草原の四季

椎名夕声の短歌ブログ

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新人賞

2024-10-13 08:20:48 | 和歌・短歌

短歌の新人賞に、ほとんど応募しない理由は明確だ。作品が出来たら、可及的速やかに発表したいからである。そして、僕には月刊誌に発表する環境があるので、間に合っていますという訳である。

 

しかし、10~20年に1回くらい良い作品が沢山出来た時に、ちょうど新人賞の応募期限が近いという、13年蝉と17年蝉との同時発生的な偶然がある。
略歌歴を添付することになっており、提出した後で少し気になった。歌集刊行について書かなかったが、歌集刊行は歌歴だろうかと。

 

書き下ろしの歌集を刊行する人は、ほぼいない。通常は発表済みの作品から抜粋し、構成を整えて歌集とする。ゆえに、歌集刊行は人生のイベントではあるが、取り立てて歌歴と言うほどの出来事では無い。

 

もうひとつ気になったのは、人生で初めて短歌を意識的に作った動機である。こちらは明らかに歌歴だが、一般的に略歌歴には書かれない。

でも、それはたいした動機じゃないケースがほとんどだから、と言えるだろう。
僕の場合、中原中也にシンパシーを感じたゆえに、中也の出発点であるところの短歌を書いたのである。
そのシンパシーの中身だが、短歌の真髄は、認識であるということだ。
このブログの第1回に書いた中で「真」ということである。真が無くて善や美があっても何になろうか。

 

四の五の言わず、次回からは両方とも略歌歴に加えておこう。

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歌集もバーゲンしたっていいじゃないか

2024-08-31 14:41:37 | 和歌・短歌

歌集だって、秋のバーゲンセールをやったっていいじゃないですか。

パブファンセルフ版の「珊瑚樹」(紙書籍)を、期間限定で値下げいたします。

 

 

 

(10月27日記す)

価格の改定は、申請後3日ほどかかります。バーゲン終了の申請は既に提出済みですから、近日中に終了となります。終了日を「30日頃」と書いたのは、審査やショッピングサイトへの反映にかかる時間が流動的だからです。今回「秋のバーゲン」と銘打ったことに深い意味はありません。一度やってみようという趣旨ですから、たぶん今後バーゲンを行なうことは無いでしょう。

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これから歌集を出す人に

2024-08-21 15:46:15 | 和歌・短歌

僕が第一歌集に他人の文(解説・跋・帯)を依頼しなかった話はofficial site等に書いたが、実は当初どの雑誌社にも贈呈しなかった。

有名歌人(インフルエンサー)100人に贈呈すれば充分という考えだったが、数か月して少し後悔した。それでも意地とプライドがあるので、いりの舎のみ贈呈した。いりの舎は月刊「うた新聞」にて、贈呈された全ての歌集を紹介してくれるからである。編集部で値踏みするのではなく、例外なく全ての歌集を紹介してくれるので、プライドは傷付かない。第一歌集は拘りを持って編んだので、絶対に「ぱっと見」でウケないという自信があるのだ。ウケようなどというスケベな了見で作ってはいない。

なお、雑誌に歌集評を寄稿している人に、歌集を贈呈することもしなかった。あくまでも僕が有名歌人と認識する人にしか贈呈しなかった。当然有名歌人は100人超いるので、独断と偏見により100人に絞り込んだ。世間一般では200人以上に贈呈すると聞くが、僕の感覚では、100人でもそうとう多いと思う。それゆえ充分という訳だ。

 

要するに広告なら無名の歌人に値踏みされないということだが、第二歌集では全ての雑誌に贈呈しようかと思っている。

自分で自分を裏切ることも、ひとつの自由だからである。

第二歌集を依頼する出版社は既に決めてあり、それ以外の会社から出すつもりは無いので、契約条件と合致すればとの条件付きではあるが。

 

そういう訳で、僕の第一歌集は意地を張り通したが、皆さんが歌集を出すときには雑誌社の編集部に贈呈した方がいいと思いますよ。少なくとも後悔することが無いという意味で。

ただし「注文の多い料理店」で有名な宮沢賢治が、当時一流の児童文学雑誌だった「赤い鳥」に、何度も原稿を持ち込んだが、ついに1回も掲載されなかった、ということは念頭に置くべきだろう。

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歌集を読まないで下さい

2024-07-05 17:42:36 | 和歌・短歌


僕の第一歌集の出版社アマゾンKDPのメニューに、読者が何ページまで読んだかわかるメニューがある。(以前書いた「試し読み」とは関係ない)
日本の出版社だったらプライバシーを気にかけてやらないだろうが、外資系企業は合理的である。

