繁浩太郎の自動車と世の中ブログ(新)

モータージャーナリストとブランドコンサルタントの両方の眼で、自動車と社会をしっかりと見ていきます。

クルマに個性は必要か?

2015-09-04 11:44:54 | 日記
欧州のクルマは、だいたい各ブランドに個性があって、素人が見ても形の違いがわかりますよね。

ドイツ、イタリア、フランス、それぞれ国でみても個性があるし、
ドイツ車はその中でも個性があり、ブランドは被っていない。
高級車のベンツ、スポーティなBMW、オシャレなAudi、スポーツのポルシェ、大衆車のVW、ブルーカラーのオペル、その他いずれもクリアーに個性がありますね。

逆にVWブランドで高級セダンを作ってもそれ程売れない。
つまり、ユーザーがそれぞれのカーメーカーをブランディングしている。それに合わないものは認められないという事かもしれません。

逆に、日本は一言で言うとコモディティ化。
大衆というのがあって、他とあまりに異なる個性のあるものは排除される傾向にありますね。
ミニバンのデザインを街で見れば、その社名はエンブレムを見ないと素人にはわかりません。フロントグリルにはお決まりのメッキがあります。

つまり、日本のマーケットでは基本みんなと同じが良くて、細かい所の個性がある程度が良くて、個性があると売れない。
これが、ヨーロッパ特にドイツに行くと先ほどのように個性がないと認めてもらえない、売れない。

なぜ、こうなっているのでしょうか?

この回答に対して、人の生きてきた大昔からの環境を思い起こしてみると自ずと回答は得られるでは?と考えてみました。

大昔、ヨーロッパは簡単に言うと「狩猟」。日本は「農耕」。
「狩猟」は人の後をついていっては、そこにはもう獲物はとられていて獲れない。「農耕」は人の後をついていくと、そこには裕福な耕しやすい土地がある。

またぐっと近世にきて、アメリカやフランスなど移民を多く受け入れている国や、様々な人種が住んでいる国では、出身の異なる人が一緒に暮らすわけだから、初対面で「この人はどういう人だろう?」となる。
そこで、「私の名前は◯◯で、こういう人間です。皆様の社会で認めてください。住まわせてください。」と新参者の自分がまず挨拶する。先住の人達は「ああ、そういう人間なら、受け入れよう」となる。
つまり、どこの馬の骨かわからない、あいつはこういうやつだと分からない人は受け入れられない。
「個性」がないと、回りに認められない。

新興国も、単一民族の国は少ないですから、「個性」は大切なわけです。
つまり、グローバルでは「個性」は大切です。

日本は、なにより島国で民族的にも多くないことから、「個性」はそれ程必要ないとなりますね。
こうやって考えてくると日本だけチョット違うのかな?となります。
よって日本にとって、グローバルで協力しあって生きていくためには、グローバルの価値観を理解して対処していく必要があります。
世界で生産販売台数を1、2を争うトヨタ自動車でさえ、ヨーロッパでそれ程シェアがとれていないのは、こういうところによるのかもしれません。

また、北米マーケットは、移民が多く個性が大切そうですが、新しい国ということもあり、共通の価値観になりえる「合理性」がより大切となり、さらに既にクルママーケットは熟成していますから、プレミアムなクルママーケットと道具的なクルママーケットが別れてきていて、道具的なマーケットは大きくバリュー・フォー・マネーのマーケットになっています。
よって、個性がそれほど無い日本車でも、バリュー・フォー・マネーが良ければ受け入れられます。

日本の中では良いですが、グローバルに商売しようとすると、やはりグローバルな価値観は無視できませんね。
日本車は、国内より生産も販売もグローバルでの方が多くなってきていますから、やはり「個性」は大切になるのではないでしょうか?
つまり、「ブランディング」です。



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