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神の善良さを思い出させるA Reminder of God’s Goodness

2024-09-15 07:47:03 | 日記
ナホム 1:7 NIV [7] 主は慈悲深く、苦難のときの避難所である。主に信頼する者を主は気遣われる。
Nahum 1:7 NIV [7] The Lord is good, a refuge in times of trouble. He cares for those who trust in him,

神の善良さを思い出させる

イスラエル南部のユダの民に宛てたナホムの手紙は、悔い改めの呼びかけであると同時に裁きの手紙でもありました。北部の部族はすでにアッシリアに追放されており、ユダの不誠実さも彼らを追放に導いていました。

この時期、ユダでは多くのことが起こっていました。国家の混乱の時代です。人々は不誠実でした。しかし、ナホムは周囲の危険や文化的圧力に焦点を当てるのではなく、決して変わらない神の性格に人々を立ち返らせます。

ナホムは、神は善良であることを私たちに思い出させます。イスラエルを取り巻く世界が急速に変化していたにもかかわらず、彼らの神は変わりませんでした。神は常に善良です。どんな状況でも、神は決して変わることなく、常に私たちにとって良いことを望んでいると信じることができます。

ナホムは、困難な時代の真っ只中にある避難所として神がいることを私たちに思い出させ続けます。 神は全能なので、この世の危険からあなたを守ってくださいます。

最後に、ナホムは、神は神を信頼する人々を気遣うと語っています。あなたが神を信頼するとき、神はあなたの魂を気遣い、見守ってくださいます。不確実な時代に神を信頼するのは難しいかもしれませんが、聖書はそれが真の安全への唯一の道であると教えています。

今日、少し時間を取って、自分の人生とあなたが置かれている状況について考えてみましょう。あなたの状況が良いものであれ悪いものであれ、次の3つの真実を覚えておいてください。
- 神は善良です。
- 神はあなたの避難所です。
- 神はあなたを気遣っています。

A Reminder of God’s Goodness

Nahum’s letter to the people of Judah, in the southern part of Israel, is both a call for repentance and a letter of judgment. The northern tribes had already been exiled to Assyria, and the unfaithfulness of Judah was also leading them into exile.

There's a lot happening in Judah at this time. It's an era of national turmoil. The people have been unfaithful. But rather than focusing on the surrounding dangers or the cultural pressures, Nahum points the people back to the character of God, which never changes.

Nahum reminds us that God is good. Even though the world around Israel was changing rapidly, their God remained the same. He is always good. In the midst of every circumstance, we can trust God will never change but will always desire what is good for us.

Nahum continues to remind us that God is a refuge in the midst of difficult times. Because God is all-powerful, He will protect you from the dangers of this world.

Lastly, Nahum tells us that God cares for those who trust in Him. As you put your trust in God, He cares for and watches over your soul. While it can be difficult to trust God in uncertain times, Scripture tells us that it is the only way to true security.

Take some time today to consider your own life and the circumstances you’re in. Whether your situation is a good one or a bad one, remember these three truths:
- God is good.
- God is your refuge.
- God cares for you.

あなたを信頼することを教えてください
Teach Me to Trust You

神様、私を大切にしてくださってありがとうございます。あなたは私の力であり、支えです。あなたは私を大事にし、私のために戦うと約束してくださいます。あなた自身を私に与えてくださってありがとうございます。今日、どうかあなたが近くにいることを私に思い出させてください。あなたに身を委ね、信頼する方法を教えてください。イエス様の御名により、アーメン。
God, thank You for taking care of me. You are my strength and my support. You promise to take care of me and fight for me. Thank You for giving me Yourself. Today, please remind me that You are near. Teach me how to surrender and trust in You. In Jesus’ name, Amen.

