一時帰国中、日本はアフリカより暑いと言って周りの人に^_^
さて私が所属しています、養神館合気道龍の機関紙に先月に引き続き、世界一周旅行記を掲載していただきました。
嬉しいことです。合気道をやっている方は合気道だけでなくとても活動的な方が多いので、私の旅行記がどのくらいお役に立つのかと思います。しかし働いている方が多いので、長期休暇は無理な方のために少しでも世界の国々の風がお送り出来たらと思います。
これからもレポート一生懸命します(笑)
(本日リリアン当てに出したハガキの写真です)
7月14日私はケニアの首都ナイロビにある世界最大のスラム街の中で一人で学校を作った
リリアンさん、そしてそれを支えている日本の女性、早川千晶さんに会いに行きました。
スラム街の名前は「キベラ」約150万人が不法に住んでいると言われています。
そこを訪問するにはあまりに危険です、したがって早川さんがやっていらっしゃる「キベラスタディツアー」をお願いして行くことになりました。通常はひとり何千円の参加費ですが、今回は参加者が私一人ということで4,5人分ほどの参加費を負担させていただきました。この参加費は収益になるのではなく、危険なスラム街を歩いて通ったり移動したりするときに政府の武装警官3名が前後を守ってくれる料金です。
したがって一人で勝手にマゴソスクールに行くことは禁じられていますし、とても危険です。
マゴソスクールの歴史は↓の通りです。
(以下 いろんな方のHPなどから)
その中に、マゴソスクールはあります。
18人兄弟姉妹の長女リリアンさんは、病気で両親を亡くしてからキベラスラムで弟妹を支え、子どもたちだけでたくましく生き抜いてきました。やがてリリアンさんは、同じように早くに親を失い、よりどころを無くした子どもたちを自分のもとに引き取り、1999年自分が暮らす長屋の一室に浮浪児を集め、寺子屋をはじめたことから始まりました。
やがてそこは、うわさを聞いた子供達が集まり、人数がどんどん増えていきました。
そこに共感したケニア在住22年の早川さんが、共感して長屋を買ったのが最初の校舎。
その後、キベラスラムの仲間たちが力を合わせて建設し、スラムの貧困児童、孤児、虐待を受けた子どもたち、家や家族を失い路上の浮浪児になった子どもたちなどを救済しているセンターとなりました。
近所の子ども達20人から始まったマゴソスクールは、今では約600人が通いスラムの中の駆け込み寺のような場所になりました。
子どもたちだけではなく、大人も、若者たちも、困った状況にある人たちがここでともに生きていける場所になっています。
どん底のような貧困がはびこるキベラスラムの暮らしは、病気、強盗、大火事、空腹など辛いことも沢山あります。しかしそれでも日々の喜びや悲しみを共に分かち合う仲間たちがいます。近所の人々との助け合いと、ありとあらゆる工夫と努力によってスラムでは生き抜くことができます。
そしてこの訪問から半月、私はいろんなことを考えました。
まず「可哀そう」「貧しい」「なぜ?」etc.なんて言葉はこの現実からはとても軽い言葉のように思いました。
さらに政府から一銭も援助もなくて、大きな団体からも援助を受けていません。
早川さんが日本で行う講演会や販売、そしてスラムの中での助け合い、援助に支えられています。
そんな中で私は何をすべきか?来年の世界一周から帰ってまだまだいろんな現実を見てスタートしたいと思っています。まずは詳細報告まで。
(参考に一昨年の早川さんのFBの記事がこの活動の思いを一番表していると思い長いですが以下引用しています。)
皆様こんにちは。いつもマゴソスクールを応援してくださりありがとうございます。
毎年この時期になると同じお願いになってしまい、非常に恐縮なのですが、2014年度のマゴソスクール運営のためにご支援いただけないでしょうか!どうか何卒よろしくお願いいたします。
マゴソの財政ピンチというお知らせをこうして時折させていただくことを本当に心苦しく思っているのですが、なぜこうなるのかということを今日は少し説明させてください。
私たちマゴソスクールは定期的なご支援の受け皿になるような会員制度や里親制度などは設けておらず、様々な出会いからつながっていった人々と共に、できる人ができることをやる、という自主的な形でこれまでこうして発展、存続、運営させていただいてきました。日本側ではお金を集約するための郵便局の口座をひとつ設置しているだけで、主な収入源になっているのは毎年私が日本でのライブツアーを行って得られる収益と、イベントの際にいつも置いている「1食10円給食募金」の募金箱、およびケニアで作ったグッズの販売収益です。その他は、ご縁をいただいた方々の個人個人のお気持ちを、各自ができるときや思いついたときにこの口座に振り込んでくださったり、独自に活動された方々が得た収益をお寄せくださったりしています。独自に活動されている方々というのは、例えば、自分の畑で育てた果物でジュースを作ってお祭りで売る、Tシャツやアクセサリーを作って売る、マゴソのためのハランベーライブを行う、ケニアの紅茶やマカダミアナッツを仕入れて販売する、マゴソグッズを預かり自宅や自分の店やフリマなどで販売する、学園祭で模擬店を出して料理を作って販売する、育てた小麦でパンを焼いて販売する、詩やエッセイや写真集を出す、マゴソを支援することをひとつの活動内容として取り入れたNPOを設立する、などです。
