義母をお誘いして嬉野温泉にやってきました。お部屋のお風呂からも桜満開^_^
日本三大美人湯だそうです!後の二つは?
そして露天も素晴らしい!
(朝日新聞にこんな面白い記事が)
今年も佐倉マラソン走ります。なんといっても昨年の11月上旬ペルーのナスカにいるときに
日本より、いつものメンバーが来年も走ると言ってきた。初めて。外国からエントリーです。
今回もIさんとMIKAさんはフル、その後我が家に走ってくる?
EMIKOさんはご主人同伴で、MICHIKOちゃんは私と一緒に合気道の道着で10キロ。
Yちゃんは応援、宴会。そんなわけで27日午後から我が家で完走おめでとう会を行います。
出場する方で宴会参加ご希望の方はご連絡ください。
さて全く練習してない私はどうなるか 笑
やっと纏めました。219日間の写真を編集ソフトとYouTUBEを使って。
約1,000枚です。BGMの後半は祐介君の自作の曲です。
タンザニアで孤児院のボランティアをされている75歳の日本のおじさんからです。
今度テレビ東京の「なぜそこに日本人」で放送されるとのこと。4月11日だそうです。
ぜひご覧いただきたいですね!
それにしても異国からの絵葉書は嬉しい~~
☆遂にエルサレム
乗合バスでエルサレムへ。セントラルバスステーションで降ろされるはずが、賑やかな市場の前で終点。ここはどこだ?現在位置が分からない。当てずっぽうに歩いていると写真で見たダマスカス門を発見してほっとする。やっとの思いで路面電車LRTに乗ってホテルの近くの停留所へ。ホテルの予約メールではFoxStoreの裏と書いてあったので探すも見つからず。町のおじさんに聞いても英語を喋れなくてすまなそうな顔をして謝ってくる。1時間も探して、探して、そして道行く女性にスマホで探してもらって、やっと別のFoxStoreの裏と判明、へとへとになって新築のマンション型ホテルにたどり着く。
溜まった洗濯物を一気にして旧市街地へ。城壁の中はキリスト教、ユダヤ教、ムスリム、そしてアルメニア人地区など複雑な歴史を持っている。どれもが聖地である。スークなど屋根のある土産物屋の道や細い道が多くて迷路のよう。進むうちに、おっ!嘆きの壁へ。沢山のイスラエル人が例の黒服で真剣に壁にお祈りを捧げていました。
黒い帽子をかぶり、黒いスーツを着て長いひげを伸ばす人たちを「「超正当派」と呼ぶらしい。
☆悲しみの道を歩く
翌日イエスが十字架を背負って歩いたゴルゴタの道へ。今は亡き私の両親がキリスト教だったので、もし生きていたら来たかっただろうと思って、ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)を辿ってみました。因みに私は仏教徒ですが。
その後オリーブ山まで行って、復活したイエスが昇天した教会へも足を延ばしました。オリーブの丘からは旧市街地が一望に見渡せ、嘆きの壁の隣で黄金に輝くイスラームの岩ドーム、2つの宗教は今は敵対している。そんな光景を眺めながら日本人には想像すらできない宗教の複雑さを感じる。
☆パレスチナ自治区は!
3日目にはイエスが生まれたとされる聖誕教会を訪問。ここはエルサレムから南に10キロ、パレスチナ自治区の中に聖地ベツレヘムはあります。沢山の信者たちが聖誕教会を訪れていました。その後パレスチナ人のタクシーに乗り市内観光、各所にあるイスラエル人の入植地を守る高さ10m近い城壁や監視塔をしばしば目にしました。
そしてパレスチナ人のドライバーの占領された怒りの声にも接しました。城壁には分断壁画家のバンクシーの壁画、平和の象徴の鳩に防弾チョッキを着せるなどブラックジョークの絵などが描かれていた。帰りのバスは途中イスラエル軍の検問所で停止させられ、パレスチナ人以外、イスラエル人や日本人を含む観光客はバスの中で簡単なチェック。一方のパレスチナ人たちは全員バスから降ろされ、一人ひとりマシンガンを抱えた兵士たちから厳しい検問を受け再びバスへ。ここは紛争地という事を思い出させてくれました。
☆おおパリ
世界一出国が厳しいテルアビブ空港で足止めも覚悟していたが、どう言う訳か難なく突破してパリへ。今回のパリ観光は600万人の骸骨が埋まるカタコンペや奇跡の教会メダイユなどを訪問。
沢山の骸骨を見た後、気分転換のためにラーメン屋さんへ。今パリでは日本食ブーム。なんだかもうじき日本に帰るというのに里心が。オペラ座近くのホテル目指して帰る途中、最近日本で有名になった岩国の酒「獺祭」ののれんが。のぞいてみると日本人がお二人話していたので、私も仲間に入れていただき日本酒をごちそうになる。とっても素敵なおじさん。その後もお言葉に甘えて日本酒を10杯以上いただく。後で聞いたらパリで超有名人らしい。海外で親切にされると何倍もうれしいですね。
最終日は偶然ツールドフランスの最終戦がシャンゼリーゼ通りで行われていた。ラッキー。ゴールは凱旋門でした。
そしてマカロンで有名なシャンゼリーゼ通りのラ・デュレで優雅に朝食を頂いて前半の世界一周の旅を締めました。7月28日119日間の世界一周前半、一旦帰国。
☆本当にプカプカ死海
さあ次は癒しのスポットTheDeadSea死海です。海抜マイナス420m、陸上で一番低いところに位置して、塩分濃度が30%と極端に高い。古代よりお肌に良いとか、かなづちでも浮いて泳げるといわれる死海へどぶ~ん。浮いちゃった(笑) 隣のおじさんの真似をして海底から採った本物の泥パックを全身に塗ったり。しかしあまりの暑さに他に誰も泳いでいません。