キリスト教新聞②

2024-09-15 07:08:08 | 日記
《本物の説教》
※デボーション素材でもあります。
(デボーション(Devotion)とは祈り、神の言葉を読み、神との関係を振り返る静かな時間)
以下、わかりやすいキリスト教の説教の一例を紹介します。(オーストラリア)
(英語の翻訳なのでわかりにくい所があるかもしれません。)
〈イエスは支配している〉
マルコ6:45-50
[45] イエスはすぐに弟子たちを舟に乗せ、先にベツサイダへ行かせ、その間に群衆を解散させた。[46] イエスは彼らを残して、祈るために山に登られた。[47] その夜遅く、舟は湖の真ん中にあり、
イエスはひとり陸に上られた。[48] イエスは、風が向かい風だったので、弟子たちが漕ぎ出そうとしているのをご覧になった。夜明け前に、イエスは湖の上を歩きながら彼らのところへ出かけ、
彼らのそばを通り過ぎようとした。[49] しかし、イエスが湖の上を歩いているのを見て、彼らは幽霊だと思って叫び声をあげた。[50] 皆がイエスを見て恐れたからである。イエスはすぐに彼らに
話しかけて言われた。「安心しなさい。私だ。恐れることはない。」

ガリラヤ湖の岸辺を歩く機会があったら、家はあまり見つからないでしょう。それは、ユダヤ人が水に対して否定的な見方をしているからです。ヘブライ語で水を意味する単語は「マイム」で、これは混沌を意味する「マ」という語源から来ています。聖書の物語をいくつか考えてみると、ユダヤ人がなぜ恐れているのかは簡単に理解できます。
※注釈(ヘブライ語は旧約聖書の原語です。ヘブライ語を勉強した人からしか出ません。「ユダヤ人が水に対して否定的」という説と絡めており、とても自然でわかりやすく説明されています。)

- 創世記では、創造の始まりは水の混沌でしたが、神はそこに秩序をもたらしました。
- ノアの時代には、水が地球を覆いました。
- ヨナは神に背を向けた後、海に投げ込まれました。
- イスラエル人は、神が紅海を分けたときに初めて救出されました。
※注釈(旧約聖書を知らないとわかりにくいかもしれませんが、「ユダヤ人が水に対して否定的」という説を聖書を引用して説明しています。)
(イスラエル人にとって「水」は「混沌(こんとん)」「災難」を連想させる。)

ですから、イエスが弟子たちにガリラヤ湖を渡って大嵐の中をまっすぐ進むように「強く勧めた」とき、イエスは弟子たちに何か大切なことを伝えていたと私は信じています。そしてイエスが水の上を歩いて弟子たちを救ったとき、イエスは弟子たちに、自分が彼らの人生におけるすべての混乱を支配し、あらゆる状況をコントロールしていることを意図的に示していたのです。
※注釈(冒頭に紹介したマルコ6:45-50 をキリスト教の教義に沿った解釈で具体的に説明しています。)
(「水」は人生の例え。静かな凪(なぎ)の時もあれば、嵐の時もある。その「水」の上を歩くキリストは私達の人生を支配しコントロールしているという事。)

あなたが直面しているどんなストレスフルな状況や恐ろしい状況でも、イエスはあなたの混乱を完全にコントロールしているだけでなく、イエスと共に混乱をコントロールするようあなたに呼びかけていることを思い出してください。
※注釈(聖書の話を適応させ、現代に生きる私達全員に関係がある話である事を教えています。)➜Applicationアプリケーション(適応)はとても重要です!!

このような事を教えるのが牧師の本来の役割です。聖書を勉強し、キリスト教の教義に沿った解釈で説明し、私達一人一人に関係のある話なのだと教えるのが、本物の牧師です。聞き終わった後に『キリスト』だけが残ります。
日曜日の礼拝で、このような話をしている「キリストのしもべ」としてふさわしい牧師を探して(各教会HPに動画や音源あり。無い教会は鎖国なので論外)皆さんも是非教会に行ってみてください。

