春風駘蕩

いつの時代でもこうありたい

自由民主党立党50年

2005年11月22日 | 日記
自由民主党は、11月15日、立党50年を迎えた。50年前のこの日、日本民主党と自由党が合同し自由民主党が誕生した。
初代総裁は鳩山一郎。以来、一時期、野党の経験をしたが、一貫して政権を担当してきた。記念すべきこの年の総裁は
小泉純一郎氏、第20代の総裁だ。自由民主党は、この節目の年の総選挙で圧勝し、文字通り、錦上に花を添えた。

22日午前、立党50年の記念式典が新高輪プリンスホテルで盛大に行われた。午前10時開会。司会は自由民主党が生まれ
た年、昭和30年生まれの江渡聡徳衆議院議員と山谷えり子参議院議員。音と映像を駆使した演出によるオープニングにまず
驚いた。素晴らしい。

武部幹事長による新理念・綱領の発表、小泉総裁の挨拶、森喜朗新憲法起草委員長による新憲法草案の発表、ゲストスピーチ
(グレアム・ホルブルック・フライ駐日英国大使、神崎公明党代表、奥田経団連会長、演出家の宮本亜門氏)などの定番の行
事は式典として当然のことだが、不思議と退屈しなかった。

学生部の男女2人によるアピールもよかった。それ以上に新人議員83人全員が壇上に上がり、最年少の杉村太蔵議員がノー
原稿で立党50年宣言を行ったのには「自民党は変わった」という印象を強く受けた。新人議員83人のうち1人を除き、全員
が戦後生まれ。自民党は見違えるほど若返ったのだ。

エンディングの演出もよかった。東京フィルハーモニー交響楽団の演奏に合わせて、大画面に仕立てた会場正面に都市や農村、
四季折々の風景がダイナミックに映し出される。この見事なハーモニーに参加者は感動した。重々しい古い形式を打ち破り、
若い世代の感覚で会場を盛り上げる手法に自由民主党の変化を感じさせられた。

加ト吉の加藤義和社長

2005年11月15日 | 日記
午前10時から冷凍食品業界大手・加ト吉の加藤義和社長のインタビュー。本社は香川県観音寺市だが、東京・築地に
東京支社があるので、そこでインタビューすることになった。加藤社長は、4期16年間、観音寺市の市長を務めた経験が
あり、また急成長した会社として注目されているだけにマスコミの応対には慣れている。質問に対する回答は歯切れがよい。

加藤社長は昭和11年生まれの69歳。中学卒業と同時に海産物の行商人となり、20歳の時に海産物問屋を設立。その後、
冷凍えびフライの生産・販売を開始し、外食市場の成長を背景に着実に成長を遂げた。平成6年には新潟県南魚沼に工場を
建設し、冷凍米飯、無菌パック米飯、無洗米など、米関連の巨大な市場にも進出している。

また、中国・タイ・インドネシアに本格的な生産拠点を設け、現地加工のワンフローズン商品を日本国内に提供するなど、
将来の海外での冷凍食品市場への進出も視野に入れた生産・物流・販売体制を築いている。

加藤社長の夢はたくさんある。その中のひとつが「中国の人に海の魚を食べさせたい」ということ。加ト吉は中国にいくつか
工場を持っているが、人口13億といわれている中国において、内陸部の人たちは海の魚を食べたことがないという。この人
たちに海の魚を食べさせたいというのが加藤社長の夢だ。

市長の経験を持つ加藤社長は、行政と民間の経営の違いをこう説明する。役所は倒産することはない。だから職員は「失敗し
ないこと」「叱られないこと」を考える。さらに役所は予算主義なので、コスト意識が希薄になる。民間が3分で意思決定で
きることを、役所は部内で決定し、地元の意見を聞き、議会で決定する。予算が付くまでには時間がかかるわけだ。

リーダーにとって大切なことは、リスクを負っても自らの責任において素早く判断することだという。加ト吉の企業理念は
「G、S、R」(グローバル、スピード、レボリューション)だ。