全ての読者の既読ページがわかる訳ではないが、詳細はここでは触れない。

以前書いたが、僕の第一歌集の最初の10ページは初期歌篇であり、18歳のときに書いた短歌を収載している。
完全編年体だから40ページあたりまでは習作みたいなものである。
10ページちょっとまで読んでやめてしまうのなら、最初から何も読まないほうが読者のためにいいと思うが、実際にはそういうやからがいる。

アマゾンでは第1ページからはぐるしかなく、最後にはぐったページが既読ページとして記録される。
もしも紙書籍だったなら、パラパラとめくることができるし、いきなり中央のページから読み始めることもできるが、そういうことができないので、記録された既読ページより後のページは、一切見ていない訳だが、上図を見ると既読14ページの人がおり、既読11ページの人もいる。
これらの人は、明らかに時間を無駄にした。暇人なら、まあいいだろうけど、気になるのは、初期歌篇と書いてある意味がわかっていないのではないか?
ある程度読書経験があればわかることだし、そもそも歌集と雑誌の区別すらついていないのではないだろうか。そういう人は歌集を読まない方がいい。

これは初めて発表することだが、僕の第一歌集には山場があり、それは概ね中間部分である。
つまり、漠然と完全編年体にした訳ではなく、そうした方が色々な意味で合理的だからである。
上記の人々は山場を読むこと無く、いったい歌集に何を読もうとしたのだろうか?

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永井祐みたび

2024-06-08 11:12:49 | 和歌・短歌

永井祐の次の歌は、表現が上手いということで過去に記事にしたが、問題を抱えていることも指摘して来た。


わたしは別におしゃれではなく写メールで地元を撮ったりして暮らしてる(永井祐)


問題視したのは「地元」の意味である。
昔からの解釈をすれば「子どもの頃過ごした地」ということになり、出身地・現住所とは区別される。
地元と現住所が異なる人のうち、地元に親族が住んでいるケースが多数と思われる。
若者に限定すれば、地元に親が住んでいるケースが圧倒的多数であろう。


以上の解釈を前提にして永井の歌を読めば、親元で写真を撮ったりして暮らしているのだから、フリーターのような状態の若者が食いつめて逃げ込んだ状景と理解するのが妥当である。

ところが短歌研究2020年6月号に永井祐の言葉が載り、現住所という意味で使用したことが明かされた。
たしかに、テレビに出演する東京あたりの若者のあいだでは、地元=現住所として会話が成立している。おそらく「地元商店街」という聞きなれた熟語から派生したものだろう。この場合、大きな町の商店街に対して小さな町の商店街を指している。つまり、本来は他を想定した上での使用法なのに、特に若者において、前提や前置き無しに使われている。

従来であれば「このあたりにお住まいですか?」と聞くところを「地元ですか?」で済ましてしまうのだ。
この使用法は、まだ市民権を得たとは言えないが、悪貨は良貨を駆逐することが多いので、いずれは市民権を得る可能性があると思った。


今回は目を世界に向ける。
ロンドンのハックニーの、とあるカフェで抹茶ラテを楽しむ若者に「地元の方ですか?」とマイクを向けたところ「No」と言った瞬間の映像である。

 

 

地元は英語ではhometown又はhoodである。
hoodは元々は服のフード(ずきん)や目隠しの意味だが、若者が歌うヒップホップではホームタウンの意味で使われる。
ホームタウンは故郷のことである。
上の写真で「ここハックニーは地元ではありません。私はロンドン生まれで、現在はこの近くに住んでいます」と言っているのを東京にあてはめれば、八王子で声をかけられた若者が「八王子は地元じゃないよ。僕は都区内の生まれで、今は西八王子に住んでいるんだ」と言ってるのと同じです。


地元=現住所という使用法は、どうやら市民権を得ることができないでしょう。
安直に若者言葉を使用すると、永久に誤読されることになる。

 

 

(備考)

(1)法律の関係で住所の定義が明確化したのは、地方から上京して大学に通う若者に、故郷の選挙への投票権があるとされた裁判結果。

東京の住まいが一時的なもので、故郷が「本拠地」であり、大学卒業後故郷に戻る予定であれば、故郷が住所であると認定してよろしい、という判決だった。

 

(2)高齢者の場合には「地元」かどうか聞くことは適切ではなく「出身地」を聞くのが正しい。ひとつには、現住所=本拠地であることが多く、今さら故郷とは繋がっていないからである。また、病気、介護等で本拠地から離れて暮らしているケースも少なくなく、住所の概念が非高齢者とはズレていることも念頭に置くべきだからである。

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