キリスト教関連情報は圧倒的に英語です!!英語の人達はキリスト愛がとても強く聖書を勉強研究している人がたくさんいます。彼等から学ぶ事はとてもとても多いです。英語が得意な人はもちろん、苦手な人も、翻訳アプリなどを利用して是非英語の人達から『本物のキリスト教』を教わってください!!
聖書を読んでいてわからない事があったら、英語で検索してください。わかりやすく教えてくれる情報がたくさん出てきます。(聖書の箇所〔Matthew(マタイ)5:12など〕とmeaningで検索すればOKです)
YouTubeにはとても多くの良質キリスト教情報があります。是非チェックしてください!!(ニセモノばかりの日本のものとは大違いなので安心してください)
賛美(worship songs)も英語で、探してみてください!!
ステキなworship songsがたくさんあり、歌詞(lyrics)もあるので一緒に歌えます♪
聖書も英語で読む事を強く勧めます。
(特にNIVは日本人&初心者にもわかりやすい英語です)
『キリスト教の信仰』に沿って訳されているので、日本語よりとても理解しやすいです。(アプリで簡単に言語変更出来ます。全て無料!!)
そして英語で聖書がわかると、世界中の指導者達から本物のキリスト教が学べるので
クリスチャンとしての信仰生活がとても楽しく充実したものとなります。
聖書は日本語でも読みにくいので、この際最初から英語で読んでみるというのもアリです!!
是非チャレンジしてみてください。
※NIV(New International Version)は70ある英語訳の一つ。NKJV, ESV, NLT等と比較して読むともっと理解が深まります!!
































ルカ15:4-6
[4] 「あなたがたのうちに、百匹の羊を飼っている人がいて、その一匹がいなくなったとします。その人は、九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹の羊を見つけるまで捜し回らないでしょうか。[5] 見つけたら、喜んでそれを肩に乗せ、[6] 家に帰り、友人や近所の人々を呼び集めて、『私と一緒に喜んで
ください。いなくなった羊を見つけました』と言うでしょう。

キリストはあなたを捜し、見つけ、肩に乗せ、家(神の国)に連れて行き、喜びたいと願っています。
そのキリストの愛に気づき
キリストの愛を受け取ってください😊

〈お祈り〉
神様、私は罪人です。
ごめんなさい。
お許しください。
罪を悔い改めます。
あなたの御子イエス・キリストが、十字架上で私の罪のために死んだ事を信じます。
私はイエスキリストに信仰と信頼を置き、今日から永遠に主としてイエスキリストに従います。
アーメン


キリスト教新聞①

2024-09-15 06:42:15 | 日記
Matthew 16:24
Then Jesus said to his disciples, “If any of
you wants to be 『my follower』, you must
give up your own way, take up your cross, and
『follow me』.
マタイ16:24
するとイエスは弟子たちに言われた。「あなたがたのうち、わたしに従いたいと思う者は、自分の道を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。」

クリスチャン
別名Christ Follower(クライストフォロワー)
SNSのフォロワーと同じように、キリストの事なら何でも知りたい!! 真似したい!! 人の事

《聖書》
‭テモテへの第二の手紙 3:16
『聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたもの』であり、何が真理であり、何が悪であるかをよく教えてくれます。また、私たちの生活をまっすぐにし、正しいことを行う力を与えてくれます。

キリスト教は、旧約聖書と新約聖書を『神の言葉』と信じているので聖書は絶対です。
意味がわからなかったり、とても信じられない!という事があっても、それは私達の
『心の目』が開かれていないのでわからないだけです。そして、神の事を人間が全て理解し尽くす事は出来ません。よって、死ぬまで『聖書=神の言葉』を求め(読み、勉強し)続けるのがクリスチャンです。
「聖書にダメ!って書いてある事をしたら人間失格」的な事を言う人が多いですがそれは間違いです。聖書は人を裁(さば)く為に悪用するものではありません。愛をもって親が子を諭(さと)すように、神は私達に真理の道を教えてくれているのです。聖書の言葉は全て『神の愛』です。

《三位一体》
創世記 1:2 (天地創造)
地は形がなく、むなしく、闇が深淵の面にあり『神の霊』が水の上を動いていた。

マタイ 3:16-17
[16] イエスはバプテスマを受けるとすぐに、水から上がられた。そのとき、天が開け、『神の霊』が鳩のように下ってきて、自分の上にとどまるのを、イエスはご覧になった。[17] そして天(天の父なる神)から声がした。「これはわたしの愛する子(イエスキリスト)わたしの心にかなう者である。」

使徒行伝 2:3-4
[3] 彼らは、炎のような舌が分かれて、一人一人の上にとどまるのを見ました。[4] 彼らはみな聖霊(神の霊)に満たされ、聖霊(神の霊)が許すままに、他国の言葉で話し始めました。

