そして今日胃カメラを待つ肉体は卒寿にちかくおびえ止まざる(岡井隆。短歌研究2018年1月号)
アルプスの頂(いただき)の絵をみるごとき寂しき心我に絶えざり(中原中也)
中原中也は1907年に生まれ、1937年(昭和12年)に、突然発病した病気で、たった17日間病床にあった挙句、30歳5か月の若さで永眠した。
岡井隆は1928年に生まれ、生きているだろうから今日90歳になったはずである。
他人のことを軽々に断定することは避けるが、岡井隆は自らの死後の奥さんを気遣い、主治医の診断におびえているのだと思う。
(詞書)消化器科医の説明をきく。
結論はもちこされつつきびしかり妻と並びてききつつゐたり(岡井隆。同上)
胃癌の可能性が高く、長く内科医師をしていた作者には病状が深刻と判断されるようだ。
作者がサムライなら、死ぬのは怖くないと言うだろうし、そういう人だと勝手に思っていたので、実は少し驚いたが、歌人が皆サムライであるはずもない。
中原の歌については、大岡信が実に的確な解説をしている。
(引用はじめ)
石川啄木の影響がかなり明らかにみられるが、早熟な中学生ならこの程度のものは作れるだろうという感じの作である。しかし、後年の中原の詩にふんだんにみられる、一種皮肉で、それでいて真率に生活に直面している魂の、おどけや悲哀、淡いあこがれや故しらぬ「アルプスの頂の絵」風のものへの郷愁は、はっきりと姿をあらわしている。(中略)詩的な技巧において、中原はきわめてすぐれた力をもっていた(たとえばかれの詩の数々の比喩のみごとさはその一例である)。けれども、構えて巧みな詩をつくりあげるとか、ある目標をたててそこに技巧的に接近しようとかいう態度は、かれのものではなかった。
(中略)
彼(筆者注:中原のこと)は泰子への愛によって、また彼女の拒絶によって、深く傷つき、苦しんだかもしれないが、彼の詩は、いわば愛欲を超えて一種の慈愛の世界へと入りこんでいるところがある。
(引用終わり)
中原の魅力は、聖と俗、というより聖と悪魔の同居である。友人としては嫌な奴だったと言われるが、作品はあくまでもHOLYだ。