草原の四季

椎名夕声の短歌ブログ

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靖国神社

2014-03-12 18:37:23 | 和歌・短歌

言出しは誰が言にあるか小山田の苗代水の中淀にして(紀女郎。万葉集巻4。№776)

最初にあなたが言い寄ったくせに関係を淀ませて、と相手の男(大伴家持)を責める歌。家持が最初の妻を失って数年後、二十代なかばの頃である。山間部では水が冷たいので、いったん淀ませて温度を上げてから田の苗代へ引き込むのが常識らしい。古代においては万民が現場のことを理解していたことがわかる。
森羅万象に向き合う姿勢が「上から目線」でないことは良いことだが、だからと言って八百万の神の思想が明治時代の廃仏毀釈まで行くと、イスラム原理主義過激派と異なるところはない。第二次大戦前日本国民のほとんどが神社信仰をしていたというのは、統計をきちんと取ればわかるが、嘘っぱちだろう。生き残った人間が少ないので、今後統計を取るのは不可能かもしれない。この短絡思考は日本という村への帰属意識、つまりナショナリズムと相まって、人間が持っている残忍性を正当化するために利用される。
どんな人間にも、思いやりの心と残忍性とふたつが備わっているという。紀元前十万年前くらいには、ホモ・サピエンス以外にも知能が高い猿人が存在したそうだが、ホモ・サピエンスが繁栄した理由で最も大きなものは、この思いやりの心だという。具体的には、ギブアンドテイクの無い老人に食料を分ける行動をした証拠があるという。


上の文では、人間には本来的に残忍性が備わっているとも書いてあります。
おそらく学問的に定説化しつつあるだろうと思いますが、人類の祖先は他の猿人を滅ぼして繁栄したはずです。猿人の戦国時代があったろうと思います。勝ち残った者に思いやりの心があり、滅びた者にはなかったと推測されることから、思いやりの心が大切と言われるのです。冷徹な言い方をすると、滅びたくなければ愛に命をかけよということになります。
なお、原文では初句・2句は「事出之者 誰言尓有鹿」


大本営発表に次ぎはずむ楽あちらこちらの村に響くよ(椎名夕声。短歌人2014年3月号)

歴代首相が靖国神社で儀式をやりたがるのは、第二次大戦の戦死者に生前「靖国神社へ祀る」と約束したからだということになっています。本当の理由はほかにあるようですが、建前上はそのように言われています。しかし、戦死者から言わせれば「靖国神社へ祀るから有り難く思え、と命令されたから肯っただけで、本当は霊魂は自分の村で眠りたい」ということではないだろうか。
役所がバスを手配し、にぎにぎしく「靖国神社へ詣でる集い」が挙行される光景を見たことがある人も多いだろうが、公費からの玉串料の奉納が違憲と断じられた一方で、公費を伴わない行政の関与が問題視されないまま来年戦後七十年となり、第二次大戦の悲惨さの記憶だけはますます風化してゆく。

 

(2018年に記す)

NHKの番組「歴史秘話ヒストリア」によると、1937年に興福寺と春日大社との神仏習合が復活したとのこと。1937年は日中戦争(支那事変)が始まった年だ。

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