ケニア側でも私たちはできるだけ収入を生み出しスラムの人々の雇用機会を生み出すような収益活動を行っており、例えば、CDを制作して販売する、スタディツアー・交流企画・調査や取材のお手伝い・通訳・情報提供などを行う、アートや音楽のプロジェクトを実施する、廃品回収をして販売する、現地の小学校や病院などから縫製の注文を受ける、などです。キベラスラムの地域住民に呼びかけてのハランベーも年に数回行っています。
このような方式でこれほどの規模のプロジェクトを運営していくのは不可能だろうと、これまで何度も多くの方々からアドバイスをいただいてきました。会員制度を作り定期的に安定した支援を受けられるようにしていくべきだというアドバイスや、自動引き落としで継続的に募金をいただけるシステムを作ったほうがいいというアドバイスをいただき、私もマゴソのためにはそうしたほうがいいのかと悩んだこともありました。しかし私はやはり一番大切に感じているのは、アイディアを駆使して何もないところからみんなで何かを作り出していく喜びや、共に働くことでそこに生きがいや充実感が生まれるということで、特にキベラスラムの仲間たちにとってはそれが人生の誇りにもなり、その姿を見て子どもたちが受ける影響や学びが大きいということを実感しています。
なので正直言って、マゴソスクールの収入は安定していません。このようなやり方はサステイナブル(持続可能)ではない、ということも、スタディツアーに参加してマゴソを訪れてくださった国際協力を勉強してきた学生さんたちからも言われました。そのことについて私はこの2年ほど特に真剣に考えてきました。マゴソスクールの子どもの人数やマゴソスクールで働くことで生活が可能になっているスラム住民たちが増え続けていく中で、本当にこれでいいのかと何度も悩みました。
でもいま私が感じていることは、出会わせていただいてきた人々とのつながりと支え合いが生み出す予期せぬような力や、マゴソで育っていった子どもたちが大人になってきて生まれていっている力です。マゴソの子どもたちに対して愛情や共感を持ってくださった方々が、日々の生活の中で時折キベラスラムに思いを馳せてくださったり実際に思いを寄せてくださったりすること、それはお金だけで計れない大きな力が作用していきます。それは直接、命の力に響きます。
そして実際に、マゴソで育った子どもたちの最前線には、2011年から高校を卒業したマゴソOBOGたちが出てきていて、彼らがいまマゴソの運営に関わりはじめてくれています。この子たちがもっとしっかり育つためには、これからまだ10年や20年の歳月が必要でしょうが、その先には本当の意味でのサステイナブル(持続可能)な安定した土台を、この子たちが築いていってくれるのではないかと私は感じています。
私がいま、マゴソが力をつけていくためにできることは、マゴソに関わるひとりひとりの人間が、痛みや悲しみを癒し、仲間とのつながりを作り、思いついたことは何でも取り組んでみて共に働き、楽しいことや感動することをたくさん一緒に経験して、人間力をアップしていくことだろうと思っています。
このようなやり方でこれまでやってきたものですから、うんとがんばっていても、時々、お財布が空っぽになりそうになって焦るときがあります。そういうときは素直に、ピンチですと告白させていただき、ご支援を募らせていただければと願っている次第です。
今回日本からケニアに帰ってきて、今回の日本ツアーで生まれた収益も計算して入金し、ずっと壊れていて薪代がかさんでいた調理場を新しく建設しなおし、治安が悪くなっているキベラスラムでの治安対策にフェンスを追加したり倉庫を強化したり、女子寮の整備や新しく障がい児特別学級の設置への準備、アートクラブや女の子クラブの整備を行いました。
そうして残金を計算しましたところ、来年度のマゴソスクールの運営資金は1月分まではありますが、それでお金は底を尽きることになりました。
次回私が日本ツアーを行うのは2014年3月からです。そのツアーから帰ってくるまでの資金を、なんとか確保していかねばならないなと考えています。
そこで、本当に少額でもかまいません、マゴソスクールの2014年度の運営資金のために募金のご協力をいただけませんでしょうか?