『天の父なる神』(『神の霊』)『神の御子イエスキリスト』『聖霊(神の霊)』これらが『三位一体の神』です。同じ『神』という性質ですが、現れる形が違います。わかりやすく言うと「水=液体、気体、固体」です。しかし『三位一体』を人間が完全に理解する事は出来ません。

〜旧約聖書〜
《天の父なる神》
出エジプト記 3:14
神はモーセに言われた。「わたしは、わたしである。あなたはイスラエル人にこう言いなさい。『わたしは、わたしである』が、わたしをあなたたちのところに遣わしたのだ」

ネヘミヤ 記 9:17
あなた(『天の父なる神』)は赦してくださる神です。いつも人々を赦そうとしてくださり、恵みに富み、思いやり深く、すぐにお怒りになることのないお方です。

『天の父なる神』は、この世にある全ての物を造り、支配し、君臨しています。神に造られた私達人間が理解できるような小さな神様ではありません。
『天の父なる神』は、私達人間一人一人を丁寧に、目的をもって造りました。存在している意味のない人間や物は何一つありません。神は私達を愛しています。
ですが、アダムとイブが「食べてはいけない」と言われていた果実を食べてしまい、神
に従わなかったので『神の園』から追放され「男性は苦労して働く」「女性は苦しんで出産する」事になってしまいました。これらの苦しみは全て人間の「罪」の結果です。そして、これ以降私達人間は神と共に歩む事が出来なくなってしまいました。
「神に従わない」これが人間の「罪」なのです。せっかく『天の父なる神』が私達を愛し『神の園』で共に歩んでくれていたのに私達はそれを拒み神から離れてしまったのです。

申命記 6:5
心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。

レビ記 19:18
隣人をあなた自身のように愛しなさい。

『天の父なる神』は全ての人を愛し祝福したいと思っています。ですが人間は『神の愛』を無視し、人間同士愛し合わず、傷つけ合います。その人間の姿を見た神は悲しみ『預言者』と呼ばれる『神の言葉を人々に伝える人』を通し、私達人間に『私(神)があなたがたを愛してるように、私(神)を愛し、あなたがたも互いに愛し合いなさい』と伝え続けてきました。
しかし人間はその神の声を聞かず、弱者をいじめ、強い者だけが世を支配していくようになっていきます。そしてあろうことか、『愛し合いなさい』ときれい事を言う預言者たちを、支配者たちは疎(うと)ましく思い、殺し続けるのです。神に従わず「自分が神より上=自分が神」になりたがってしまうのす。
ここまでが旧約聖書です。
その後も神の声に耳を貸さない人間は、神に愛されている事も忘れ、自分勝手に生き続けます。これが人間の「罪」です。

〜新約聖書〜
マタイ 22:37-39
[37] イエスは答えた。「『心を尽くし、精神
を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』[38] これが最も重要な第一の戒めです。[39] 第二もこれと同様です。
『隣人をあなた自身のように愛しない。』

《イエスキリスト》
ここからが新約聖書です。
イエスキリストは『完全に神』であり『完全に人間』です。どちらの性質も持ち合わせいます。
イエスキリストは『神』なのに、きれいな神殿ではなく、汚い馬小屋で生まれました。そして『神』として、多くの病人、けが人を癒やし、悪霊に取りつかれた人から悪霊を追い出し、社会から仲間外れにされたかわいそうな人々の友達になり、『天の父なる神』の言いつけである『私(神)があなたがたを愛し
てるように、私(神)を愛し、あなたがたも互いに愛し合いなさい』という事がどういう事かを、人々に伝えて歩きました。

ヨハネ 13:14-15
[14] 主であり教師である私(イエスキリスト)が、あなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合いなさい。
[15] 私があなたがたにしたように、あなたがたもするようにと、私は模範を示したの
です。

イエスキリストは自ら弟子達の足を洗い、弟子達に『仕えられる者ではなく仕える者になりなさい』と、神の愛をどのように行動で示していくかを教えました。
しかしそれでも人間は『天の父なる神』の愛を説くイエスキリストを拒否し、旧約聖書の預言者たちと同じように、イエスキリストを十字架に付けて殺すのです。
イエスキリストは『天の父なる神』の言いつけに徹底的に従う事を選び、『天の父なる
神』の愛を人々に伝えるために、愛し合えない私達人間の罪を許すために、自ら十字架にかかる事を受け入れるのです。これこそが、私達人間に対する『イエスキリストの愛』なのです。
『神の愛』を拒否するのが人間の『罪』です。ですが、イエスキリストを信じる事で
『神の愛』を知る事が出来るのです。
自分の一人子イエスキリストをこの世に送り、十字架に付ける程に『天の父なる神』
は私達を愛しているのです。

