先日、「お礼に」と、頂きものをしました。
「美々かき」と見事な筆文字で書かれた木箱には、象牙の耳かき。
最近は、耳かきをすることもなく、もちろん誰かの膝枕で、なんて粋なこともなく、風呂あがりに麺棒でちゃっちゃっと、あっ、綿棒で、おえてしまっていた。
もちろん、耳かきも持ってはいるけれど、よほどのことがない限り使うこともなくなっていました。
そこに登場してきたのが、この「美々かき」です。
久しぶりに、耳の中にこの象牙の耳かきを入れてみると、、、、、
やわらかい。
木の、とがった感じではなく、あたりがとてもやわらかいのです。
しばし、目を閉じ、ごそごそとやっていると、不思議な感覚になってくる。
特に、耳垢がひどいということではなく、柔らかいタッチを繰り返していると、まるで耳の中をマッサージしているような気分になってきます。
「動中静」・・・どうちゅうのじょう、と読みます。
禅の言葉です。
静かな空間の中に身を置いて、静けさに酔う、というのが一般的なことであるのなら、この「動中静」は、日常の生活の真っただ中にあって、「心静かな状態」を保つことを言うらしい。
瞑想で無我の境地を得るのではなく、日々の生活の中でというのは、なかなか難しいことなのかもしれません。
以前、何かの本で、カールルイスが、100メートルを走っているあの9秒の間、彼は静かな瞑想の状態にあるということを読んだことがある。
まさに、「動中静」だ。
はたして、耳かきをしていることが、日々の生活にあたるのかどうかは別として、ソファでのんびり、耳の中をマッサージしていると、「動中静」を味わっている様な気がしてくる。
「美々かき」と見事な筆文字で書かれた木箱には、象牙の耳かき。
最近は、耳かきをすることもなく、もちろん誰かの膝枕で、なんて粋なこともなく、風呂あがりに麺棒でちゃっちゃっと、あっ、綿棒で、おえてしまっていた。
もちろん、耳かきも持ってはいるけれど、よほどのことがない限り使うこともなくなっていました。
そこに登場してきたのが、この「美々かき」です。
久しぶりに、耳の中にこの象牙の耳かきを入れてみると、、、、、
やわらかい。
木の、とがった感じではなく、あたりがとてもやわらかいのです。
しばし、目を閉じ、ごそごそとやっていると、不思議な感覚になってくる。
特に、耳垢がひどいということではなく、柔らかいタッチを繰り返していると、まるで耳の中をマッサージしているような気分になってきます。
「動中静」・・・どうちゅうのじょう、と読みます。
禅の言葉です。
静かな空間の中に身を置いて、静けさに酔う、というのが一般的なことであるのなら、この「動中静」は、日常の生活の真っただ中にあって、「心静かな状態」を保つことを言うらしい。
瞑想で無我の境地を得るのではなく、日々の生活の中でというのは、なかなか難しいことなのかもしれません。
以前、何かの本で、カールルイスが、100メートルを走っているあの9秒の間、彼は静かな瞑想の状態にあるということを読んだことがある。
まさに、「動中静」だ。
はたして、耳かきをしていることが、日々の生活にあたるのかどうかは別として、ソファでのんびり、耳の中をマッサージしていると、「動中静」を味わっている様な気がしてくる。
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