定年だ!!世界一周

サラリーマン36年、
いよいよ念願だった世界一周に出発2015年4月1日
2016年1月22日219日間27か国達成

合気龍新聞に^_^

2015-08-10 10:31:49 | キリマンジャロ、ヨルダン、イスラエル


一時帰国中、日本はアフリカより暑いと言って周りの人に^_^

さて私が所属しています、養神館合気道龍の機関紙に先月に引き続き、世界一周旅行記を掲載していただきました。

嬉しいことです。合気道をやっている方は合気道だけでなくとても活動的な方が多いので、私の旅行記がどのくらいお役に立つのかと思います。しかし働いている方が多いので、長期休暇は無理な方のために少しでも世界の国々の風がお送り出来たらと思います。

これからもレポート一生懸命します(笑)

ケニアの世界最大のスラム街の詳細報告

2015-08-06 21:38:36 | キリマンジャロ、ヨルダン、イスラエル

 

(本日リリアン当てに出したハガキの写真です)

7月14日私はケニアの首都ナイロビにある世界最大のスラム街の中で一人で学校を作った

リリアンさん、そしてそれを支えている日本の女性、早川千晶さんに会いに行きました。

スラム街の名前は「キベラ」約150万人が不法に住んでいると言われています。

そこを訪問するにはあまりに危険です、したがって早川さんがやっていらっしゃる「キベラスタディツアー」をお願いして行くことになりました。通常はひとり何千円の参加費ですが、今回は参加者が私一人ということで4,5人分ほどの参加費を負担させていただきました。この参加費は収益になるのではなく、危険なスラム街を歩いて通ったり移動したりするときに政府の武装警官3名が前後を守ってくれる料金です。

したがって一人で勝手にマゴソスクールに行くことは禁じられていますし、とても危険です。

マゴソスクールの歴史は↓の通りです。

(以下 いろんな方のHPなどから)

その中に、マゴソスクールはあります。

18人兄弟姉妹の長女リリアンさんは、病気で両親を亡くしてからキベラスラムで弟妹を支え、子どもたちだけでたくましく生き抜いてきました。やがてリリアンさんは、同じように早くに親を失い、よりどころを無くした子どもたちを自分のもとに引き取り、1999年自分が暮らす長屋の一室に浮浪児を集め、寺子屋をはじめたことから始まりました。


やがてそこは、うわさを聞いた子供達が集まり、人数がどんどん増えていきました。
そこに共感したケニア在住22年の早川さんが、共感して長屋を買ったのが最初の校舎。

その後、キベラスラムの仲間たちが力を合わせて建設し、スラムの貧困児童、孤児、虐待を受けた子どもたち、家や家族を失い路上の浮浪児になった子どもたちなどを救済しているセンターとなりました。
近所の子ども達20人から始まったマゴソスクールは、今では約600人が通いスラムの中の駆け込み寺のような場所になりました。
子どもたちだけではなく、大人も、若者たちも、困った状況にある人たちがここでともに生きていける場所になっています。

どん底のような貧困がはびこるキベラスラムの暮らしは、病気、強盗、大火事、空腹など辛いことも沢山あります。しかしそれでも日々の喜びや悲しみを共に分かち合う仲間たちがいます。近所の人々との助け合いと、ありとあらゆる工夫と努力によってスラムでは生き抜くことができます。

そしてこの訪問から半月、私はいろんなことを考えました。

まず「可哀そう」「貧しい」「なぜ?」etc.なんて言葉はこの現実からはとても軽い言葉のように思いました。

さらに政府から一銭も援助もなくて、大きな団体からも援助を受けていません。

早川さんが日本で行う講演会や販売、そしてスラムの中での助け合い、援助に支えられています。

そんな中で私は何をすべきか?来年の世界一周から帰ってまだまだいろんな現実を見てスタートしたいと思っています。まずは詳細報告まで。

(参考に一昨年の早川さんのFBの記事がこの活動の思いを一番表していると思い長いですが以下引用しています。)

★2014年度のマゴソスクール運営にご協力お願いいたします★

皆様こんにちは。いつもマゴソスクールを応援してくださりありがとうございます。

毎年この時期になると同じお願いになってしまい、非常に恐縮なのですが、2014年度のマゴソスクール運営のためにご支援いただけないでしょうか!どうか何卒よろしくお願いいたします。