‭ヨハネの手紙Ⅰ 4:9, 11
[9] 神は、かけがえのないご自分のひとり子(イエスキリスト)をこの世に遣わし、そのひとり子(イエスキリスト)の死によって、私たちに永遠のいのちを与えてくださいました。そのようにして、どんなに私たちを愛しておられるかを示されたのです。
[11] 愛する人たち。神がこれほどまでに愛してくださったのですから、私たちもまた
互いに愛し合おうではありませんか。

イエスキリストの愛を受け入れイエスキリストを救い主として信じる全ての者に『永遠の命』が与えられます。つまり肉体が死んだ後も魂は天国で永遠に生き続けるのです。
イエスキリストは十字架に付けられた3日後に生き返ります。弟子達は復活したイエスキリストに出会い、会話し、その体に触れた証人です。『神』である事が証明されたのです。
《聖霊》
使徒 2:4
彼らはみな聖霊(神の霊)に満たされ、聖霊(神の霊)が許すままに他国の言葉で話しめた。

イエスキリストが復活し天に帰って行った後『聖霊(神の霊)』が弟子達に降り注がれます。『聖霊(神の霊)』に満たされた弟子達は、母国語ではない多数の言語でイエス
キリストを語り始めました。それまでイスラエル人にしか伝えられていなかったイエス
キリストが、それ以外の地域の人々にも伝えられたのです。

『天の父なる神』は私達人間全員を愛しているので、『聖霊(神の霊)』によって、世界中の人達にイエスキリストの愛が伝わるようにしてくれたのです。

ローマ人への手紙 5:5 ‬
神が聖霊(神の霊)を与えてくださり、その聖霊(神の霊)が私たちの心に神の愛を満たしてくださっているからです。

イエスキリストを信じると、全員にこの『聖霊(神の霊)』が注がれます。すなわち『神の愛』が心に満ちるのです。そして、『天の父なる神』の『私(神)があなたがたを愛してるように、私(神)を愛し、あなたがたも互いに愛し合いなさい』と
いう言いつけを、イエスキリストの十字架と復活を信じる事で、実行する事が出来るようになるのです。
皆さんも是非イエスキリストを自分の救い主として信じ、イエスキリストの愛を味わってください!!

Psalms 34:8
Taste and see that the Lord(God) is good.
詩篇 34:8
味わって見よ、主(神)は慈しみ深い。

※このイエスキリストの話を『福音』『良い知らせ』と言います。(英語だ『Gospel』『Good News』)
《教会》
エペソ人への手紙 5:23
キリストは教会の頭であり、
『教会はキリストの体』であり、キリストは教会の救い主です。

教会はキリストの体です。
キリストを愛するクリスチャン達が、心からキリストに礼拝を捧げる場所であり、聖霊が満ちる神聖な場所です。〈伝道〉
マタイ 28:19-20
[19] だから、あなたがたは行って、すべての国の人々を弟子としなさい。父と子と聖霊の名によって彼らに洗礼を施し、[20] わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように教えなさい。

キリストは世界中にキリストを伝えなさいと言いました。教会は、キリストをまだ知らない全ての人々に福音を述べ伝える所です。そして、すでにキリストを信じているクリスチャン達には、キリストとの『インティマシー』(《お祈り》参照)を持つよう導く所です。
〈社会貢献〉
ヤコブ 1:27
父なる神が純粋で傷のないものとして受け入れる宗教とは、困っている孤児ややもめ(その他社会的弱者全般)を世話し、世に汚されないよう身を守ることです。

