ゆず湯、入ったことある? 今日の質問・設問
たぶん、ないんだと思う・・食べることが出来るものは、そういうものに使わない習慣のし、ゆずなんて簡単に手に入らなかったから
ミカンの皮だったら、乾かして、袋に入れて・・・とか、お湯に入れたことがあるのかもしれないけれどもね。
でも、生の柑橘類の成分って、皮膚の油を落してしまって刺激物になるから、我が家ではお風呂には入れないと思う
雪、ものすごい量が降り積もっています。
高齢者でも知らないほどの降りかた=記録的大雪なのだそうです。
場所によっては、数メートル先が見えないぐらいに吹雪いているところもあります。
道路の左右に高い壁が出来て、車道からは家々の二階の屋根しか見えないところもあります。
私が幼かった頃には、電線のあるところまで積みあがった雪の道の頂上付近(背骨道って云ってました)を歩いていて、一歩・足を踏み外して、行く予定の無いお宅の玄関におしりから落っこちていったことがありましたが、それは、今のように流雪溝も排雪機械も無かった時代の話です。
朝早く除雪機が稼働しても、すぐに、また膝上の丈の積雪量が…雪寄せを手伝っていただいていますが、玄関と車の間を歩くだけでも、結構エネルギー消費が大きくって・・・歩きにくい膝上までのゴム長を履いて歩いているのの一つでしょうか?
あらら…冬至カボチャを、今日、ひとかけらも食べていなかったことに、いままで気がつきませんでした><:
何??? 小中学校が、この豪雪で、今日は「お休み」なのだそうです。
通勤にも、何時間もかかっているのだそうで…もう職場にいるはずなの人なので携帯にメール連絡を入れたら、その方から「車がすすまなくなってまだ半分しか行っていない」というメールの返事ををいただきました。え・・・遅刻云々以上の話ですよね
こういう状態は、昭和48年と50年にもあり、48豪雪や50豪雪という名称がつきました。
自家用車が無い家では、あるいて山谷峠を越えて学校に行くしかありませんでした。
朝、家を出て歩き、トンネル近くまで行くと、通勤の車に拾われて学校に行くことが出来ました。
帰宅時には・・どこまで帰っていくのかわからないからなのでしょうか・・すぐ脇を行く車がありますが、簡単に拾ってくれるわけではないので、自宅まで歩いて帰ることが頻繁にありました。
山谷峠で、昔・婚家がつらくって出てきたけれども、戻るわけにもいかなくって、生家が見えるところで亡くなっていた‥といわれている首吊りの松らしきものがシルエットで見える心細い薄明かりの中を歩いて帰るしかありませんでした。
山谷峠で、昔・婚家がつらくって出てきたけれども、戻るわけにもいかなくって、生家が見えるところで亡くなっていた‥といわれている首吊りの松らしきものがシルエットで見える心細い薄明かりの中を歩いて帰るしかありませんでした。
50年には、一日だけ、あるっきりバスが一台も出なかった・運行できなかった日があり、定期を持っていた子には、定期の一日分=30分の一・・数十円の払い戻しがありました。
今日も、そんな状態なのでしょうか…高校は県立なので、お休みにはならないはずですが、自家用車があのころとは違ってある時代が、自家用車があのころとは違って、一家に数台ある時代ですから、そういう猛者はもう・ほとんどいないのでしょうね。
総二階のお宅の雪、こんな感じですね。
我が家も、玄関の上の雪が一気に頭の上に落ちてきたら危険な状態になってきましたから、下からつっついて落としておかないといけないかもしれません
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