草原の四季

椎名夕声の短歌ブログ

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独り言

2019-01-13 17:40:39 | 和歌・短歌

万葉集巻第17歌番号3969の私訓について多田一臣氏へお知らせしてみたが、ご返事その他の反応に接することが出来なかった。

万葉集巻第3歌番号249の注に同氏が書いていることも、以前から首をかしげている。

 

<原文>

三津埼 浪矣恐 隠江乃 舟公 宣奴嶋尓

 

<結句多田氏の訓>

宣(の)らす野島(ぬしま)に

 

<下段注に「野島ー」と書かれた注の後段>

二五〇、二五一歌は、原文「野嶋」と表記。ここは原文「奴嶋」で、「ヌシマ」としか訓めず、不審が残る。

 

何を不審に思っているのか、何度読んでも理解できない。

「ノシマ」じゃなく「ヌシマ」では正調ではないということだろうか?

斉藤茂吉の「万葉秀歌」を見ると「野」には悉く「ヌ」と振り仮名がついている。それはそれでひとつの見識であろうから、もう少し説明してくれないと、多田氏の考えがわからない。

それとも、野島とは別の島である可能性のことだろうか、「野島ー」の項ではなく「船なる君ー」の項で、その可能性に触れていた誤写の可能性のことだろうか?少なくとも、連作の流れからすると野島とは別の島である可能性はほとんど無いだろう。

まるで、多田氏の独り言を読んでいるようだ。

 

被災地の応援のため食べにゆくシラス丼さぞおいしかろうよ(椎名夕声 短歌人2014年1月号)

 

この歌を「世の中の偽善を抉った見事な一首」と評した人がいた。作者には何かを抉る意図は全く無いが、そういうたぐいの誤読はある程度覚悟しており、特別に申し上げることは無いが、「独り言つながり」ということで、当ブログの基本コンセプトに合致したので、独り言として書いておきます。

この歌は読んだ人の半分くらいは誤読するかもしれないと踏んだが、最低3割以上は誤読しないだろうから問題ないと判断した。

なぜ、3割以上は誤読しないかと言えば、書いてある内容も情景もほとんどの人が得心のゆくものであり、誤読の原因は「さぞ」や「よ」の語調によってもたらされるに過ぎないからだ。

つまり、誤読する方に正当性が無く、僕は単に諦めているだけ。僕も好き好んで誤読されやすい表現を選んでいるのではない。なるべく誤読されにくい表現をしながらも、読者側の問題で誤読されることは、予想しつつ諦めているのである。読者に媚びたり、安っぽい共感を期待することは、僕が最も嫌いなことである。

コメント
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