Nonsection Radical

撮影と本の空間

デジモノ

2016年03月21日 | Weblog
机の上が今デジモノであふれてしまっている。
特にデジモノ好きというわけでもないのだけれど、”必要”があって手に入れたものを”整備”しているだけ。
最近は”軽薄短小”なものばかりなのだが、それでもかさばるのはACアダプターの類がみんな必要だから。
デジモノといっても、内実すべて電気製品で、電気がないと動かない。
電気を供給するコードとアダプターがないと役に立たない不便なものだ。
昔2ヶ月間旅をした時には、カメラに電池は必要なかった。
それでも写真は撮れた時代だ。
今はそうはいかない。
便利になったのか不便になったのか。
同様に、デジモノでいろいろなことが外でできるようになったけれど、やはり電気の供給を受ける場所を確保しないと何もできなくなるのは便利なことなのか。
震災の時に停電し、不便な思いをした人も多かったが、電気とはいつも確保できていないと、昔の生活さえもおくれない不便な存在になったとも言える。
デジモノがアナログもの(アナモノ)を駆逐した現在の生活は、選択肢がなくなった時代とも言えるのか。
デジモノが使えないと、代わりになるものがないというのは不安なもので、だからバックアップとしてさらにデジモノを揃えるという”悪循環”になっていないか。
むしろアナモノを常備して使いこなしていることが、何かの役に立つ時代ではないか。
でも、今の時代は、”何か”というような曖昧なものは排除して、キチンとした目的があるものだけで生きるというのが”正しい”現代人の生き方みたいな傾向があるように思えるしな。
やはりデジタルのように0か1という割り切った生活を送るしかないのかなぁ。
とは言いつつ、山積みになったデジモノを前にすると、コードやアダプターこそデジモノとは一番遠いアナクロ(アナログではない)な存在じゃないのかと言いたくもなる。



米が浜通り 2
神奈川県横須賀市米が浜通1,2丁目
撮影 2015年9月5日 土曜日 11時50分
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周回遅れ

2016年03月20日 | Weblog
世の中の潮流に乗って行くには、素直にスマホを購入すればいいのだけれど、なんでも一つで済ますというのが気に入らない。
だって結局はどれも中途半端で使い勝手が悪いんだから。
スマホサイズでウェブサイトを見る気になれないし、指をアチコチ動かすのも嫌だし、”板”を耳に当てて通話するのも格好悪いし。
ましてや被写体にスマホをかざして写真を撮るなんて・・・。
そんな”こだわり”を持っているとロクなことにならないのはわかっているけど、なんかやなんだよね。
その結果、アレヤコレヤを持ち歩いてかさばり重い思いをしなくちゃならないんだけどな。
それでも時代の波に流されて最後にはスマホに行き着くんだろうけど、その時にはすっかり取り残されているんだよきっと。
でもその程度でいいのさ。
その代わりに、多くの人が使えない旧いものが使えたりするんだから。
オートフォーカスカメラは使えないけど、マニュアルカメラは使えるとかね。
イイこともあるし、ゆっくり”吟味”できるし。
流行遅れのオッサンとして生きていくのさ。



いわき駅前
福島県いわき市常磐湯本町天王崎
撮影 2015年9月22日 火曜日 13時55分
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花粉症+風邪?

2016年03月19日 | Weblog
週の後半からクシャミ鼻水が止まらず、熱っぽいし、それでいて寒気もするし、頭も痛い。
1日寝ているしかないのだけれど、どうも良くならない。
ついに目まで痒くなってきた。
この症状から家人は花粉症だというが、認めたくないので風邪と言い張る。
どちらかわからないので合併症ということで。
困るのは頭が働かないこと。
早急にしなければならないことがたくさんあるんだけど。
ま、今夜は寝ますけど。



米が浜通り 1
神奈川県横須賀市若松町3丁目,米が浜通1丁目
撮影 2015年9月5日 土曜日 11時45分
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いちぬけたぁ

