「日本レコード大賞」は、毎年12月の暮れに発表されますが、昨年は又一昨年は、また今年の予想曲は???
と聞かれても答えられる人はあまり居ないと思います。
少なくとも私の周りには1人もいません。
音楽に興味が無くなった、良い音楽が出ない、様々な理由は言われますが、元を正せば流行歌と大衆の関係が変わってきているということになると思います。
もう少し言うと「大衆にとって流行歌は以前より必要としなくなってきた」のかもしれません。
だいたい、老若男女大衆の殆どが「良い曲」と思って、それが大賞になるというパターンは「おどるポンポコリン(90年)」が最後のように思います。せいぜい「君がいるだけで(92年)」までかな。
その後は、大衆ではなくある程度狭い範囲で深く支持された曲にかわってきています。
つまり、テレビ・ラジオで聴いて「良い曲」と感じていたものが、ネット配信やライブなど限られたユーザーに深く良いと思われた曲に変わってきている。
90年以降位から「大衆みんなの大賞」ではなくなってきていると思いました。
ここ数年は、EXILEとAKB48が複数回受賞しています。
しかし私の場合、積極的に聴いたり、勝手に耳に入ってくることはあまりありません。
「歌(うた)は世(よ)につれ世は歌につれ」
goo辞書で見ますと、「歌は世の成り行きにつれて変化し、世のありさまも歌の流行に影響される。」
流行歌は大衆ではなくある程度狭い範囲で深く支持されるようになってきているので、「世は歌につれ=世のありさまも歌の流行に影響される」という事は少なくなってきたのではないでしょうか?
クルマもこういう現象に近いのではないかと思いました。
やはり、時代の流れなのですね。
クルマが大衆にもてはやされ、輝いていた時代は過去のものになりました。(レコタイは未だに「輝く!日本レコード大賞!」となっています・・いつまでも過去の価値観を引きづっている? 関係者には申し訳ないですが、一般大衆から見て輝いていますか???)
私も一応自動車業界の端っこに少し引っかかっているものとして、自動車業界とくに「日本カー・オブ・ザ・イヤー」をみると「レコタイ」を思い出してしまいます。
つまり、クルマ好きの人達だけの中で、選んで讃えて・・・実際にクルマを購入して乗るユーザーとは関係ないところ、つまり狭く深いところで行われているように、大衆からは見えているのではないかと思うのです。
(というか元々見ていないと言う方も多いかもですね???)
何のために日本カー・オブ・ザ・イヤーってやっているのかな?とおもってしまいます。
意外と、実際に日本カー・オブ・ザ・イヤーを運営されている方々やクルマを選考される方々も同じように感じておられるのではないでしょうか?
特に今年は、マツダ『ロードスター』とホンダ『S660』 が2強で争ったと聞きました。
2車とも当然メーカーは頑張って作ったクルマで良いクルマだと思います。頑張ったと言うのは、収益リスクを背負いながらも自分達のブランドや自動車業界の為になるという気持ちで作られたと思うのです。
しかし、スポーツカー特に2シーターオープンカーのマーケットは極小さなものです。
しかもスポーツカーが大衆の憧れだったのは大昔の事です。
(小さなマーケットあるいは今マーケットがない商品でも未来が予感できれば良いと思います。)
現在のようなコミュニケーションの時代に、スポーツカーは元々独りよがりな乗り物ですから、一般大衆からは「オタク的」に見られてしまいます。
つまり今では「ユーザー層は、深くても幅は狭い」。
そういう車種が日本カー・オブ・ザ・イヤーに選ばれる。
コレって、「大衆」から益々はなれる事をしていることになるのではないでしょうか?
日本カー・オブ・ザ・イヤーって売れた台数やその性能で、ましてや時代性の無い価値観で選ばれるモノではなく、あくまでも自動車業界の発展(多くの人の賛同)に貢献したクルマや、創り手の考え方や技術の取り組み方、またその努力等をユーザー目線で、社会的な目線でとらえたものでないといけないのではないでしょうか?