政治献金も奥田路線継承

2005年11月11日 | 日記
今朝の日経に「政治献金も奥田路線継承」の2段見出しの囲み記事があった。奥田碩経団連会長の後任にキヤノンの
御手洗冨士夫社長が内定しているが、御手洗社長は、昨日、政治献金について「社会貢献としてやるべきだ」と述べ、
政治との関係強化を進めてきた奥田会長の路線を継承する意向を表明したという。

御手洗社長は、「小泉さんの前の利益誘導型の自民党だったら、(経団連会長は)絶対に引き受けなかった」と述べ、
小泉総理の改革路線を支持する姿勢を改めて表明。新会長の方針に関しては、「奥田さんの改革路線を継承する。
具体的には(就任する)5月に言う」と言うにとどめたという。

奥田会長は、会長就任とともに政治との関係修復に着手し、平成5年、時の平岩会長が政治献金の「斡旋中止」を行って
以来、10年間途絶えていた政治献金の「関与再開」を宣言した。再開の理由はいろいろあったと思われるが、最大の理由
は、献金の斡旋中止により政治との関係が希薄になり、意思が通じなくなったからだと言われている。

奥田会長のもと、経団連は、平成15年5月、「政策本位の政治に向けた企業・団体の寄付の促進について」を公表、
9月には10項目の「優先政策事項」に基づき政党の政策を5段階で評価し、その結果を16年1月、傘下の企業・団体に
示した。企業・団体はこれを参考に独自の判断で政治寄付を行うという仕組みをつくりあげたのである。

次期会長の御手洗社長が奥田路線を継承すると表明したこで、関係者はまずは安堵といったところだろう。

渡邉幸治元駐ロ大使の講演

2005年11月10日 | 日記
経済団体主催の昼食会で元駐ロシア大使・渡邉幸治氏の講演を聴いた。演題は「東アジア共同体構想と日米中関係」。
渡邉氏は昭和9年生まれ、71歳。東大教養学部在学中に外交官試験に合格し、卒業と同時に外務省に入省。北米局
北米第一課長、情報調査局長、経済局長、サウジアラビア大使、外務審議官、イタリア大使、ロシア大使等を歴任し、
日本経団連特別顧問を経て、現在、日本国際交流センターシニア・フェロー。

東アジア共同体構想とは、ASEAN(東南アジア諸国連合)10ヵ国+日中韓の3ヵ国を中心に、貿易・投資・安全保障
などの各分野での地域統合を推進しようとするもの。同構想はもともとマレーシアのマハティール首相(当時)が提唱し、
熱心に推進していたが、2002年1月に小泉首相がASEAN5ヵ国を訪問した際、シンガポールで同構想を提唱したことに
より、さらに動きが加速された。

マハティール首相の東アジア共同体構想については、当時のベーカー米国務長官が反対を表明しており、また、アーミテージ
米国務副長官も同構想に中国が熱心であることに警戒感を示しつつ、米国抜きの設立準備に反対していた。日本はこうした
米国の動きも勘案し、インド、オーストリア、ニュージーランドを加えるよう主張し、ライス国務長官もこれを支持している。

結局、東アジア共同体構想をめぐっては、参加国を拡大し、「開かれた地域主義」を主張する日本と、参加国を絞り域内の
影響力を保持したい中国との主導権争いとなっている。渡邉さんはアジア局外務参事官、中国公使の経験があり、また本年
6月からは北京大学で日米中関係の研究をされており、日中間の問題を冷静に見つめている。

いま、中国で世論調査をすると、日本に対する反感が6割を占めるという。これは歴史の事実もさることながら、天安門事件
以降の思想教育によるところが大きく、これにマスコミの商業主義、つまり「反日」の記事を書くと新聞が売れるという商業
主義が追い討ちをかけているという。

今年12月、マレーシアのクアラルンプールで東南アジア諸国連合(ASEAN)+ 3(日中韓)の首脳会議に続き、
インド、オーストラリアなどを加えた東アジア首脳会議(サミット)が開かれる。ここで議題となる東アジア共同体構想は
わが国外交にとってきわめて重要なことであり、今後の推移が注目される。