キリストがそうしたように、キリストを愛するクリスチャン達は社会的弱者救済活動をします。その活動の中心となるのが教会です。
地域に根ざしたボランティア活動などを通し目に見えない『キリストの愛』を、見えるものとして世に伝えるのが教会です。
〈牧師〉
使徒行伝 20:28
自分自身と、聖霊があなたたちをその群れの監督者に任命した群れ全体に気を配りなさ
い。神がご自身の血で買い取られた神の教会の牧者になりなさい。

教会は牧師の信仰に大きく左右されます。このような本来あるべき教会を目指す、キリ
スト愛に溢れ、強い信仰を持った牧師をキリストは求めています。
聖書を『キリスト教の解釈』で教えられるよう勉強し、人々をキリストに結びつけ、日々人々のために熱心に祈り、キリストのしもべとして全てをキリストに捧げる牧師が求められています。
聖書を『キリスト教の解釈』で教えられるよう勉強し、人々をキリストに結びつけ、日々人々のために熱心に祈り、キリストのしもべとして全てをキリストに捧げる牧師が求められています。

ヤコブ 3:1
あなたたちのうち、多くの者が教師になるべきではありません。なぜなら、私たち教える者は、さらに厳しく裁かれることをあなたたちは知っているからです。

神の厳しい裁きに合うので、キリストのしもべとしてふさわしくない者は、牧師になるべきではありません。
教会は聖書絶対&信仰あるのみです。
(Bible Based&Faith Alone)
キリストを愛し、キリストに倣(なら)いキリストに従う信仰のある、「キリストの
しもべ」としてふさわしい牧師の教会に是非行ってみてください!!(見分け方は《本物の説教》参照)
そして無料聖書アプリ『You Version』で本物のキリスト教に触れてください!!ゲームやSNS、ネットニュースばかりではなく、身近なスマホで是非聖書も開いてください。
《お祈り》
テサロニケ人への第一の手紙 5:16-18
[16] いつも喜びなさい。[17] 『絶えず祈りなさい。』[18] すべてのことに感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにおいて神があなた方に望んでおられることなのです。

キリスト教はキリストとの『intimacy(インティマシー)』が一番重要です。
『intimacy』とは、『親密で温かみのある愛情や友情』の事です。つまり世の中の誰よりもキリストと一番仲良くなるのです。
キリストの愛を拒否しキリストから離れる事が「罪」なので、キリストを信じ、罪許されたクリスチャンはその逆の『キリストに近づく』
事=『intimacy』を求るのです。この『intimacy』をキリストと持つために『お祈り』はとても重要です。
お祈りは『キリストとの会話』です。キリストは一番親しい人なので、何でも打ち明けてください。キリストにとって「大きい」も「小さい」もありません。人生の大きな選択から日常の些細な事まで、何でもキリストに相談してください。
ありのままの自分で、定型文ではなく、自分の言葉で是非祈ってみてください!!
《賛美》
ゼファニヤ 3:17
あなたの神、主はあなたを大いに喜ばれ、その愛によって、もはやあなたを責めることなく、歌いながらあなたのために喜ばれるであろう。

神様は歌います。キリストも歌います。キリスト教は歌います。音楽に乗せて神様を賛美します。
賛美に関しても、お祈り同様「自分の声」で歌わないと意味がありません。下手でも構いませんが「心から」でないと、神様は喜びません。神様はその愛で、歌いながら、
私達を喜んでくれるのです。私達も歌いながら、神様を喜びましょう♪
YouTubeなどで、是非探して皆さんも神様を賛美してみてください♪

