春風駘蕩

いつの時代でもこうありたい

日経連載小説「等伯」

2011年01月22日 | 日記
日本経済新聞の朝刊連載小説「等伯」が始まった。

作者は歴史小説の第一人者・安部龍太郎氏。安土桃山時代から江戸初期にかけて活躍した絵師・長谷川等伯の
波乱に満ちた生涯を歴史事件を背景に描く。

挿絵は西のぼる氏。西氏は等伯と同じ能登の出身で、安部氏とは同紙の夕刊連載小説「信長燃ゆ」でも一緒に組んだ仲。
そのころから二人はいつか長谷川等伯を描きたいと話していたという。

第一回の書き出しはこうだ。

 雨だった。頭上にたれこめた厚い雲から、大粒の雨がふり落ちてくる。陰暦三月、ひな祭りも近い
 というのに肌寒い日がつづき、三和土はひんやりとした冷気におおわれていた。
 長谷川又四郎信春(等伯)は草鞋のひもをきつく結び、古ぼけた蓑をまとった。・・・

挿絵は雨の中の一羽の鳥。これから何かが始まることを予感させる。
書き出し挿絵とも見事で、いきなり物語の世界に引きずり込まれる。さすがだ。

映画「山猫」を観る

2011年01月16日 | 日記
正月三が日、鶴岡八幡宮は大変混み合うので、今年もこれを避けて今日(1月16日)初詣に行った。
倒れた大銀杏のヒコバエの様子をみながら階段を上って本殿に参拝。境内の中にある鎌倉国宝館で
「氏家浮世絵コレクション」を観てから源平池のところに出て、ここで昼食。

午後は川喜多映画記念館で、映画「山猫」を観た。ヴィスコンティ監督、バート・ランカスター主演のこの映画は
1963年(昭和38年)の作品でイタリア・フランスの合作。日本でも翌年1月に公開されたが、これは「英語国際版」と
呼ばれるもので161分の短縮版だった。2003年、同映画の制作40周年を記念して「山猫―イタリア語・完全復元版」
(187分)が完成、翌年秋に日本でも公開された。

今日観たのは、この復元版だ。あまりにも有名な映画なので説明することもないが、
イタリア統一戦争の波に押されて没落していく貴族の姿をイタリア貴族の末裔であるヴィスコンティが絢爛豪華に、
そして耽美的に描いている。山猫は名門貴族サリーナ公爵家の紋章。

バート・ランカスター、アラン・ドロン、クラウディア・カルディナーレなど錚々たる俳優陣が作品に重厚感を与えており、
1963年のカンヌ映画祭ではグラン・プリを受賞。

この作品の中で甥のタンクレディ(アラン・ドロン)がサリーナー公爵(バート・ランカスター)に対して語る台詞
「変らずに生きてゆくためには、自分が変らねばならない」は、政治家・小沢一郎がしばしば引用しているので
よく知られている。

満70歳の誕生日

2011年01月14日 | 日記
今日は私の満70歳の誕生日。

70歳といえば古稀。これは唐の詩人・杜甫の「人生七十古来稀なり」から来た言葉だそうだが、
杜甫が生きていた時代は今から千年以上も前。その頃、70歳まで生きるのは稀なことだったのだろう。

杜甫が生きていた頃の日本は奈良時代、平城京を中心に天平文化が花開いた時期。昨年は平城遷都1300年ということで
「1300年祭」の記念行事が奈良県各地で盛大に行われた。その頃の日本人の平均寿命は推定15~16歳だったという。

日本人の平均寿命が50歳を超えたのは昭和22年。今から64年前のことで、以来、日本人の寿命は急速に伸びている。
厚生労働省が昨年7月に発表した平成21年の日本人の平均寿命は、女性86・44歳、男性79・59歳、
女性は25年連続で世界一、男性は世界5位の長寿国となった。

70歳を迎えて思うことは、日本人男性の平均寿命まであと10年。この10年間をどう生きるのか、
思いはさまざまだが、確かなことは確実に終末へと向っていること。

ならば、それを踏まえた生き方があるし、やがて来る死への旅支度もしておかなければならない。
今日からの1日1日は、これまでとは違った貴重な1日となるよな気がしてならない。

湘南の日だまり

2011年01月01日 | 日記
新春のお慶びを申し上げます

湘南の日だまりの中、のんびりと暮らしていると、徐々に闘争心が薄らいできます。
世俗のことが疎ましくなり、腹の立つことがあっても事なかれで収めてしまいます。

これではいけないと、自らに言い聞かせても身体がついていけないのが現実です。
明けて七十歳。

年が明けると昨日は去年、そして今日は今年と呼ばれます。

虚子の句に「去年今年貫く棒の如きもの」というのがありますが、時の経過に区切りをつけようとしても、
そこには棒の如きもので貫かれて断つことのできないもの、即ち時間があると虚子は言っています。

皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。

 平成二十三年 元旦