草原の四季

椎名夕声の短歌ブログ

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買わなかった歌集歌書

2025-01-27 15:17:38 | 和歌・短歌

何十年も短歌を書いていたら、ずいぶん沢山の歌集を購入しただろうと思われても不思議はないが、たしかに沢山の歌集歌書を読んだけれど、買ったことがある著書となると下図にまとめた程度である。
1人や2人はもれているかも知れないが、一般的に「普通1冊以上は持っているだろう」ということになっている古今和歌集、石川啄木、高野公彦、穂村弘、松村正直、森本平、斉藤斎藤、永井祐、吉川宏志は1冊も買ったことがない。
穂村弘の著書は、まだ氏がさほどもてはやされていなかった頃に、地元の図書館で購入してもらったものを読んだ。
表現上参考になるとは思ったが、それ以上ではなかったということだ。
表現と言うと誤解を受けそうだから言っておくが、昔の言葉や方言で書いたら、通じない又は通じ難いという理由であり、表現を工夫しても内容が変わる訳ではない。表現は必ず平明でなければならず、平明じゃない短歌は認められない。


 

上図で三角印を付したのは、世の中でずいぶん話題になっているので、一応おさえておこうという動機から購入したもの。
若い頃は、高価な歌集を購入することに慎重だったけれど、最近は大人買いする場合もある。

 

歌集の批評を書くつもりがあれば、買う買わないは別として、どこかに引用された短歌について、原本を確認することなく書いてしまったらまずい。
短歌研究2023年10月号の小池光特集について、mixi日記に次のように書いたことがある。

 

短歌研究10月号の企画の執筆陣に対して懸念があることを記しておく。
本稿で紹介した5人中堂園を除く4人は「日々の思い出」から作品を引用している。紹介しなかった寺井龍哉、相田奈緒、花笠海月も「日々の思い出」から引用している。しかし誰ひとりとして、日付けを付していない。「日々の思い出」は日付けを付した歌群で構成された歌集と言われているので、7人が引用した作品群にひとつも日付けが付してないのは、意図的に外した可能性があるのではないか?
なお、堂園も8月号では「日々の思い出」から引用し、日付けを付していない。偶然日付けの無い歌だったのかも知れないが疑問が残る。
日付けは詞書き同様作品の一部だから、外して引用するのは良くない。

 

上記mixi日記を書いた時点では、小池光の「日々の思い出」を僕は読んでなかったが、その後読んでみたら、やはり原本には日付が付してあった。

その点、僕はちゃんとした評論を書くつもりが無いので、このブログなどで、どこかから引用した短歌について、勝手なことを書いている訳である。

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