昨日は、年に一回の胃の内視鏡検査。
年明けにやるオフィス近くの人間ドックで、ここ数年毎年のように胃のポリープを指摘されました。
若いころに、「胃の標本にしたいくらいにきれいな胃だ!」と、父親の主治医に言われたことがある。
問題はないはずと思いつつ、大学病院でチェックしてもらおうと、昨年内視鏡検査をやったところ、「胃はきれいですよ」
今年も、また同じクリニックで指摘を受けた。
仕方がないので、昨日内視鏡やってきたというわけです。
結果は全く問題なし。
あのクリニックの検査結果はいったいどういうこと?
ボクは、内視鏡が苦手。
まぁ、得意な人はいないだろうけど。
昨日は特につらかった。
途中で、あきらめて喉から引っこ抜いてやろうかと思ったぐらい。
この「あきらめる」と言う言葉。
元々は、明らむる・・・つまり明らかにするという意味。
いつの間にか、「あきらめないニッポン」の標語が生まれるほどによくつかわれているけど、本来の意味に照らすと、「あきらめない」は「明らかにしない」と言うことになってしまう。
だから、本当は「あきらめたほうがいい」わけで、でもその「あきらめる」の意味は、いわゆる「あきらめて」しまうわけじゃなくて…・
混乱してきます。
ボクは昨日の朝の検査中に、「あきらめそう」になったけれども、「明らめる」ことを続けた結果、健康な胃であることが明らかになったわけなのでした。
年明けにやるオフィス近くの人間ドックで、ここ数年毎年のように胃のポリープを指摘されました。
若いころに、「胃の標本にしたいくらいにきれいな胃だ!」と、父親の主治医に言われたことがある。
問題はないはずと思いつつ、大学病院でチェックしてもらおうと、昨年内視鏡検査をやったところ、「胃はきれいですよ」
今年も、また同じクリニックで指摘を受けた。
仕方がないので、昨日内視鏡やってきたというわけです。
結果は全く問題なし。
あのクリニックの検査結果はいったいどういうこと?
ボクは、内視鏡が苦手。
まぁ、得意な人はいないだろうけど。
昨日は特につらかった。
途中で、あきらめて喉から引っこ抜いてやろうかと思ったぐらい。
この「あきらめる」と言う言葉。
元々は、明らむる・・・つまり明らかにするという意味。
いつの間にか、「あきらめないニッポン」の標語が生まれるほどによくつかわれているけど、本来の意味に照らすと、「あきらめない」は「明らかにしない」と言うことになってしまう。
だから、本当は「あきらめたほうがいい」わけで、でもその「あきらめる」の意味は、いわゆる「あきらめて」しまうわけじゃなくて…・
混乱してきます。
ボクは昨日の朝の検査中に、「あきらめそう」になったけれども、「明らめる」ことを続けた結果、健康な胃であることが明らかになったわけなのでした。
そりゃツライわっ。
やっぱり麻酔したほうが楽だよね。