ああ和子悪かったなあとこゑに出て部屋の真ん中にわが立ち尽くす(小池光)
小池光は博識で知られているが、知性だけでなく感情もよく動いている人という印象を持っている。詩は感性で書くものだから、詩人の感情が動くのは当たり前ではないかと思う人もいるだろうが、感情だけで文学が成り立つことはまれである。
この歌を最初に見たときに、僕は違和感を感じた。
小池光には、かつて次の歌もあった。
十月二十二日(水)
佐野朋子のばかころしたろと思ひつつ教室へ行きしが佐野朋子をらず
東郷雄二は、インターネット上のコラム「今週の短歌」2003年11月17日付けの固有名についての記事で、この歌について「佐野朋子という固有名はそのささいな日常性を前景化する記号として働いている」と言っている。なお、2~3句については「多忙な日常を送る高校教師が毎日のように感じる怒りやストレスの表現」であり、「佐野朋子はもちろん架空の人名」であると。
もし佐野朋子が教室にいたとしたら、最低でも頭を締め付けられる情景が、僕には想像できる。作中主体を生徒と見た場合は、さらに危険な情景が想像されるが、佐野朋子は不在だったので何も起きない。きわどいバランスの上に成り立った歌だ。
僕は小池光の亡くなった奥さんの名前を知らないが、佐野朋子の場合と異なり、読者は実名と受け止めるに違いない。和子は、ほとんどの場合長女に付けられ、属性が強いので、架空の人名としては避ける名前だからだ。
歌の内容もだが、ここまで素に、ありのままに歌ってしまっていいのだろうか。小池光ファンからは強い共感を得るだろうし、そもそも何をどのように歌うかは作者の自由だが、悲しさが強いがゆえに、小池光らしいバランス感覚を失っているのではないだろうかと、戸惑いを覚える。
ところで、この歌の結句は「われ立ち尽くす」と書いても意味は同じだが印象がだいぶ異なる。1音入れ替わっただけで、改まった印象になっている。古風な言い回しの効果だ。
最後に結句の1音が改まった、文章語的なものに入れ替わった拙歌。(こうして、他者の歌との、多くは些細なつながりを軸に書くのが、このブログの唯一のコンセプト)
数時間前だ9・11の。犬が死にかけ獣医院にあり(椎名夕声。短歌人2016年10月号)
アメリカ同時多発テロの前後1日間という設定で、9~11月号の短歌人に月例作品として送稿したなかの1首。11月号は現時点ではボツの可能性もあるが。
(後日記)
2017年8月号の短歌研究によると、小池氏の奥さんの戒名は「忍篤妙和信女」とのこと。
それを見て、僕は自分が感じた違和感を十分表現できていなかったことに気づいた。
2音の人名も多い。定型詩では悩ましいところだ。
恵美という名前の人で、手紙には恵美子と書いている人もいたが、相手が本名を知っているから、お茶目と思ってもらえるが、不特定多数向けだったら偽名になってしまい不都合となる。
短歌は読者を想定して書くものだと思っている僕としては、事実をそのまま書くより、読者が自分に引き寄せて読めるよう、工夫したほうがいいと思う。
あくまでも一例として示すと「ああ お前」なら、僕には違和感がない。
(さらに後日記)
愛犬家のはしくれなのに、とんだミスをした。
犬が死にかけた理由は、連作には書いたが、短歌人を読んでいない人のために書くべきだった。
人畜無害と書いてある除草剤が空き地に撒かれたのの気化したやつを吸って(獣医の見立て)、眼球が横向きに往復していた。
優秀な獣医で、特効薬の点滴により完全復帰したが、手遅れのケースもあるので覚悟するよう言われた。
隣家に散布したのに死んだ犬もいると教えられた。
余談だが、自動車の不凍液(クーラント)でも、犬が死ぬそうだ。
道路脇などに廃棄すると、甘いので犬が舐めてしまう。
即効性の毒ではなく、後日死ぬそうだ。
あと、犬どうし出会ったときに、尻尾を振らない犬は予告無く噛むので要注意。
(2020年11月1日記)
以前から思っていたことだが、記事にするのにちょうどよい資料を見つけたので、この際記しておく。
「佐野朋子の歌」の作中主体についてだが、僕の記憶によれば最初同級生と読んでいたが、作者が教師であることがわかり、ああそうなのかと腑に落ちた。そう言われてみれば教師と読んだ方がしっくりするという訳である。
ただ、この歌について何人もの識者が書いた文で、判で押したように教師と断定していることには違和感がある。
僕は木曽とも中津川とも全くかかわりが無いが、日置の述べていることには「当然そうですね」と同意する。
そもそも短歌が万民に同じ読み方をされるということは少ないのである。
僕の場合は、このブログにも書いたことがあるが、3割の読者に作者と同じ読みをしてもらえばじゅうぶんだと思っている。
じゃあ、2割ならどうなんだと言えば、それでも変える気は無いね。
1割でも同じ。内容を犠牲にしてまで改作する気は無い。
まあ、分かりにくい歌は残らないだろうとは思うけど。
(2022年11月28日に記す)
今日届いた短歌人誌12月号に発表された小池光の作品に、久しぶりに佐野朋子が登場した。
還暦を過ぎたるならむ佐野朋子おもひみむとておもひみがたし
「殺したろ」の歌には1986年10月22日と日付けが入っているそうなので、佐野朋子当時18歳とすれば現在54歳ということになる。この歌を最初に読んだ時に、作中主体も高校生だろうと僕は思ったが、ネットを見ていると、同じように読んだ人がけっこういる。
しかし、今回の新作によって、実在した教え子がモデルで、作中主体が教師である確率は90%以上に上がったと言えよう。