《聖書の読み方》
聖書は2000年前のイスラエルの話ですが現代の私達日本人にも関係があります。
どういう事かを説明します。
旧約聖書に、神がモーセを通してイスラエルに与えた『モーセの律法』があります。(モーセ=神様と直接会話出来る特別な人。神様とイスラエルの橋渡し役)(律法=神様が定めたイスラエルの法律)
その『モーセの律法』を、後の時代の人々が、すでに時代遅れになってしまっている内
容をその時代に合うように解釈し、神様との関係が途切れないように努めてきた歴史があります。
新約聖書にも『律法学者』という人々が登場し、すでに古くなってしまった『モーセの律法』を通して、人々に神を教えています。また、イエスキリストや弟子達も旧約聖書を引用して人々に神を教えています。(キリストがそうしたように、聖書を引用して話すのがクリスチャンです。)
聖書とは本来、神様との関係が途切れないように、時代に合うように解釈して読む物なのです。
更にキリスト教は、その教義に沿った解釈で聖書を読みます。旧約聖書も『新約聖書の目線』で読みます。よって、世界中のキリスト教徒は同じ解釈で聖書を読んでいるのです。その『キリスト教の解釈』がどういうものなのかを教えるのが『牧師』や『神父』なのです。以上の事から、『キリスト教の教義に沿った解釈』で読むので、聖書は現代の私達日本人にも大いに関係があると言えるのです。
そこで『You Version』という無料聖書アプリを強くおすすめします。アメリカ人牧師が作ったアプリで、世界中の指導者達が『キリスト教の教義に沿った解釈で聖書を読む』とはどういう事か、その解釈をどのように私達の生活に当てはめるかという事まで、初心者にもわかるように、とても親切に教えてくれます。このような正しい手引き無しに、聖書を一人で読むのはとても大変です。是非利用してください!!
どうして『正しい手引き』が『アプリ』で必要なのか説明します。
これは聖書を読みキリスト教の話を聞いた人がどういう反応をするか、の例え話です。

マルコ4:14-20
[14] 農夫は御言葉(聖書の言葉)を蒔きます。[15] ある人たちは「道端」に蒔かれた種のようです。御言葉を聞くとすぐに、サタンが来て、蒔かれた御言葉を奪い去ります。[16] ほかの人たちは、「岩地」に蒔かれた種のよ
うに、御言葉を聞いて、すぐに喜んで受け入れます。[17] しかし、根がないので、しばらくしか続きません。御言葉のために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。[18] また、「いばら」の中に蒔かれた種のように、御言葉を聞くのですが、[19] 生活の思い煩いや富の惑わし、その他いろいろな
欲望が入り込んできて、御言葉をふさいで、実を結ばなくなってしまいます。 [20] ほかの人々は、「良い地」に蒔かれた種のように、御言葉を聞いて受け入れ、蒔いたものより三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶのです。」

もちろん、敬虔なクリスチャンは最後の『良い地』のような信仰を持ちたい!!と思います。しかし実は「道端」「岩地」「いばら」と、実を結ばない方が3:1で多いのです。多くの人が、キリストの話を聞いても長続きしないという事です。「今日は疲れたから聖書は明日にしよう」
「キリストの事ばかりだと飽きる」「もっと楽しい事をしたい」etc。大抵の人はそうやってキリストから離れていくものなのです。
だからこそ、絶対的に『正しい手引き』が『アプリ』で必要なのです。
本物のクリスチャン達は、「人間は弱く、日常に流されキリストを忘れるものだ」という前提で信仰生活を送るので、『キリストから離れないように』と、あの手この手で励まし合います。
週に1~2回教会に行くだけでは人は忘れるのです。毎日の日常の中にキリストを受け入れて、キリストと共に歩んでください。
1人1台スマホ時代。私達は目が覚めてから寝るまでスマホをいじって生活しています。正しいキリスト教をわかりやすく教えてくれるアプリがある事で、キリストがより身近になり、私達の日常に溶け込んでいくのです。
「暇だな~」とスマホを開いた時、是非『聖書アプリ』をタップしてください!! そして
キリストに出会ってください。








紛争に立ち向かう Confronting Conflict

2024-09-15 04:20:39 | 日記
紛争に立ち向かう
Confronting Conflict

痛みを伴う意見の相違は、この世界で生きる上で避けられないものであり、私たちがどのように対応するかが重要です。
Painful disagreements are a part of living in this world—how we respond matters.

