草原の四季

椎名夕声の短歌ブログ

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夏の歌

2022-12-12 17:00:01 | 和歌・短歌

春過ぎて夏来たるらし白栲の衣干したり天の香具山(万葉集巻1No.28持統天皇)

 

ひょっとしたら僕は画期的な新発見をしたかも知れない。

順を追って説明しよう。

持統天皇(じとうてんのう)は、万葉歌人として有名だが、この人はむしろ策略家として話題にのぼることが多い。

この歌は教科書にも載っているが、珍しく夏の到来を歌った叙景歌と説明されている。春、秋、冬の歌は多いが、夏の歌は珍しいということである。

白い衣を干しているのは、何らかの行事の準備かも知れないし、たまたま持統天皇の目にとまったということかも知れないが、いずれにせよ新緑の中に真っ白な布が干してあるのは、初夏らしくすがすがしい。

香具山と言っても、衣を干したのは神社付近と見られているが、694年12月に飛鳥の地から藤原宮へ遷都したため、初めて都から見えるようになっただろうことは、下図を見れば推測できる。

 

問題なのは上図に書いた年譜である。

686年に夫である天武天皇が死亡した時に、息子である草壁皇子を天皇としなかったのは、24歳と、当時としては若過ぎるとされたことのほかに、皇族中に天皇になり得る人物がおり、すんなりといかない状況だったからと言われている。

大津皇子もその1人だったが、謀反に問われ自死。この事件は持統の謀略の可能性がある。

そして草壁皇子が死亡するに至り、持統自身が天皇となることを決断する。孫はまだ6歳だから、しばらく持統天皇が中継ぎを務めなければならない。

この歌が作られた時期は明示されていないが、題詞と歌の内容と上記から695年から697年の間であるということが断定できる。

筑摩書房の「万葉集全解」には、詳細な補注を付しながらも、叙景歌であるという説明しか無いが、僕が思うに、状況証拠的には、697年晩春に孫を皇太子とし、秋には文武天皇として即位させる準備が整ったその初夏に、長く困難な任務を終えようとしているすがすがしさの、心象風景を描いたものと見て間違いないだろう。

 

最後に、お約束の夏つながりの拙歌。

 

クソ暑い今日蝶になり過ごさむも秋になったら死なねばならず(椎名夕声。短歌人2022年10月号)

コメント
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