「中位」と言う言葉をよく聞きますが、これほど曖昧でつかみ処がない言葉は他にありません。長さや重さの中位の表現は比較の対象が分かれば理解できますが、人の気持ちや価値観の中位は、程度が量り知れず難しいものです。
サラリーマンの場合、多くの企業が定年制度を設けていて、生涯現役を勧めてはいるものの70歳位まで雇用されていても職場を離れてしまう人が多く、転職あるいは自営などの道を歩む人もいますがわずかです。
私が学業を終えて社会人になった頃は「一億総中流」と言われていました。おそらく日本経済は高度成長期であって、中流とはそのことを指すのだろうと思っていました。実際に中流の定義などなく、本当かどうかは定かでなく、労働時間ばかり長くてサラリーマンの手取り収入は増えたと思いますが、これを中くらいと言うのかどうか疑わしいものでした。
その頃は、平凡・尋常・世間並み・普通・平均的・中位、人なみな暮らし、などの言葉が流行した時代でもありました。俳人、小林一茶が「目出度さも ちう位なり おらが春」と詠んだ句があります。“ちう位”は「いい加減」の意味だともいわれ、不遇の一茶からすれば、「世の中、初春で目出度いといっても、自分にとっては どうでもいいことだ」という解釈もあるようです。
一茶は、中途半端でやや斜めに世の中を見つめ、一般にいう「中程度」とはやや違った感情表現ではなかったかと思います。人の欲には際限がなく、一億の人々に中流あるいは中位と言い続けることで働くことに誇りを持たせ、もっともっと働けば良くなるといった経済の心理戦略だったのかもしれません。
さて、当時と比較して現在はいかがでしょうか。あの頃、猛烈社員と言われた人々が後期高齢者となった現在、物価が上がっても年金につながりは遅く、そうかといって貧困感は少なく、定年退職後の暮らしは「中くらい」と言えるのでしょうか。