マゴソの財政ピンチというお知らせをこうして時折させていただくことを本当に心苦しく思っているのですが、なぜこうなるのかということを今日は少し説明させてください。

私たちマゴソスクールは定期的なご支援の受け皿になるような会員制度や里親制度などは設けておらず、様々な出会いからつながっていった人々と共に、できる人ができることをやる、という自主的な形でこれまでこうして発展、存続、運営させていただいてきました。日本側ではお金を集約するための郵便局の口座をひとつ設置しているだけで、主な収入源になっているのは毎年私が日本でのライブツアーを行って得られる収益と、イベントの際にいつも置いている「1食10円給食募金」の募金箱、およびケニアで作ったグッズの販売収益です。その他は、ご縁をいただいた方々の個人個人のお気持ちを、各自ができるときや思いついたときにこの口座に振り込んでくださったり、独自に活動された方々が得た収益をお寄せくださったりしています。独自に活動されている方々というのは、例えば、自分の畑で育てた果物でジュースを作ってお祭りで売る、Tシャツやアクセサリーを作って売る、マゴソのためのハランベーライブを行う、ケニアの紅茶やマカダミアナッツを仕入れて販売する、マゴソグッズを預かり自宅や自分の店やフリマなどで販売する、学園祭で模擬店を出して料理を作って販売する、育てた小麦でパンを焼いて販売する、詩やエッセイや写真集を出す、マゴソを支援することをひとつの活動内容として取り入れたNPOを設立する、などです。

ケニア側でも私たちはできるだけ収入を生み出しスラムの人々の雇用機会を生み出すような収益活動を行っており、例えば、CDを制作して販売する、スタディツアー・交流企画・調査や取材のお手伝い・通訳・情報提供などを行う、アートや音楽のプロジェクトを実施する、廃品回収をして販売する、現地の小学校や病院などから縫製の注文を受ける、などです。キベラスラムの地域住民に呼びかけてのハランベーも年に数回行っています。

このような方式でこれほどの規模のプロジェクトを運営していくのは不可能だろうと、これまで何度も多くの方々からアドバイスをいただいてきました。会員制度を作り定期的に安定した支援を受けられるようにしていくべきだというアドバイスや、自動引き落としで継続的に募金をいただけるシステムを作ったほうがいいというアドバイスをいただき、私もマゴソのためにはそうしたほうがいいのかと悩んだこともありました。しかし私はやはり一番大切に感じているのは、アイディアを駆使して何もないところからみんなで何かを作り出していく喜びや、共に働くことでそこに生きがいや充実感が生まれるということで、特にキベラスラムの仲間たちにとってはそれが人生の誇りにもなり、その姿を見て子どもたちが受ける影響や学びが大きいということを実感しています。

なので正直言って、マゴソスクールの収入は安定していません。このようなやり方はサステイナブル(持続可能)ではない、ということも、スタディツアーに参加してマゴソを訪れてくださった国際協力を勉強してきた学生さんたちからも言われました。そのことについて私はこの2年ほど特に真剣に考えてきました。マゴソスクールの子どもの人数やマゴソスクールで働くことで生活が可能になっているスラム住民たちが増え続けていく中で、本当にこれでいいのかと何度も悩みました。

でもいま私が感じていることは、出会わせていただいてきた人々とのつながりと支え合いが生み出す予期せぬような力や、マゴソで育っていった子どもたちが大人になってきて生まれていっている力です。マゴソの子どもたちに対して愛情や共感を持ってくださった方々が、日々の生活の中で時折キベラスラムに思いを馳せてくださったり実際に思いを寄せてくださったりすること、それはお金だけで計れない大きな力が作用していきます。それは直接、命の力に響きます。

そして実際に、マゴソで育った子どもたちの最前線には、2011年から高校を卒業したマゴソOBOGたちが出てきていて、彼らがいまマゴソの運営に関わりはじめてくれています。この子たちがもっとしっかり育つためには、これからまだ10年や20年の歳月が必要でしょうが、その先には本当の意味でのサステイナブル(持続可能)な安定した土台を、この子たちが築いていってくれるのではないかと私は感じています。

