このブログの前々回の記事で紹介した中原中也晩年の短歌には大きなショックを受けた。
中也は30歳で亡くなったが、29歳頃に詠んだ短歌を「晩年の短歌」と言ってのける人間は、恐らく僕のほかにはいないだろう。
それらの短歌に、僕は痛々しさを禁じ得なかった。誰よりも中也を理解していると自負している僕だからこそである。
中也の晩年の短歌には、読者を惹きつける魅力がない。彼の詩にくらべて、なんとみすぼらしいことか。しかし、彼が終生言い続けたことは、こういうことだったんだと改めて思う。
身も蓋もない言い方かも知れないが、彼には詩を「上手に」書く能力があったから、生前少なくとも少数の文学の士には受け入れられた。
中原中也の人生は3期に分けることが出来るだろう。
まずは20歳過ぎまで。
早熟さに注目され調子に乗っていた時期だ。
次が第一詩集山羊の歌の刊行から、小林秀雄の後押しで世間に名を知られるようになった頃まで。
愛人が小林秀雄のもとへ去り、結婚して第一子も生まれたが、その子が亡くなってしまう、というドラマティックな時期だ。中也は精神に変調をきたし、一時入院したが退院。
この退院のあたりからが第3期。第3期は短い。じきに病死してしまうからである。
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