エルガーが恋人の贈ったという「愛の挨拶」。
誰もが知っているといっていいほどの、調べだけれども、ボクもピアノやヴァイオリンで奏でられるこの曲が好き。
おはよう、さようなら、こんにちは、ありがとう、そして愛してる。。。
いろんな挨拶がありますが、以前から、挨拶のないかかわりが気になって仕方がない。
特に、ボクの住むマンションでエレベーターに乗り合わせて挨拶しても、何にも反応のない人が多くいる。
あるゴルフの女子プロが、優勝をした直後に駐車場で見かけたので、「おめでとうございます!」と言ったらスルーされてしまったことがあります。
世界的に有名な、あのキャラクターの生みの親と言われる女性。
キャラそっくりの顔立ち?で、少女のような恰好をしているその人は、もう何度も、何十回もエレベーターに乗り合わせ、ボクも飽きずに挨拶をし続けているのだけれど、まだ一度もうんともすんとも言われたことがない。
どちらもボクは、超はずかしがりやで人見知り、と言う性格設定をしたので、もうどうでもいいやって気になっているんですが、。
いや、やっぱりよくないです。
この「挨拶」っていう言葉。
実は禅語。
師匠と弟子が、問答をする際のやり取りのことらしい。
「挨」も「拶」も、圧すことで、
「挨」と圧し、「拶」と圧し返す。
阿吽の呼吸とでも言いましょうか、お互いにかかわり合うのが「挨拶」なんですね。
だから、一方的な挨拶なんて言うものはなくて、ボクは、無言の「拶」を受け取らなければならないのです。
ところで、日本語の挨拶って不思議だと思いませんか?
どこに国も、グッドがつくでしょ?
いい朝ですね、とか、いい夜ね、なんて。
でも、日本語は、
こんにちは、
こんばんは、です。
どこにも「いい」なんて言葉がない。
これは、玄侑さんによると、
昨日までのようではない、全く新しい素敵な時間が始まりますよ、という意味を、「は」と言う副助詞に込められているのだそうです。
白紙から始めましょうってことなんです。
だからボクも、挨拶のないあの人たちに会っても、今までのことをすっかり忘れ去って、また新たな気持ちで「挨拶」をすることにします。
そもそも、挨拶って、そういうものなんでしょうね。
エルガーを聞いて、出かけることにします。
誰もが知っているといっていいほどの、調べだけれども、ボクもピアノやヴァイオリンで奏でられるこの曲が好き。
おはよう、さようなら、こんにちは、ありがとう、そして愛してる。。。
いろんな挨拶がありますが、以前から、挨拶のないかかわりが気になって仕方がない。
特に、ボクの住むマンションでエレベーターに乗り合わせて挨拶しても、何にも反応のない人が多くいる。
あるゴルフの女子プロが、優勝をした直後に駐車場で見かけたので、「おめでとうございます!」と言ったらスルーされてしまったことがあります。
世界的に有名な、あのキャラクターの生みの親と言われる女性。
キャラそっくりの顔立ち?で、少女のような恰好をしているその人は、もう何度も、何十回もエレベーターに乗り合わせ、ボクも飽きずに挨拶をし続けているのだけれど、まだ一度もうんともすんとも言われたことがない。
どちらもボクは、超はずかしがりやで人見知り、と言う性格設定をしたので、もうどうでもいいやって気になっているんですが、。
いや、やっぱりよくないです。
この「挨拶」っていう言葉。
実は禅語。
師匠と弟子が、問答をする際のやり取りのことらしい。
「挨」も「拶」も、圧すことで、
「挨」と圧し、「拶」と圧し返す。
阿吽の呼吸とでも言いましょうか、お互いにかかわり合うのが「挨拶」なんですね。
だから、一方的な挨拶なんて言うものはなくて、ボクは、無言の「拶」を受け取らなければならないのです。
ところで、日本語の挨拶って不思議だと思いませんか?
どこに国も、グッドがつくでしょ?
いい朝ですね、とか、いい夜ね、なんて。
でも、日本語は、
こんにちは、
こんばんは、です。
どこにも「いい」なんて言葉がない。
これは、玄侑さんによると、
昨日までのようではない、全く新しい素敵な時間が始まりますよ、という意味を、「は」と言う副助詞に込められているのだそうです。
白紙から始めましょうってことなんです。
だからボクも、挨拶のないあの人たちに会っても、今までのことをすっかり忘れ去って、また新たな気持ちで「挨拶」をすることにします。
そもそも、挨拶って、そういうものなんでしょうね。
エルガーを聞いて、出かけることにします。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます