5月の日刊自動車新聞に寄稿したものを転載します。
ホンダ四輪開発部門の大きな組織変更
最近ホンダから「事業運営体制の変更について」というニュースリリースが発行された。今までホンダは魅力ある商品と技術の開発を目的に、開発部門は㈱本田技術研究所という形で本田技研工業㈱とは別会社になっていた。
四輪事業において、このユニークな組織で過去に数々の時代をリードする新技術や魅力商品を開発しブランドを築いてきたが、今回その開発部門を本田技研工業㈱に統合するというものだ(先進技術、デザイン部門等はそのまま)。長年のユニークな組織を変更する背景を考えてみたい。
- 開発部門独立のいきさつ
ホンダは本田宗一郎という天才技術屋と藤沢武夫というこちらも天才経営者の二人三脚で、戦後の二輪メーカー乱立の中を生き延び、さらにスーパーカブをアメリカでも成功させ大企業の仲間入りをした。
そんな中、藤沢武夫は4輪参入を含め会社を持続的発展させるにはどうすれば良いか考え抜いたと聞いている。
・「新商品、新技術を創造するということは、試行錯誤する場が必要だ。」
・「試行錯誤が必要な創造性仕事と生産効率追求や利潤追求するような仕事とは、本質的に相まみえない。」
・「創造性仕事は上下関係に気を使っていてはできない。」
・「業務効率やお金の仕事をしている側から見ると、創造性仕事は仕事に見えない。」
このようなことを様々考えて、ユニークな文鎮組織の技術研究所独立にいきついたようだ。
文鎮組織とは、文鎮のように、指でつまむトコを社長と考え、あとは皆横一列という意味だ。その社長の本田宗一郎でさえ「社長なんて偉くも何ともない。課長、部長、包丁、盲腸と同じだ。・・・記号に過ぎない。」と言っている。
- 開発部門独立の成果
80年代に発売された“ホンダ・エレクトロ・ジャイロケータ”は現在のナビゲーションシステムの元祖と言えるが、この他にもCVCCなど世界に誇れる技術を数多く創れたのは、研究所独立の成果だと考えられる。
また、ハード開発だけでなく員のチャレンジ精神も養われた。
例えば、開発者の「これが完成したらユーザーは喜ぶぞ」というような「夢」に向かう姿を大切にすることで、「チャレンジ」していく体質ができたと思う。
その成果は、60年代の黎明期から80年代以降に花咲く形で現れた。シビック、アコード、シティ、プレリュード、トゥデイ、さらにオデッセイ、ステップワゴンなど、時代をリーディングする4輪商品が生まれた。
これらは、開発者の「夢」から機種開発時の「ワイガヤ」で事の本質まで議論し商品コンセプトを造り、あとは試作車をひたすら三現主義で造り上げ完成したものだ。
これらは、開発部門が本社の中にあっては決して出来なかったと思う。
- その後の世の中の変化
バブル崩壊の90年頃から世の中は大きく変わり、ユーザーにとってクルマは段々と白物化していった。
そうなると、新技術満載の商品開発は不要となり、一方でコスト競争は激しくなり、開発業務には「効率」の考え方が大切になった。
この頃、ホンダは「TQM」という「効率で切る管理」を導入している。ただ、今までのいわゆる「自由闊達技術研究所」の慣性力もあり、当初完璧に導入されたとは言えなかった。
というのも、魅力商品を生み出すための自由闊達な研究所の成り立ちと「効率で切る管理」が相まみえない中、「結局どうしていくのか」という新しい研究所の方向性が所員には理解しにくかったのだ。
また、本社からは「研究所に商品創りの全てを任せておくと良い商品は出来るがコストが破綻する」となり研究所への干渉が強くなっていった。それは人事にまで及び、独立しているはずの研究所の役員が本社の役員を目指すようになり、商品開発から人事まで段々と研究所独立の意味が薄れていった。
- ホンダブランド
ホンダ四輪ブランドは、北米と日本では随分と異なる。北米には当初から、国内とほぼ同じデザインやハードのクルマだったにも関わらず、まぎれもなく「信頼」のブランドで、日本では「先進・ワクワク」を期待されるブランドとなった。
これは、北米市場で2輪・4輪・汎用、ハード・ソフト共に「品質信頼性」を大切にした事が大きいと思う。大きな大陸での故障は命取りだ。北米のユーザーはいきさつなど関係なく「良いものは良い」と受け入れてくる。
国内では、ホンダの4輪は後発だったが、自分達の独創性を大切にした商品で日本市場を超えてデザイン・ハード共に世界的視野に立ったものだった。つまり、先輩メーカーの、日本を知り尽くしたデザインやハードとは異なっていた。そこが、何かしら「先進・ワクワク」感のある商品として日本人に受け入れられたのではないかと思う。
10年ほど前になるが、私はホンダの本格的軽自動車参入の企画を四輪事業本部で担当した。そのNシリーズの商品企画は、他社の軽自動車らしいデザインやハードを備えたものでなく、一つのクルマとして捉えたものだった。
事業的に考えると量販がマストなので、一般的には軽自動車ユーザーの価値観などを調べ、それに合わせた商品にしていくことになる。
形は丸く優しく、燃費は良く、コストを抑え、車名は愛称で、CMはキャラクターを設定し・・・。
Nシリーズは、結果的にこれらと真反対になった。
ホンダらしく一般常識にとらわれず、ユーザー価値観と車造りの本質までワイガヤで追求した結果だ。
- 今後のホンダ
今は新車が発売されても昔のように話題にならない。ユーザー調査してもクルマに対する関心はあまりなく、そもそも「空でも飛ばない限り」魅力的な商品なんて今の時代にないということかもしれない。
今回の組織変更は、そういうユーザーや世の中の変化、さらに変化している本社と研究所の実質的な関係を肯定した中で行われたと思える。
しかし、魅力的な商品を生み出し続ける「仕組み」は必要だ。それは言うまでもなく、単に売れる商品企画でなく、ホンダブランドを大切にした商品企画が出来る「仕組み」だ。
「本田技術研究所」という「仕組み」に代わる「仕組み」だ。
その「仕組み」は外に公表されていない。
白物化した家電でも、ルンバのような魅力的な商品はまだまだ生まれている。
新技術開発はいつまでもどこまで必要なのだ。
今回、ホンダの新しい組織に組み込まれているはずの魅力的な商品を生むユニークな「仕組み」とそこから生まれる商品に期待したい。
ホンダの車を販売して今年で30年になります。小さなプロパーの法人にいる私から見ても、ホンダは大きな組織になり、近くに感じた上の方も遠い存在になった気がします。EF8のCR-Xを新車で購入して、車を操る面白さを知り、結果、この業界に就職しました。今でも研修などでは研究所の方と話をするのが大好きです。
これからもホンダ絡みの記事楽しみにしています。