私がいま、マゴソが力をつけていくためにできることは、マゴソに関わるひとりひとりの人間が、痛みや悲しみを癒し、仲間とのつながりを作り、思いついたことは何でも取り組んでみて共に働き、楽しいことや感動することをたくさん一緒に経験して、人間力をアップしていくことだろうと思っています。

このようなやり方でこれまでやってきたものですから、うんとがんばっていても、時々、お財布が空っぽになりそうになって焦るときがあります。そういうときは素直に、ピンチですと告白させていただき、ご支援を募らせていただければと願っている次第です。

今回日本からケニアに帰ってきて、今回の日本ツアーで生まれた収益も計算して入金し、ずっと壊れていて薪代がかさんでいた調理場を新しく建設しなおし、治安が悪くなっているキベラスラムでの治安対策にフェンスを追加したり倉庫を強化したり、女子寮の整備や新しく障がい児特別学級の設置への準備、アートクラブや女の子クラブの整備を行いました。

そうして残金を計算しましたところ、来年度のマゴソスクールの運営資金は1月分まではありますが、それでお金は底を尽きることになりました。

次回私が日本ツアーを行うのは2014年3月からです。そのツアーから帰ってくるまでの資金を、なんとか確保していかねばならないなと考えています。

そこで、本当に少額でもかまいません、マゴソスクールの2014年度の運営資金のために募金のご協力をいただけませんでしょうか?

毎月必ず必要になっている運営資金は、マゴソスクールで生活している子どもたち以外にも、キベラスラムの貧困児童への毎日の朝と昼の給食(朝食は1人1食2円、昼食は1人1食10円の予算で行っています)、および、マゴソスクールの幼稚園年少・年中・年長~小学8年生までの教員と木工の技術教官、洋裁教室の教官、警備員、清掃係、給食のお母さん2名、のための給料です。働いている人たちはすべてキベラスラムの住民で、未亡人や、障がい者、病気をかかえた人、貧困家庭出身者などです。

マゴソスクールで生活している子どもたちや、ミリティーニ村の子どもの家ジュンバ・ラ・ワトトの生活費は、NPO Doにご支援いただいています。また、セカンダリースクールに在学している生徒たちの学費はMORO教育基金を通じてMudef, アマニヤアフリカ、まさよし夢基金、たのしい地球、Do, マイシャ・ヤ・ラハ基金などの団体や、数名の個人の皆様に継続的なご支援をいただいています。

病気の子どもの医療費はChild Doctorにご支援いただいています。

腎臓移植手術を受けたカテンベ君の医療費と教育費は、マイシャ・ヤ・ラハ基金を通じて20名の個人の皆様に支えていただいています。

ここに名前をあげることができませんが、私がこれまで講演をさせていただいた日本全国各地の小学校、中学校、高校の生徒や教員の皆さんが、児童会や生徒会、ボランティアサークルなどを中心としてご支援くださっています。

このような形で行っているのですが、いま現在、マゴソスクールの口座にある残高は2014年の1月の運営費までしかないというのが実情で、早急になんとかしなければと思っています。

マゴソスクールの子どもたちの中にも、完全孤児ではなくお父さんかお母さんのどちらか、もしくは、両親ともいないけれども叔父や叔母、祖母や兄姉などの保護者がいる生徒もおり、マゴソスクールでは保護者会を作っており、保護者会が主導しての資金集めもしています。現在、キッチンの建設のために1保護者あたり石のブロックひとつ(75円)を持ち寄ることを行っており、また、教科書を買うためのハランベーでは毎年2万~3万円は集まります。そして、毎月、お金を持ち寄れる保護者はそれぞれに可能な金額を持ち寄ってもらっており、その金額はひとりにつき50円から200円です。貧しいなりに、キベラスラムの住民たちもがんばって学校運営に関わっていってくれています。

