春過ぎて夏来たるらし白栲の衣干したり天の香具山(万葉集巻1No.28持統天皇)
ひょっとしたら僕は画期的な新発見をしたかも知れない。
順を追って説明しよう。
持統天皇(じとうてんのう)は、万葉歌人として有名だが、この人はむしろ策略家として話題にのぼることが多い。
この歌は教科書にも載っているが、珍しく夏の到来を歌った叙景歌と説明されている。春、秋、冬の歌は多いが、夏の歌は珍しいということである。
白い衣を干しているのは、何らかの行事の準備かも知れないし、たまたま持統天皇の目にとまったということかも知れないが、いずれにせよ新緑の中に真っ白な布が干してあるのは、初夏らしくすがすがしい。
香具山と言っても、衣を干したのは神社付近と見られているが、694年12月に飛鳥の地から藤原宮へ遷都したため、初めて都から見えるようになっただろうことは、下図を見れば推測できる。
問題なのは上図に書いた年譜である。
686年に夫である天武天皇が死亡した時に、息子である草壁皇子を天皇としなかったのは、24歳と、当時としては若過ぎるとされたことのほかに、皇族中に天皇になり得る人物がおり、すんなりといかない状況だったからと言われている。
大津皇子もその1人だったが、謀反に問われ自死。この事件は持統の謀略の可能性がある。
そして草壁皇子が死亡するに至り、持統自身が天皇となることを決断する。孫はまだ6歳だから、しばらく持統天皇が中継ぎを務めなければならない。
この歌が作られた時期は明示されていないが、題詞と歌の内容と上記から695年から697年の間であるということが断定できる。
筑摩書房の「万葉集全解」には、詳細な補注を付しながらも、叙景歌であるという説明しか無いが、僕が思うに、状況証拠的には、697年晩春に孫を皇太子とし、秋には文武天皇として即位させる準備が整ったその初夏に、長く困難な任務を終えようとしているすがすがしさの、心象風景を描いたものと見て間違いないだろう。
最後に、お約束の夏つながりの拙歌。
クソ暑い今日蝶になり過ごさむも秋になったら死なねばならず(椎名夕声。短歌人2022年10月号)