つまり、「多くの人の喜びと賛同の結果、注目されたもの、あるいはそうなるであろうというもの」でないと意味がないとおもうのです。
ひいては「日本の自動車産業・業界の発展に貢献」ですよね。
ノーベル賞は「人類のために最大たる貢献をした人々」とあります。言い換えれば「人類社会の発展に最大貢献した人々」ですよね。
カーメーカーも、「日本カー・オブ・ザ・イヤー受賞」とCMや広告をうっても、今ではお客さんに響かなくなっている事を自覚しているはずです。
つまり売りの現場でセールスの方がお客さんに「これ日本カー・オブ・ザ・イヤー受賞したクルマです。」と言ってもおおかたのお客さんは「ふぅ~ん」程度ではないでしょうか。
さらに、日本カー・オブ・ザ・イヤーに関係する殆どの人が、今の状態のままでは良くないと思っているはずです。
「歌(うた)は世(よ)につれ世は歌につれ」
一般大衆ひいては人類の発展に貢献していかないと、日本の自動車産業・業界はシュリンクしていくしか無いと思います。
今の新技術で大きく扱われるのは「燃費技術」です。
ユーザーにとっては、環境=CO2=燃費と時代性のある商品に思え、しかも燃費が良いとランニングコスト的にメリットがあります。
つまり、表向きは「環境=CO2」、ホンネは「燃費(燃料費用)」なんです。
本質的に「環境=CO2」「燃費技術」は大衆・人類の「喜び」「発展」の為のものではなく、「リカバリー技術」だと思うのです。今までさんざん化石燃料を燃やし続け、もうコレ以上やめて欲しいとなっている事への対応技術です。
だから、大切と言うか必ず必要なパスポートみたいな技術だと思うのです。
カーメーカーに対して、周りの人たちは「大衆にとって、もっと楽しくなる、喜びをもたらすクルマを作れ」と言うべきだし、業界を上げて取り組むべきだと思うのです。
それが2シーターオープンスポーツカーかと???
グーグルカーは最終的にはどんな形で世の中に出てくるかはわかりませんが、今のニュースで見る限り一等賞で一般大衆ひいては人類の発展に貢献しそうなクルマと言えます。
どんなに少なく見積もっても、2シーターオープンスポーツカーよりは「世のため人のため」です。
日本の自動車産業は、カーメーカーを中心にしてみんなで早く「世のため人のため」のクルマを世界に向けて作るべきです。(念のため・・グーグルカーの様なと言っているのではありません)
では、この「世のため人のため」のクルマってどんなものでしょう。
過去に本田技研は「スーパーカブ」を作りました。
これは紛れも無く「世のため人のため」のバイクでした、また現在でもそうです。
日本では蕎麦屋の片手運転は有名な話です。(今ではチト辛いコンセプトですが、笑)
また、いまだにアジア等の新興国では大衆が必要として欲しがるバイクです。
全く「世のため人のため」になっています。
これを手にすると生活や世の中が変わっていく魔法の?道具でした。
しかし、CO2の増加が問題になってきた現在の地球ではチトややこしい話になります。
とにかく世界で走っている台数がスゴイですから。
このように、「世のため人のため」のクルマって永遠ではないのですね。
難しいです。
しかし、チャレンジしないといけません。
自動車産業・業界全体の役目、定め、です。
と聞かれても答えられる人はあまり居ないと思います。
少なくとも私の周りには1人もいません。
音楽に興味が無くなった、良い音楽が出ない、様々な理由は言われますが、元を正せば流行歌と大衆の関係が変わってきているということになると思います。
もう少し言うと「大衆にとって流行歌は以前より必要としなくなってきた」のかもしれません。
だいたい、老若男女大衆の殆どが「良い曲」と思って、それが大賞になるというパターンは「おどるポンポコリン(90年)」が最後のように思います。せいぜい「君がいるだけで(92年)」までかな。
その後は、大衆ではなくある程度狭い範囲で深く支持された曲にかわってきています。
つまり、テレビ・ラジオで聴いて「良い曲」と感じていたものが、ネット配信やライブなど限られたユーザーに深く良いと思われた曲に変わってきている。
90年以降位から「大衆みんなの大賞」ではなくなってきていると思いました。
ここ数年は、EXILEとAKB48が複数回受賞しています。
しかし私の場合、積極的に聴いたり、勝手に耳に入ってくることはあまりありません。
「歌(うた)は世(よ)につれ世は歌につれ」
goo辞書で見ますと、「歌は世の成り行きにつれて変化し、世のありさまも歌の流行に影響される。」
流行歌は大衆ではなくある程度狭い範囲で深く支持されるようになってきているので、「世は歌につれ=世のありさまも歌の流行に影響される」という事は少なくなってきたのではないでしょうか?
クルマもこういう現象に近いのではないかと思いました。
やはり、時代の流れなのですね。
クルマが大衆にもてはやされ、輝いていた時代は過去のものになりました。(レコタイは未だに「輝く!日本レコード大賞!」となっています・・いつまでも過去の価値観を引きづっている? 関係者には申し訳ないですが、一般大衆から見て輝いていますか???)
私も一応自動車業界の端っこに少し引っかかっているものとして、自動車業界とくに「日本カー・オブ・ザ・イヤー」をみると「レコタイ」を思い出してしまいます。
つまり、クルマ好きの人達だけの中で、選んで讃えて・・・実際にクルマを購入して乗るユーザーとは関係ないところ、つまり狭く深いところで行われているように、大衆からは見えているのではないかと思うのです。
(というか元々見ていないと言う方も多いかもですね???)