長くなりまして申し訳ありません。マゴソスクールのための日本口座は、マイシャ・ヤ・ラハ基金という名前で設けてあり、その口座番号は以下です。

ゆうちょ銀行

記号:10070  番号:17463211

名義:マイシャヤラハキキン

どうぞよろしくお願い申し上げます。

また、今後の計画ですが、マゴソ・オシャゴーという名前で、ビクトリア湖畔の農村に新しいプロジェクトを開始することになりました。(オシャゴーとは、故郷、田舎という意味。)これは、有機農業と畜産を行いながらマゴソスクールに収入をもたらし、なおかつ、マゴソスクールから移住した子どもたちが自給自足をして生活することができる場所、キベラスラムの万が一の強制撤去のときや政情不安による暴動などが起きたときにはリリアンや子どもたちが避難することができる場所となります。

この土地購入には、NPO Do にお世話になりご支援いただきました。これからここにもベースを作っていくことが、2014年度に新たにはじめていくことです。

日本にもまたリリアンたちやOBOGたちを連れていく機会を作っていきたいと願っています。

長い文章になりまして申し訳ありません。これからもどうかよろしくお願い申し上げます。いつも本当にありがとうございます。

早川千晶

 

 


暑中お見舞い申し上げます

2015-08-04 09:56:45 | キリマンジャロ、ヨルダン、イスラエル


暑中お見舞い申し上げます
一時帰国して早や?一週間~~
まだ時差ボケに悩まされております。
しかしそろそろ普通の生活に戻らなくてはと、今日から普通?の生活をしております。

早速暑中見舞いを作りました。

お世話になっている皆様へ

タンザニアにのこぎり

2015-08-03 14:05:09 | キリマンジャロ、ヨルダン、イスラエル

タンザニアでお会いした75歳の日本のボランティアおじさんが日本から持ち込んでいた

のこぎりが盗られてしまい困っている旨お聞きして、帰国したら送る約束をしていました。

本日アマゾンで購入してEMSで送りました。

外国ののこぎりは日本と逆で押し切りで更に切れ味悪いとのこと。

無事届くことを祈っています。


ヴィトンも中国人占領

2015-07-27 20:43:06 | キリマンジャロ、ヨルダン、イスラエル


今日はJALなので日本の映画でも見ながら帰ります。

ところでパリ一番のデパート、ギャラリーラファイエットは朝から中国人の団体がバスで乗り付けてバーゲン会場のようです。

そしてヴィトンも中国人占領、あまりに多くて入店規制しています。

そしてラファイエットの裏のコンビニでは店の前に中国人が大勢座って食べています。

本当に凄い!!アフリカでは労働者の中国人はいるけれど、まだ観光客は少なかったな。

そして空港の免税処理窓口では私のバッグの4倍ぐらいの超大型を一人で三個ぐらい持って、免税処理をしている。

手にする書類は電話帳のようです。

こんに買ってどうするのでしょうか。転売か大金持ちか~~

負けるな日本チャチャチャ!!!!!!!

では日本に一時帰国します~~

最終日のパリ散策

2015-07-27 15:44:49 | キリマンジャロ、ヨルダン、イスラエル



ご心配掛けましたマカロン、無事にお店にありました。

店員さんのミスなので日本なら、おまけのマカロンくれるところですが、

ソーリーで終わりました(笑)

その後、いろいろ歩いてもう一度マレ地区へ。

お洒落でいいですね。

一人で寂しいのでもちろんお供は?

さて後一時間もしたら空港行きのバスに乗ります。

8度目かなパリ、また来ます~~

今朝はフレンチトースト

2015-07-27 10:15:49 | キリマンジャロ、ヨルダン、イスラエル


昨日に続きラデュレで朝食です。

今朝はフレンチトーストとスクランブルエッグをチョイス。

正解でした、フレンチトースト、このクリームといい

本当に上品な味わいでした。



そして明日の朝も日本でクロワッサンが食べれるように買いました。

ついでにマカロンも。




ケーキはとても美味しそうですがさすがの日本までは持って帰れません。


そして追伸、ホテルに帰って荷物整理をしていると、なんとマカロンが
入っていません。あの可愛いお嬢さんが詰め忘れたみたい。



今から取りに行ってきます、通じるかな?