2016年03月18日 | Weblog
今日で現在の仕事先を辞めた。
相手先の要望に応えられないからというのは表向きの公式発表。
でもまあ10ヶ月で少しは影響力を残せたかなと思った。
今日も1日淡々と仕事をして、伝えるものは伝えて終業時間。
一緒に仕事をしたおねえさんが最後にそっと電話番号をくれたぁ!
そこは年季の入ったオッサンのことであるから、淡々と受け取り「これからも仕事を頑張ってね」と言うと、「もう来月で辞めます」とのこと。
内心「だろうなぁ」と思ったけれど顔には出さずに、これからも頑張っていこうねとエールの交換。
一人去ることでかなり現場は動揺しているのに、これでさらに一人となると計り知れない影響が。
でもそうしたのは”上”の扱い方なので仕方ない。
これが企業というものだろう。
人を使うのは難しいが、さらにツライ仕事を楽しくやっていく雰囲気を作るのはさらに難しい。
その雰囲気作りに苦心してきたんだけど、それが理解されず、また理解されて。
あとは知りませんと、笑顔で他の人とも挨拶しておしまい。
これまでいくつもの仕事をしてきたので”別れ”は慣れたもの。
こういう場合は、残された者の方がツライんだよね。

明日から素浪人。



常磐湯本町の街並み 16
福島県いわき市常磐湯本町栄田,天王崎
撮影 2015年9月22日 火曜日 13時20分
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役立たずなのはシステムか人か

2016年03月17日 | Weblog
福一での”事故”の際に、鳴り物入りだった放射性物質の拡散予測システム「SPEEDI(スピーディ)」が全然役を果たさず、何のためのシステムなのと批判を浴びたけど、このたび今後の”事故”の際の避難の判断に活用しないことが決まったとニュースで。
SPEEDIの情報がちっとも報じられず、挙げ句の果てには、詳しいデータが得られなかったのだから予測できなかったなんて言う人まで出て、こりゃぁ役立たずだわと思った人も多かったけど、こんなの嘘とは言わないけど、嘘くさい話なんだよね。
もともと聞いていた話では、知りうる限りのわずかなデータで、最大限の予測ができるというのがSPEEDIの”売り”で、それを参考として避難の対策を練るのが目的だった。
簡単に言えば、放射性物質がどちらに流れていくかを予測して、対象地域の人は避難をするんだけど、どちらの方向に逃げればいいかの判断にも使えるシステム。
”現実”には、何も予測が報じらず、何も知らないで放射能に晒された人がたくさんいたし、逃げた方向に放射能の雲が流れてきたなんてこともあったわけだ。
報じられなかったのは、報じなかったからで、実はSPEEDIは一生懸命予測していたというんだよね。
それもかなり正確なデータを弾き出していたらしく、それが報じられていたら無用な放射能汚染に晒されずに済んだ人もたくさんいたはず。
でも、予測は出さなかった。
そして今後も出さないから、今回の決定になったということだろう。
データを出さない理由を”予測”すると、そういうデータを出すとパニックが起きて収拾がつかなくなるから、というものだろう。
我先に避難する人で渋滞、事故、おまけに事件が起きたら誰が責任を取るのかという話だろう。
そんなことになるぐらいなら、”平等”に被爆してもらいましょうというわけか。
実際に先の”事故”ではそうだったし。
でもさぁ、どうしてこのような緊急事態の際に、正確な予測でなきゃならないのさ。
おおまかなものでも、それを活用することが大切なんだろうに。
結局、活用できないのならやめてしまえという後ろ向きな人の考えなんだよね。
むしろ活用できないような人にはやめてもらって、活用できる人に運用してもらえばいいわけじゃない。
今後再び”事故”があっても、何も情報が得られずに、一度知ってしまった悲劇なんだから、今度はもっとパニックになると思うんだけどねぇ。
どうするんダァ?



若松中央通り
神奈川県横須賀市若松町1,3丁目
撮影 2015年9月5日 土曜日 11時40分
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