そもそも論ということになると、原理的な発言かと思われるかも知れない。
原理的な論については、僕には一家言がある。と言うより、僕は原理的な思想から短歌に入ったのである。
中原中也というビッグ・ネームを持ち出して、やれ先達だの、果ては同志だのと言ってはいるが、僕の人生で中原中也より前に短歌があったというのが、実は厳然たる事実なのだ。
しかし、今回はそういう話ではない。日本の歴史上、現存する最古の短歌はどういうものだったかという話である。
現存する最古の短歌は、万葉集巻1の、No.46~49の4首だ。つまり連作である。万葉集のこれより前には反歌があり、短歌とさして区別がないように見えるが、この4首では短歌を複数組み合わせることで、長歌に拮抗する表現世界の達成が意図されている。
卑近な例で恐縮だが、短歌人3月号に載った僕の作品の最後の1首は、その前にあった歌がボツになったために、まるっきり意味が異なる読み方が出来てしまうので、先日選者に抗議したところである。
(ボツの問題については2024年6月1日付け「貧乏結社の苦労」という記事に書いた)
あと、昔の短歌は旧仮名遣いで書かれているが、たぶん「思ひ出」を昔の人は「OMOHIDE」と発音していたはずである。
現代において旧仮名遣いで書かれると、意味不明な場合もある。
水原紫苑が新しい歌集を出したときに、水原さんの話だとは知らず「紫苑という人が『あかるたへ』という歌集を出した」と聞いて、どんな屁かと不審に思ったことがある。因みに水原紫苑の歌集は「明妙」であり、明るい妙(たえ)だから「あかるたえ」である。
僕は、小池光さんのことは批判ばかりして来たが、氏の「日々の思い出」という歌集は、中身が旧仮名遣いなのに、歌集のタイトルを新仮名遣いにしたのは良識があることだと思っている。