119日ぶり日本へ

2015-07-27 06:28:10 | キリマンジャロ、ヨルダン、イスラエル


今日の夕方の便で一時日本に帰ります。

4月1日に日本を出発して明日で119日目、消防団員らしい日数です(笑)

毎日履いているナイキの靴も遂に横のところが破れてきました。

今どんな気持ちなんでしょうね?自分で自分にインタビューしてみたくなります。

本当に沢山の人に助けて頂きました。まだ世界一周は続きますので、感傷的になるのは、
達成した時にとっておきましょう。

10月14日ロンドン経由でメキシコシティーに行き、中米、南米、南極編が始まります。

一時帰国の間にしっかり計画立てて、そしてもう少し英語の語彙をにわか学習で

増やしたいですね。

パリのスリ

2015-07-26 16:22:36 | キリマンジャロ、ヨルダン、イスラエル


昨日から何度もポケットに他人の手を感じては逃げています(泣)

先ほども普通の女の子が地下鉄に乗る時にカラダを近きに寄せてきます。

そして私のポケットに違和感が~~

なんとかその女の子の斜め掛けしたバックの下から手が伸びて私のポケットを探っていました。

日本でいうなら万引きと同じぐらい常習化してるのかな(泣)

とっても悲しいですね。

もちろんアフリカの経験から防御しっかりしてますが~~

それでも神経使うのが嫌ですね~~

そして今日は日曜日、お店もレストランもみんな閉まっています(泣)

近くのアジアンレストランへ。



チキンカツ丼といったところか(笑)

まあまあ美味~~

雨のツールドフランス~~

2015-07-26 16:16:26 | キリマンジャロ、ヨルダン、イスラエル


先ほどシャンゼリゼ通りに見に行ってきました。

雨の中沢山の国から応援に来ています。

周回コースを走っているようです。



日本だったら銀座か皇居周りを通行止にしてやってるようなものです。

出来ないだろうな、しかもレースはお昼過ぎからなのに朝から封鎖してました(笑)

それにしてもサポートカーがこんなに着くとは驚きでした。

日本のツールド北海道はゴールは札幌時計台じゃないですよね~~



おしゃれなマレ地区を歩く

2015-07-25 19:06:45 | キリマンジャロ、ヨルダン、イスラエル


お昼からパリジェンヌが歩くおしゃれな街マレをブラブラしてみました。

40年前に初めてパリに来て最初に買ったのが地下鉄回数券「カルネ」です。



あの頃地下鉄の切符売り場で「アン カルネ」と緊張しながら言ったのを思い出しました(笑)

地下鉄を降りて歩いていると、ちょうどお昼時、今朝はちょっと激しい

カタコンブを見た後なので、暑気払いも兼ねてワインも(笑)



さあ腹ごしらえもしたし、〆はカプチーノ、そして歩き始めました。



今回は長期旅行だったし、アジア、アフリカが長かったので、いつものお土産の心配が

なかった分ゆったりとしています。

なかなかウインドウもお洒落です。

お店に入って商品見るもよし、お客さんを見るもよしです。



本当にお洒落ですよね、パリって~~

3時間ぐらい散策しました。そして地下鉄で帰りました。

パリの地下鉄って便利、路線番号覚えていればOK

何分後に電車が来るかも表示されます。

ただし一部の車両は昔のままで乗る時も降りる時も自分でドアを開けます。これまた楽し(笑)

さて明日はどこに行こうかな~~


げげ人骨が~~カタコンブ

2015-07-25 16:56:11 | キリマンジャロ、ヨルダン、イスラエル


パリの地下に600万人の人骨が眠る~~

朝から並んで1時間半、ようやく入場です。すでに1,000人ぐらい並んでいます。


昔の地下の採石場に18世紀に地上の墓地が不足したため、移し始めたらしい。


長いトンネルを歩いて行くと、その先に、ギャ~~


出ました。想像以上の数~~

案内人がいないので私みたいに一人で来ている人は

前も後ろも誰もいなくなります(泣)

今夜はうなされるかも!!

パリで日本酒

2015-07-24 19:24:57 | キリマンジャロ、ヨルダン、イスラエル


パリに着いて、急にラーメンが食べたくなって日本食街に。

ラーメン食べて歩いていたら岩国の獺祭の暖簾を発見。

入ってみたらここはパリで有名な乾物屋さん直営の日本酒店。

何杯も日本で飲めない珍しい日本の日本酒を飲みました。

ベロンベロンです。
しかしこんなに楽しいお店があるんですね。
オーナーありがとうございます。

ホテルに帰ってお寿司も食べました(笑)