ガラテヤ人への手紙 2:11-16 NIV
[11] ケパがアンティオキアに来たとき、私は面と向かって反対しました。彼は罪に定められていたからです。[12] というのは、ヤコブのもとからある人たちが来るまでは、彼は異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らが来ると、割礼派の人たちを恐れて、遠ざかり、異邦人から離れるようになったからです。[13] 他のユダヤ人たちも彼の偽善に加わり、彼らの偽善によってバルナバまでもが惑わされました。[14] 彼らが福音の真理に従って行動していないのを見て、私は皆の前でケパに言いました。「あなたはユダヤ人でありながら、ユダヤ人らしくない異邦人のように生活しています。それなのに、どうしてあなたは異邦人にユダヤ人の習慣を強制するのですか。 [15] 私たちは生まれながらのユダヤ人であり、罪深い異邦人ではありません。[16] 人は律法の行いによってではなく、ただイエス・キリストを信じる信仰によって義とされることを知っています。ですから、私たちもキリスト・イエスを信じました。律法の行いによってではなく、キリストを信じる信仰によって義とされるためです。律法の行いによっては、だれも義とされないからです。
Galatians 2:11-16 NIV
[11] When Cephas came to Antioch, I opposed him to his face, because he stood condemned. [12] For before certain men came from James, he used to eat with the Gentiles. But when they arrived, he began to draw back and separate himself from the Gentiles because he was afraid of those who belonged to the circumcision group. [13] The other Jews joined him in his hypocrisy, so that by their hypocrisy even Barnabas was led astray. [14] When I saw that they were not acting in line with the truth of the gospel, I said to Cephas in front of them all, “You are a Jew, yet you live like a Gentile and not like a Jew. How is it, then, that you force Gentiles to follow Jewish customs? [15] “We who are Jews by birth and not sinful Gentiles [16] know that a person is not justified by the works of the law, but by faith in Jesus Christ. So we, too, have put our faith in Christ Jesus that we may be justified by faith in Christ and not by the works of the law, because by the works of the law no one will be justified.

詩篇 135:6 NIV
[6] 主は天と地、海とその深淵において、御心にかなうことをことごとく行われる。
Psalms 135:6 NIV
[6] The Lord does whatever pleases him, in the heavens and on the earth, in the seas and all their depths.

ヨブ 12:23 NIV
[23] 神は国々を大きくし、また滅ぼし、国々を広げ、また散らす。
Job 12:23 NIV
[23] He makes nations great, and destroys them; he enlarges nations, and disperses them.

使徒行伝 17:25 NIV
[25] 何かに不自由しているかのように、人の手によって仕えられることはなく、むしろ、神ご自身がすべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださっているのです。
Acts 17:25 NIV
[25] And he is not served by human hands, as if he needed anything. Rather, he himself gives everyone life and breath and everything else.

聖書には国家間や友人同士や家族間の争いの例が数多く記録されており、今日でも同じことが見られます。争いの際、人々は辛辣で不当な言葉を口にするかもしれません。非難はしばしば混乱や心の痛みを引き起こします。しかし、そのような攻撃的な態度にどう反応するかは、私たちが何を信じているかによって決まります。
The Scriptures record many instances of conflict—between nations, among friends, and in families—and we see the same things today. While fighting, people can say harsh, unfair words. Their accusations often create turmoil and emotional pain. But the way we respond to such aggressiveness is determined by what we believe.

まず、私たちは二つのことを思い出すべきです。第一に、神は私たちの苦しい時期を有益なものに変えることができる力を持っています。第二に、思いやりのある天の父はいつも私たちのそばにいてくれます。私たちが経験していることを理解し、私たちと共に歩んでくださるのです。
To start with, we should remind ourselves of two things. First, God has the power to work our painful times into something beneficial. And second, our caring heavenly Father always remains by our side. He understands what we’re experiencing and will walk with us through it.

神の言葉は、自然(詩篇 135:6)、政府(ヨブ記 12:23)、そして人類(使徒行伝 17:25)に対する神の主権を宣言しています。神の主権を信じる時、困難な状況に対する私たちの見方は変わります。そして、恐れや憤りで反応する代わりに、祈りの中で神に頼り、導きを求めるようになります。
God’s Word proclaims His sovereignty over nature (Psalm 135:6), government (Job 12:23), and mankind (Acts 17:25). When we believe in His sovereign rule, our perspective on hard times changes. Then, instead of responding with fear or resentment, we will turn to Him in prayer and ask for guidance.

世の中では争いは避けられません。自分のしたことが混乱の原因なら、謝るべきです。他人に落ち度があれば、許すべきです。キリストの使者として、私たちがどう対応するかは非常に重要です。
In the world, conflict is inevitable. When something we’ve done is the source of the turmoil, we should apologize. If others are at fault, we should forgive. As Christ’s ambassadors, the way we respond really matters.