草原の四季

椎名夕声の短歌ブログ

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5周年記念は鳥居女史

2017-10-21 16:45:03 | 和歌・短歌

青年期までに大きな不幸を経験しなかった人は文学では大成しない、と言われているが、鳥居は思春期に大きな不幸を経験した新進気鋭の歌人だ。(苗字だけ書いてファーストネームを省略した訳ではない。鳥居でフルネーム。Wikipediaでは「鳥居(歌人)」となっている。)

このブログの5年間を振り返って最も愉快だったのは2015年12月09日の「万葉大誤読」だ。2015年時点では全くの私見というか自信があって書いたものではなかったが、その後のどんでん返しが予想外で素晴らしく、すっかり自信がついたのだった。

さて、記念すべき5周年の記事は、短歌研究11月号の鳥居の「岸辺の夢」一連について書く。
著作権法に抵触しないようにという意味もあり、半数以下の歌について感想を書くが、まずタイトルについて。
岸辺の意味は、広義では広い水面と陸との境い目のあたりということ。水面は海の場合と内水面(川や湖)の場合がある。狭義では、水があろうがなかろうが、崖(高さは低くてもよい)のあたりということで、砂浜は含まない。
この一連では、鷗が登場し、海岸都市が登場するので、海の港だろうか。しかし、夢関係だからあまり限定しないほうが良い。

雨を見てゐたからわかるしとやかにきみが話に混ぜし嘘など

古語と現代語のちゃんぽんは、この歌では傷にはなっていないが、後で述べるように、無自覚に続けると良くない。
「しとやかに」という意味は、エレガントということだから、面白い表現だと思う。

愛でられてゐながら消えてゆくことの雪うさぎの瞳 路に残りぬ

路に残ったのは何だろう?残像だろうか?
愛されているのに消えてゆく、というのは何か寓意があるような、ないような。

月面の旧居留区をひとりゆく心地に深夜二時の帰宅を

旧居留区というのは旧居留地という意味だろう。居留地と異なり、過去居留地だった場所なので、史跡ということになる。一連に「青き市電」が登場し、江ノ電を強く連想するので、旧居留地は横浜のそれかと思うが、なにせ夢関係だから断定は控える。
末尾の「を」に深い意味はなさそうだ。「帰宅をした」という意味だろう。
月面の旧居留区という表現が詩的。

周回の羽さびしけれひと鳴きののち水盤にをさまる鷗

鷗は餌を求めて同じ場所を周回するので、それを寂しいというのは人間の勝手な思いなのだが、確かに寂しい感じがするし、必死に生きている様が人間にとって印象深い。
若山牧水の「白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよう」の本歌取りになっており、「水盤にをさまる」という納め方も秀逸。
しかし、ここで「けれ」というのは、正直違和感がある。
当ブログ2013年01月17日の「酒は」に書いたが、「けれ」は強い詠嘆を表わす語であり、いわば決めゼリフだ。
ここで決めゼリフを使うのか?僕だったら使わないなあ。

僕が使った「けれ」は、こんな感じ。

吹雪く夜の千曲川こそ悲しけれ太くうねりて消えゆくばかり(椎名夕声。短歌人2013年1月号)

(後日記)

半数以下の歌というくだりは、別に法的理論ではないので念のために書いておきます。

例えば3首連作であれば、通常全部の歌を引用する必要がある。

ただ、批評とは名ばかりで無断転載になっては問題なので、あらゆる角度から見ても許容されるという意味で言ったのです。

 

女史の歌集「キリンの子」で印象深かった歌を紹介しておきます。

 

永遠に泣いている子がそこにいる「ドアにちゅうい」の指先腫らし

祈るとき眼閉じるように蝶たちの水辺に翅をあわせるしぐさ

 

(2024年9月20日記す)

この記事にコメントしてくれた鳥居さんは多分本物だと思ったが、7年経って下図のとおり確認できました。

 

コメント (2)
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