ボクは、毎年お地蔵さんの絵を描いた年賀状を出しています。
もうかれこれ、10数年続いています。
ボクの父親は、お地蔵さんを熱心に信仰していました。
事業を興し、色々と行き詰っていたころに、ふらっと浅草の浅草寺に立ち寄ったのだそうです。
本堂の掃除をしていた、たしか清水谷恭順先生と言う住職に、お地蔵さんについて教えを頂いたとの事。
ボクが小さいころには、ブロンズの小さなお地蔵さんを拝みなさい、と一体渡されていました。
父親が亡くなった後に、なんとなくお地蔵さんを描くようになりました。
ちょうどその頃、多分1996年の春に、出光美術館で「仙がい(せんがい)」さんの美術展がありました。
ポスターに惹かれて、訪れてみると仙がいさんは臨済宗の禅僧で、たくさんの禅画を残している方でした。
マンガのようなユニークな書もあれば本格的な墨絵もあって、かなりの時間見ていた事を覚えています。
そして驚いたことに、仙さんは岐阜県美濃市の清泰寺で修行をしていたのです。
このお寺には、ボクの父親が寄贈したお地蔵さんが、地蔵堂の中に安置されています。
春休みを利用して、まだ小さかった子どもたちを連れて清泰寺に行ったのです。
もちろん目的は、亡き父が収めたお地蔵さんに一目会いたかったからなのですが、思わぬつながりに驚きました。
美濃市を後にして、高山に入り、そこである方に紹介されて出会ったのが千光寺の大圓さん。
クエストを立ち上げたばかりの頃で、まだ先が見えない不安を抱えた頃でした。
とても救われて、その後も何度かお邪魔しました。
そして今回、スタッフとともに大圓さんのセミナーを受けに、千光寺に訪れたのです。
おまけに、ちょうどこの時期に不思議なめぐり合わせで、出光美術館で仙がい展があったのです。
もちろん行きました。
10数年前よりも、たくさんの作品が見れたような気がします。
少し前置きが長くなってしまいました。
研修の話はあすに回すことにします。
もうかれこれ、10数年続いています。
ボクの父親は、お地蔵さんを熱心に信仰していました。
事業を興し、色々と行き詰っていたころに、ふらっと浅草の浅草寺に立ち寄ったのだそうです。
本堂の掃除をしていた、たしか清水谷恭順先生と言う住職に、お地蔵さんについて教えを頂いたとの事。
ボクが小さいころには、ブロンズの小さなお地蔵さんを拝みなさい、と一体渡されていました。
父親が亡くなった後に、なんとなくお地蔵さんを描くようになりました。
ちょうどその頃、多分1996年の春に、出光美術館で「仙がい(せんがい)」さんの美術展がありました。
ポスターに惹かれて、訪れてみると仙がいさんは臨済宗の禅僧で、たくさんの禅画を残している方でした。
マンガのようなユニークな書もあれば本格的な墨絵もあって、かなりの時間見ていた事を覚えています。
そして驚いたことに、仙さんは岐阜県美濃市の清泰寺で修行をしていたのです。
このお寺には、ボクの父親が寄贈したお地蔵さんが、地蔵堂の中に安置されています。
春休みを利用して、まだ小さかった子どもたちを連れて清泰寺に行ったのです。
もちろん目的は、亡き父が収めたお地蔵さんに一目会いたかったからなのですが、思わぬつながりに驚きました。
美濃市を後にして、高山に入り、そこである方に紹介されて出会ったのが千光寺の大圓さん。
クエストを立ち上げたばかりの頃で、まだ先が見えない不安を抱えた頃でした。
とても救われて、その後も何度かお邪魔しました。
そして今回、スタッフとともに大圓さんのセミナーを受けに、千光寺に訪れたのです。
おまけに、ちょうどこの時期に不思議なめぐり合わせで、出光美術館で仙がい展があったのです。
もちろん行きました。
10数年前よりも、たくさんの作品が見れたような気がします。
少し前置きが長くなってしまいました。
研修の話はあすに回すことにします。
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