数年前寺山修司未発表歌集と銘打って「月蝕書簡」という本が出たが、内容がつまらなかった。寺山本人の与り知らぬ企画だから、仕方がない。寺山は基本的に興行的にウケることしかやらない。僕の記憶のいちばん古い時期の寺山は国際的に評価される演劇人であり、テレビで哲学の命題をしゃべっている人だ。寺山が短歌を発表したこともあるということは既に知っており、書店で立ち読みしたことはあったが、全く興味を覚えなかった。後に「寺山の短歌は虚構であり、時として剽窃だ」と言われたことを知ったが、誰が見てもリアルじゃない短歌だと最初から思っていたので、意外な話でもなかった。
1か月くらいになるか、しばらく前にEテレで、美輪明宏が寺山との思い出を語る番組があり、そのなかで寺山が哲学の命題をしゃべっている映像を久しぶりに見て「こんな古い時代だったのか」と思った。
短歌研究5月号で井辻朱美が「寺山修司が(中略)編集する(中略)コーナーがあり、ここでも少女たちの投稿をうながしていた。(中略)筆名を使おうとも、本名は○○さんで、学生さんです、とか寺山は勝手に明かしてしまうのだった」と書いているが、個人情報という言葉すら一般には流布していなかった昔だ。
そら豆の殻一せいに鳴る夕母につながるわれのソネット(寺山修司)
塚本邦雄が「あなたの代表歌だね」と言ったら、嫌なことを言うといった顔をしたと伝えられている。寺山には珍しく、素のまま歌っているので、誰もが良い歌だと認めるだろう。そら豆の殻が鳴るとは、どういう情景なのかと、短歌研究6月号で各人が書いているが、皆いささか首を傾げているようだ。僕の理解では、ムシロに広げたそら豆の殻が、夕方すっかり乾燥し、風で鳴ったか、もしくは取り込みのために動かしたために鳴ったものだろうと思う。なんのために乾燥させるのかというと、たぶんカマドや風呂釜の焚き付けにするのだろう。家の近くに林があって、焚き付けに不自由していない場合には焼却処分するだろうが、いずれにせよいったん乾燥させておかないと、害虫が発生したり、腐敗して扱いに困ることとなるだろう。今のように、青々としたそら豆を塩茹でにして食べたのではなく、小豆と同様に乾燥させた豆を保存しておいて煮ものに使用しただろうから、農地を持たない貧しい家庭でも庭で栽培できる貴重な「食糧」だったのではないか。貧しい母子家庭の豊かな時間の映像が浮かぶ。
ところで、第3句の「夕」は「ユウベ」と読むのが正解で、特に異論はないだろうが、「夕べ」という表記をしなかった理由が不明だ。作者は「ユウ」と読んでいたのかもしれない。読者には関係ないことだが。
犬として扱うことをためらって座布団などをすすめる夕(椎名夕声。短歌人2013年6月号)
どのようにお読みになろうと、読者のご自由です。
(後日記)
青いうちに食べる種類は「青果種」で、完熟させるのは「種実種」だそうです。殻に実が入った状態で乾燥させるそうです。上記は、少し間違えていましたね。