あるブログでは秩父鉄道に走る旧山手線車両を紹介していた。
私は学生時代(約40年前)川崎に住んでいた、
学校は小田急線【生田】(いくた)が最寄駅で
住居を
1.小田急線【向ヶ丘遊園】駅
2.JR南武線【稲田堤】駅
3.小田急線【読売ランド前】駅
と転々した。
当時南武線は旧国鉄(戦争中?)山手線を運行した古い車両(こげ茶色)だった。
20年後小田急線【新百合ヶ丘】から【登戸】経由【川崎】に通う時に
利用した南武線がまさにこの記事にでてくる緑と朱色の山手線・中央線車両だった。
学生時代思ったことは関西方面から上京した人は中央線を境に南側
東北方面から上京した人は北側にそれぞれ下宿していた。
それは南西方面には【東京】駅から、東北方面には【上野】駅から
それぞれ【帰省】する都合だろうと感じていた。
いまとなっては大学も立川・八王子・さいたま・筑波と分散してしまい、
上記帰省による下宿法則もあてはまらない。
当時は神田界隈に大学が密集していたようだ。
私は学生時代(約40年前)川崎に住んでいた、
学校は小田急線【生田】(いくた)が最寄駅で
住居を
1.小田急線【向ヶ丘遊園】駅
2.JR南武線【稲田堤】駅
3.小田急線【読売ランド前】駅
と転々した。
当時南武線は旧国鉄(戦争中?)山手線を運行した古い車両(こげ茶色)だった。
20年後小田急線【新百合ヶ丘】から【登戸】経由【川崎】に通う時に
利用した南武線がまさにこの記事にでてくる緑と朱色の山手線・中央線車両だった。
学生時代思ったことは関西方面から上京した人は中央線を境に南側
東北方面から上京した人は北側にそれぞれ下宿していた。
それは南西方面には【東京】駅から、東北方面には【上野】駅から
それぞれ【帰省】する都合だろうと感じていた。
いまとなっては大学も立川・八王子・さいたま・筑波と分散してしまい、
上記帰省による下宿法則もあてはまらない。
当時は神田界隈に大学が密集していたようだ。