毎月必ず必要になっている運営資金は、マゴソスクールで生活している子どもたち以外にも、キベラスラムの貧困児童への毎日の朝と昼の給食(朝食は1人1食2円、昼食は1人1食10円の予算で行っています)、および、マゴソスクールの幼稚園年少・年中・年長~小学8年生までの教員と木工の技術教官、洋裁教室の教官、警備員、清掃係、給食のお母さん2名、のための給料です。働いている人たちはすべてキベラスラムの住民で、未亡人や、障がい者、病気をかかえた人、貧困家庭出身者などです。
マゴソスクールで生活している子どもたちや、ミリティーニ村の子どもの家ジュンバ・ラ・ワトトの生活費は、NPO Doにご支援いただいています。また、セカンダリースクールに在学している生徒たちの学費はMORO教育基金を通じてMudef, アマニヤアフリカ、まさよし夢基金、たのしい地球、Do, マイシャ・ヤ・ラハ基金などの団体や、数名の個人の皆様に継続的なご支援をいただいています。
病気の子どもの医療費はChild Doctorにご支援いただいています。
腎臓移植手術を受けたカテンベ君の医療費と教育費は、マイシャ・ヤ・ラハ基金を通じて20名の個人の皆様に支えていただいています。
ここに名前をあげることができませんが、私がこれまで講演をさせていただいた日本全国各地の小学校、中学校、高校の生徒や教員の皆さんが、児童会や生徒会、ボランティアサークルなどを中心としてご支援くださっています。
このような形で行っているのですが、いま現在、マゴソスクールの口座にある残高は2014年の1月の運営費までしかないというのが実情で、早急になんとかしなければと思っています。
マゴソスクールの子どもたちの中にも、完全孤児ではなくお父さんかお母さんのどちらか、もしくは、両親ともいないけれども叔父や叔母、祖母や兄姉などの保護者がいる生徒もおり、マゴソスクールでは保護者会を作っており、保護者会が主導しての資金集めもしています。現在、キッチンの建設のために1保護者あたり石のブロックひとつ(75円)を持ち寄ることを行っており、また、教科書を買うためのハランベーでは毎年2万~3万円は集まります。そして、毎月、お金を持ち寄れる保護者はそれぞれに可能な金額を持ち寄ってもらっており、その金額はひとりにつき50円から200円です。貧しいなりに、キベラスラムの住民たちもがんばって学校運営に関わっていってくれています。
長くなりまして申し訳ありません。マゴソスクールのための日本口座は、マイシャ・ヤ・ラハ基金という名前で設けてあり、その口座番号は以下です。
ゆうちょ銀行
記号:10070 番号:17463211
名義:マイシャヤラハキキン
どうぞよろしくお願い申し上げます。
また、今後の計画ですが、マゴソ・オシャゴーという名前で、ビクトリア湖畔の農村に新しいプロジェクトを開始することになりました。(オシャゴーとは、故郷、田舎という意味。)これは、有機農業と畜産を行いながらマゴソスクールに収入をもたらし、なおかつ、マゴソスクールから移住した子どもたちが自給自足をして生活することができる場所、キベラスラムの万が一の強制撤去のときや政情不安による暴動などが起きたときにはリリアンや子どもたちが避難することができる場所となります。
この土地購入には、NPO Do にお世話になりご支援いただきました。これからここにもベースを作っていくことが、2014年度に新たにはじめていくことです。
日本にもまたリリアンたちやOBOGたちを連れていく機会を作っていきたいと願っています。
長い文章になりまして申し訳ありません。これからもどうかよろしくお願い申し上げます。いつも本当にありがとうございます。
早川千晶
タンザニアでお会いした75歳の日本のボランティアおじさんが日本から持ち込んでいた
のこぎりが盗られてしまい困っている旨お聞きして、帰国したら送る約束をしていました。
本日アマゾンで購入してEMSで送りました。
外国ののこぎりは日本と逆で押し切りで更に切れ味悪いとのこと。
無事届くことを祈っています。