あなた(小泉総理)
には残念ながら通用しない。ならば、お望みどおり解散なさってください。千載一遇のチャンスをいただいたと受け止める。
レームダック状態の内閣が続くことは、国民にとっても迷惑な話だ。一刻も早く解散を宣言してください。私は、解散を
主張するあなたを支持する」

本来なら内閣不信任案などにより総理を解散や総辞職に追い詰めるのが野党である。なのに、なぜか野党が総理の解散を
支持している。解散に関して総理と野党が一致した形だ。一方、自民、公明両党は「解散回避」で動いている。何とも
奇妙な格好だ。民主党は、ここで解散すれば我に利ありと判断しているのだろう。

ところで、鳩山氏のいう「レームダック状態」とはどのような状況を指すのだろうか。英語でlame duckとは「足の不自由な
アヒル」という意味だ。もともとアメリカで用いられている政治用語で、不再任確実で任期終了間近の大統領が政治権力を
失いつつある状態を揶揄的に指した言葉だという。

果たして小泉総理はレームダック状態なのだろうか。総理の任期(総裁任期)は来年の9月まで。残余期間は1年間だ。
となると、これからの1年間はレームダック状態ということになるのか。8月5日に予定されている「郵政」の参議院採決
の結果を見なければ何ともいえないが、可決、否決、いずれにせよ、小泉総理の「次の一手」が一段と注目される。

「郵政」とは何だったのか

2005年07月05日 | 日記
午後の衆議院本会議で、郵政民営化法案が可決された。賛成233票、反対228票、その差5票という僅差での可決だった。
反対票を投じたのは野党議員と一部自民党議員で、当日の自民党議員の投票行動の内訳は次の通り。総数250、賛成199、
反対37、欠席・棄権14。自民党の造反議員は51名、全体の約2割だった。

小泉総理は、「民間にできることは民間に」「地方にできることは地方に」をスローガンに構造改革を積極的に推進し、
なかでも郵政民営化は「改革の本丸」と位置付け、絶対に譲れないとして、不退転の決意で臨んだ。政府と自民党の協議で
数ヵ所の修正はあったものの、ほぼ原案通りの衆議院通過である。

郵便局は、現在、全国で2万4700、各市町村に最低一つはある。反対派は、民営化すると採算の悪い郵便局は切捨てられる
と主張したが、この件については政府と自民党の協議で、過疎地でも都市部でも現在の水準が維持されることになった。
したがって、現在の郵便局網はほとんどが維持される。

また、民営化されると郵便局は物品の販売や旅行のチケットの取り扱いなど自由に商売ができるようになるが、それでも採算が
合わず、撤退やむなしという状況が生じた場合には、持ち株会社が作った「社会・地域貢献基金」で支援できる。当初、
基金は1兆円だったが、修正協議で「1兆円を超えて2兆円まで」積み立てられることになった。
 
それなのに反対派はなぜ納得しないのか。それは「郵政後」の諸改革、とりわけ行政改革、特殊法人改革、総じて言えば
これから想定される構造改革を潰すにはどうしても「郵政」を潰しておかなければならない。だから、反対派は総力を挙げて
戦った、ということだろう。詰まるところ、「郵政」とは自民党内の改革派と守旧派(既得権維持派)の攻防だったのである。

萩原葉子さんの死

2005年07月02日 | 日記
萩原葉子さんが死んだ。昨日のテレビニュースで知った。新聞には「1日午前3時39分、播種性血管内凝固症候群のため、
東京都世田谷区の病院で死去した。84歳。前橋市出身。葬儀は親族だけで行う。喪主は長男で多摩美大教授の朔美氏」と
書いてあった。

葉子さんは84歳にもなっていたのかと驚いた。40年前、葉子さんがまだ40代の頃だったが、何度か自宅マンションに
お伺いしたことがある。日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した『父・萩原朔太郎』に続き、『天上の花―三好達治抄』で
田村俊子賞、新潮社文学賞を受賞した直後の頃だった。

葉子さんは、はにかみ屋でどこか控え目なところがあり、年齢を感じさせない女性だった。随筆集の中に「タバコの煙ととも
に男たちの中にいたい」「娼婦のように黒いストッキングを履きたい」という表現があるが、一体、彼女のどこからそのよう
な強烈な言葉が出て来るのか不思議に思った。

葉子さんと飲みに行った時、「葉子という名前は朔太郎が付けたんでしょうね」と聞いてみた。
「朔太郎は葉子さんに個性を大切にするよう期待を込めて葉子という名前を付けのでしょう。葉っぱは、一見、みな同じよう
に見えるが、よく見ると1枚1枚、色や形が違う。それぞれに個性がある。人間も同じだということを言いたかったのでは
ないでしょうか」と聞いてみた。

葉子さんは黙っていた。確かに『蕁麻の家』『閉ざされた庭』など、一連の自伝的小説からはそのような父親像は浮かんで
こない。朔太郎は父親失格だった。葉子さんは30代で離婚したが、1人息子の朔美さんを立派に育てあげた。
8歳の時に自分を捨てた実母を探し出し、その娘も一緒に介護した。

父・朔太郎に欠けていたものを一つひとつ補っていつたのが葉子さんだったのだ。