春風駘蕩

いつの時代でもこうありたい

イチローの言葉

2013年02月14日 | 日記
2月13日の日本経済新聞。この日のトップ記事は「北朝鮮が核実験」「3回目『小型化、成功』」の大見出し。
同じ日の特集欄に「イチロー語る」が掲載されていた。イチローの言葉が素晴らしいのでここに転載した。

「『何かのために』は聞こえは良い。でも時に思い上がっているようにも思える。
人間関係においても言えることだが、誰かの『ために』やろうとすると厄介な問題になることがある。
しかし、誰かを『思い』何かをすることは、見返りを求めることもなく、そこに愛情が存在しているから
不幸な結果になることが少ないように思う」

「今はまだ色紙に一言といわれても書けない。大切にする姿勢や哲学はあるが胸を張って一語残せるほどの自分ではない。
拙い表現でも将来自分の言葉で伝えられたらなと思う。しかし結局、言葉とは『何を言うか』ではなく、
『誰が言うか』に尽きる。その『誰が』に値する生き方をしたい」

「米国に行ってから、日本語の深さや美しさを自分なりに感じるようになり、日本語をきれいに話したいと思い始めた。
日本語でも自分の感覚や思いを伝えることは困難だと感じている。それが外国語となれば、不可能に等しい。
英語で苦労する以前に、僕は日本語で苦労している」

「日本の製品は安心感が抜群。外国メーカーの技術も、実は日本人が開発していることが多いのでは、と想像している。
技術が外に出ていく状況をつくってしまった国や企業に対して、それはいかがなものか、とは思う。
いま、安倍(晋三首相)さんのこと、めちゃくちゃ応援しているんです。頑張ってほしいです」

姉の死

2013年02月11日 | 日記
2月11日午前、姉が他界した。享年74歳。死因は肺癌だった。

死の前日、私は姉を見舞った。ここ数日、水以外のものを受け付けず、やせ細っていた。
酸素吸入を付けたままでの会話は聞き取りにくかったが、「お先にね、さようなら」という短いメッセージだけはよく聞こえた。

私は、姉に「もう少し頑張って・・・」と言いたかったが、これまでも懸命に頑張ってきたのだから、それも言えず、
姉の手をしっかりと握りしめて、「お疲れさまでした」としか言えなかった。それが最後だった。

姉が癌の宣告を受けたのは昨年の8月。入院中とは言え、まだ元気だった姉は「余命6ヵ月と言われたが、
延命措置はしない。自然死を選ぶと医師に伝えた」と、私にも明確に伝えた。

以後、本人の希望で自宅療養となり、毎週、医師と介護師の訪問を受けていたが、医師の宣告通り、6ヵ月で力尽きた。
死への覚悟と矜持を崩すことなく、静かに旅立って行った姉の最期を、私は立派だったと思う。