ホテルは奮発して超高級。予約していた部屋は海が見える部屋、しかし見えません。変更を申し出ると、部屋なんか無いとけんもほろろ。こっちが怒りたいよね~~そして予約したJTB系のホテルズドットコムに電話するも時間外だそうです。もちろんメールなんかで受け付けません。
だったら外国の時差のある予約受けてはいけないのでは?とにかく暑くて、思考力が下がってきましたので寝ます。
そしてここで思うのは対岸がイスラエル。その昔ヨルダンは対岸までが領地だった。プールで会った青年達はイスラエルへの嫌悪感をもろに表していた。平和な日本人には感じられない部分。
☆迷い子の日本人発見
今日のお昼に食事をしようと歩いていると、前を日本のおじいさんが歩いていました。暑いのに格子柄の背広の上下。それも少し上下の柄が違っているそんな何処にでもいる日本のおじいさんが死海のリゾートホテルのど真ん中を歩いている。そしてレストランの前で何やら身振り手振り。後ろで見ていると、どうも団体で来たが最初の場所が分からなくて困っている様子。ツアー、ツアーと言っています。相手のヨルダン人も?何かお困りですかと声を掛けましたら、最初の集合場所が分からなくなったとのこと。あ、あ、それはロビーでしょうね。エレベータまで案内して差し上げました。聞くと食事か何かで団体バスがここに寄って、海を見に行ったら帰れなくなった。確かにここのホテルは迷路のような廊下ですから~~これからどちらへと尋ねると、イスラエルに行って二泊するらしい。おお素晴らしい、そうか今日本は夏休み (このおじいさんに関係ないが) なので団体か~~とっても懐かしくなりました。日射病にならないでイスラエルに着いたかな(笑)
そして2泊3日の贅沢なリゾートホテルでの時間がアフリカの長旅の疲れを一気に取り去ってくれました
☆首都アンマンへ
高級ホテルの旅に終わりを告げ、ヨルダンの首都アンマンへ。少し市内観光をして次の目的地イスラエルへ。アンマンは意外と見所あり。
☆難関突破してイスラエル入国
宿で一緒になったアメリカ人ハロード君たち二人とタクシーをシェアして国境フセイン橋へ。イスラエル人、パレスチナ人、観光客などがゴッタ返すなかイミグレで何度も繰り返されるしつこい女性係官の質問にも打ち勝ち(?)無事入国。
☆73日間に及んだアフリカから中東へ
73日間に及んだアフリカを後にしてケニアからドーハを経由して中東ヨルダンへ。乗り換えのドーハではウガンダで出会った日本の旅行会社の方に教えてもらった、海鮮五目ラーメンを食べて、英気を養いました。ドーハはさすがに巨大ハブ空港、寿司屋もあって、24時間寝ない空港です。
アンマンの空港からクーポンタクシーで砂漠の中をひた走り三時間。クーポンなのにチィップを要求され揉める。ああ始まったこんな交渉。映画インディージョンーズの最後の聖戦の舞台にもなったペトラ遺跡へ。遺跡の門の真ん前の豪華ホテルに宿泊。明日までラマダン、食事を取るのは外国人のみ、レストランも人がまばら。貴重な体験です。
☆夜中の非常ベルが鳴り響く
夜中に突然ホテルの非常ベルが響く。火事も心配だけどテロかかと一瞬頭をよぎる。警報のアナウンスはテープで繰り返されるのみ。「非常事態発生」と繰り返す。主にアラビア語、英語で少し。廊下に出ると隣の部屋のおばさんが誤報だとフロントで聞いたという。安心して寝る。一時間後また鳴る。朝までに5回ぐらい繰り返される。その度にフロントに聞きに行く。正式なコメントが流れることはない。最後は遂にフロントに怒鳴り込む。こんなに高級なホテルなのに。テロだったらきっとホテルの従業員はお客を置いて逃げるんだろうな・・・・・。
☆あの映画のペトロ遺跡
あまりに早く着いたので一時間ほどお昼寝して1時に出発。途中から少し険しい裏道のワディムズリムに行きたいと思う。しかしどうしてもガイドが一緒でないとダメと言う。止む無くしつこく付き回るガイドを付けるも、何の説明もしないで1時間ほど歩く。ああ始まった、アジアの観光地のような騙し合い。本当に鬱陶しい限り。らくだの勧誘も然り。
ペトラは19世紀に発見されるまで、769年の大地震で都市としての機能を失い、時間とともに、砂に埋もれ、岩は風化し、また洪水によって破壊され、すっかりその姿を隠してしまっていたらしい。お陰で沢山の遺跡が誰にも邪魔されずにひっそりと残っていた。
遺跡のゲートから気温40度を超える砂漠地帯を30分近く歩くとまずは聖霊が宿ると伝えられる墓ジン・ブロックスに出会う。さらにシークという1200m続く断崖絶壁の谷を抜けると、突如現れるバラ色に輝く宝物殿、エル・ハズネ、そして巨大な神殿エド・ディルなど数えきれない遺跡群が見えてきました。広大な敷地に点在する数々の宮殿や墳墓。暑い中2日間岩山を登ったり。昔行ったエジプトの王家の墓以来の暑さだ。
途中あまり人が行かない山道を日本人が歩いてくる。久しぶりなので捕まえて(?)話をする。夫婦で世界一周中。最終はオーストラリアのワーホリに行く計画。若いっていいな。
さらに日没後1500本ものろうそくで埋め尽くされた幻想的な「ペトラ・バイ・ナイト」までも堪能しました。日中も光線の関係で微妙に変化するバラ色の岩肌に、古代人たちは何を考えたのでしょう。
☆本当にプカプカ死海
続く