我が家は、毎朝神棚と仏壇にご飯等供え、
手を合わせる習慣がある。
これは、我が家だけでなく、
別に珍しい事でもないが、その後に朝食となる。
私も、神棚仏前でその日の家族の無事を祈念する、
こんな日々が続いて久しい。
義母が、生前中に神仏に手を合わせていた、
その後ろ姿を、妻が見様見真似で続けている。
歳を重ねたためか、それが当たり前のように生活をするようになった?
母が旅たってから、わたしは「般若心教」を唱えるようになった。
どんな意味があるか、人さまに説明できるまでに、
いまだいたっていない。
300字ぐらいで、3分以内で終わるお経である。
お経の中でも、一番短いものだという?
意味を知りたいのであれば、
書店に行くといろいろ解説した本が並んでいる。
私も、2冊ほど手元にあり目を通している・・・・・。
実は、昨日妻の従兄が3月に亡くなり、
その奥さんと長男が、我が家に顔出しに見えられた。
従兄は生前、「骨は海に散骨」との話をしていたという。
家族の選んだ方法は、その様に取り計らったという。
クルーザーを貸し切り、東京湾に散骨したという!!
言いの悪いの言う立場にないし、まして遺言。
率直なことを話せば、この年代になると、
我がごとのような気がしないでもない・・・・・。
正直、寂しさを感じる!!!
仏壇も位牌もない・・・・・・・。
手を合わせるべき対象のものが存在しない・・・・・・。
割り切りないような、そんな感じで話を聞いた。
しかし、これが現実の社会になったようだ?
べして従兄の遺言が、特別なことではないようだ?
葬儀の在り方、お墓、仏壇等々、
大きく、様変わりする時代になった・・・・・・。
里山のノハナショウブ、まだまだ咲くようです。