正月3ケ日が過ぎ、もう1月は最後の日となりました。年齢を重ねると時が猛スピードで去って行く気がします。そうなると、命の根源“食”に感心が向きます。
終戦直後の日本は穀物が大幅に不足することになり、飢えに苦しむ人が多くいて、アメリカから小麦の輸入と、米は「食糧管理法」ですべて管理され、農家の我が家も自給米以外はすべて管理され、共同出荷となりました。
家では、動物性タンパク質を、ニワトリ、ウサギ、ヤギなどを飼っていて、卵、乳、肉を自給自足としていました。ご飯は、たとえ1粒でも感謝して残さず食べ、副食の野菜や肉、卵、果物も大切に扱い、決して残すようなことはありませんでした。植物や動物の生命をいただく事から、食事前の「<命>いただきます」食後の「ごちそうさま<感謝>」の言葉を忘れたことはありません。
おいしい物を食べ、うまい酒を飲むときが最高に幸せと感じるこのごろですが、お金さえ払えば、いつでもどこでも食べ物は手に入る現在、コロナの感染予防さえ行えば、誰でも飽きるほど飲み食いができます。
朝・昼・夕と、当たり前のように3食の習慣が定着し、時には「お付き合い」と称して、大いに飲み食いすることさえあります。食べ過ぎて「メタボ」といわれ、検診で注意を受けることさえあります。
人は過食に対する防御機能は備わっていませんから、食べ過ぎは体に不調をきたして寿命を短くすることにつながると言われています。終戦直後では考えられない行動ではないかと・・・・。
現在、コンビニエンス・ストアから賞味期限切れで廃棄される弁当の話や、親が子に「食べてくれる?」と、嫌々食べる子供の話を聞くたびに、心が痛みます。