23日は天皇誕生日で祝日。25日までの3連休を利用して母見舞いのため長崎の実家に帰った。母は87歳。
骨粗しょう症のため数年前から入退院を繰り返していたが、ひと月ほど前、急に立つことができなくなり、
入院してリハビリに励んでいた。21日に退院したとのことで、私が会ったのは退院後2日目だった。
母はベッドに横たわっていたが、私の見舞いを喜んでくれた。私はお盆に帰省できなかったことをお詫びし、
無事退院でき、正月を家で迎えられることの幸せを喜び合った。
母は寝たっきりではなく、朝7時に起床、車椅子で洗面所に行き、8時に居間で車椅子に座ったまま朝食。
血圧や骨粗しょう症などの薬をのみ、テレビなどを観ながらしばらく休んだあと再度、洗面所に行き、
その後、しばらくベッドで休む。これが午前中の日課だ。
午後は、正午に居間で昼食、薬をのみ、2時ごろまで家族と話をしたり、テレビを観たりしてくつろいだ後、ベッドに。
6時に夕食、薬をのみ、洗面所に行き、8時までにベッドに戻るというのが母の1日。風呂は2日に1回、弟夫婦が
世話をしており、気候がよくなればデイサービスにも行く予定という。
大正7年生まれの母は、来年8月、満88歳になる。数えで言えばすでに88歳になっている。米寿を迎えるのでお祝い
をしなければ・・・ということになり、来年5月の連休中に母の米寿の祝いをすることにした。
母を看ている弟夫婦も誕生日がきたら63歳になる。老いが老いを看ているわけで、当人たちにとっては大変だろうが、
親が長生きをし、子どもたちがいつまでも親のめんどうを看ることができるのは、子どもたちにとって最高の幸せでは
ないだろうか。
骨粗しょう症のため数年前から入退院を繰り返していたが、ひと月ほど前、急に立つことができなくなり、
入院してリハビリに励んでいた。21日に退院したとのことで、私が会ったのは退院後2日目だった。
母はベッドに横たわっていたが、私の見舞いを喜んでくれた。私はお盆に帰省できなかったことをお詫びし、
無事退院でき、正月を家で迎えられることの幸せを喜び合った。
母は寝たっきりではなく、朝7時に起床、車椅子で洗面所に行き、8時に居間で車椅子に座ったまま朝食。
血圧や骨粗しょう症などの薬をのみ、テレビなどを観ながらしばらく休んだあと再度、洗面所に行き、
その後、しばらくベッドで休む。これが午前中の日課だ。
午後は、正午に居間で昼食、薬をのみ、2時ごろまで家族と話をしたり、テレビを観たりしてくつろいだ後、ベッドに。
6時に夕食、薬をのみ、洗面所に行き、8時までにベッドに戻るというのが母の1日。風呂は2日に1回、弟夫婦が
世話をしており、気候がよくなればデイサービスにも行く予定という。
大正7年生まれの母は、来年8月、満88歳になる。数えで言えばすでに88歳になっている。米寿を迎えるのでお祝い
をしなければ・・・ということになり、来年5月の連休中に母の米寿の祝いをすることにした。
母を看ている弟夫婦も誕生日がきたら63歳になる。老いが老いを看ているわけで、当人たちにとっては大変だろうが、
親が長生きをし、子どもたちがいつまでも親のめんどうを看ることができるのは、子どもたちにとって最高の幸せでは
ないだろうか。