何のために日本カー・オブ・ザ・イヤーってやっているのかな?とおもってしまいます。
意外と、実際に日本カー・オブ・ザ・イヤーを運営されている方々やクルマを選考される方々も同じように感じておられるのではないでしょうか?
特に今年は、マツダ『ロードスター』とホンダ『S660』 が2強で争ったと聞きました。
2車とも当然メーカーは頑張って作ったクルマで良いクルマだと思います。頑張ったと言うのは、収益リスクを背負いながらも自分達のブランドや自動車業界の為になるという気持ちで作られたと思うのです。
しかし、スポーツカー特に2シーターオープンカーのマーケットは極小さなものです。
しかもスポーツカーが大衆の憧れだったのは大昔の事です。
(小さなマーケットあるいは今マーケットがない商品でも未来が予感できれば良いと思います。)
現在のようなコミュニケーションの時代に、スポーツカーは元々独りよがりな乗り物ですから、一般大衆からは「オタク的」に見られてしまいます。
つまり今では「ユーザー層は、深くても幅は狭い」。
そういう車種が日本カー・オブ・ザ・イヤーに選ばれる。
コレって、「大衆」から益々はなれる事をしていることになるのではないでしょうか?
日本カー・オブ・ザ・イヤーって売れた台数やその性能で、ましてや時代性の無い価値観で選ばれるモノではなく、あくまでも自動車業界の発展(多くの人の賛同)に貢献したクルマや、創り手の考え方や技術の取り組み方、またその努力等をユーザー目線で、社会的な目線でとらえたものでないといけないのではないでしょうか?
つまり、「多くの人の喜びと賛同の結果、注目されたもの、あるいはそうなるであろうというもの」でないと意味がないとおもうのです。
ひいては「日本の自動車産業・業界の発展に貢献」ですよね。
ノーベル賞は「人類のために最大たる貢献をした人々」とあります。言い換えれば「人類社会の発展に最大貢献した人々」ですよね。
カーメーカーも、「日本カー・オブ・ザ・イヤー受賞」とCMや広告をうっても、今ではお客さんに響かなくなっている事を自覚しているはずです。
つまり売りの現場でセールスの方がお客さんに「これ日本カー・オブ・ザ・イヤー受賞したクルマです。」と言ってもおおかたのお客さんは「ふぅ~ん」程度ではないでしょうか。
さらに、日本カー・オブ・ザ・イヤーに関係する殆どの人が、今の状態のままでは良くないと思っているはずです。
「歌(うた)は世(よ)につれ世は歌につれ」
一般大衆ひいては人類の発展に貢献していかないと、日本の自動車産業・業界はシュリンクしていくしか無いと思います。
今の新技術で大きく扱われるのは「燃費技術」です。
ユーザーにとっては、環境=CO2=燃費と時代性のある商品に思え、しかも燃費が良いとランニングコスト的にメリットがあります。
つまり、表向きは「環境=CO2」、ホンネは「燃費(燃料費用)」なんです。
本質的に「環境=CO2」「燃費技術」は大衆・人類の「喜び」「発展」の為のものではなく、「リカバリー技術」だと思うのです。今までさんざん化石燃料を燃やし続け、もうコレ以上やめて欲しいとなっている事への対応技術です。
だから、大切と言うか必ず必要なパスポートみたいな技術だと思うのです。
カーメーカーに対して、周りの人たちは「大衆にとって、もっと楽しくなる、喜びをもたらすクルマを作れ」と言うべきだし、業界を上げて取り組むべきだと思うのです。
それが2シーターオープンスポーツカーかと???
グーグルカーは最終的にはどんな形で世の中に出てくるかはわかりませんが、今のニュースで見る限り一等賞で一般大衆ひいては人類の発展に貢献しそうなクルマと言えます。
どんなに少なく見積もっても、2シーターオープンスポーツカーよりは「世のため人のため」です。
日本の自動車産業は、カーメーカーを中心にしてみんなで早く「世のため人のため」のクルマを世界に向けて作るべきです。(念のため・・グーグルカーの様なと言っているのではありません)
では、この「世のため人のため」のクルマってどんなものでしょう。
過去に本田技研は「スーパーカブ」を作りました。
これは紛れも無く「世のため人のため」のバイクでした、また現在でもそうです。
日本では蕎麦屋の片手運転は有名な話です。(今ではチト辛いコンセプトですが、笑)
また、いまだにアジア等の新興国では大衆が必要として欲しがるバイクです。
全く「世のため人のため」になっています。
これを手にすると生活や世の中が変わっていく魔法の?道具でした。
しかし、CO2の増加が問題になってきた現在の地球ではチトややこしい話になります。
とにかく世界で走っている台数がスゴイですから。
このように、「世のため人のため」のクルマって永遠ではないのですね。
難しいです。
しかし、チャレンジしないといけません。
自動車産業・業界全体の役目、定め、です。