短歌の新人賞に、ほとんど応募しない理由は明確だ。作品が出来たら、可及的速やかに発表したいからである。そして、僕には月刊誌に発表する環境があるので、間に合っていますという訳である。
しかし、10~20年に1回くらい良い作品が沢山出来た時に、ちょうど新人賞の応募期限が近いという、13年蝉と17年蝉との同時発生的な偶然がある。
略歌歴を添付することになっており、提出した後で少し気になった。歌集刊行について書かなかったが、歌集刊行は歌歴だろうかと。
書き下ろしの歌集を刊行する人は、ほぼいない。通常は発表済みの作品から抜粋し、構成を整えて歌集とする。ゆえに、歌集刊行は人生のイベントではあるが、取り立てて歌歴と言うほどの出来事では無い。
もうひとつ気になったのは、人生で初めて短歌を意識的に作った動機である。こちらは明らかに歌歴だが、一般的に略歌歴には書かれない。
でも、それはたいした動機じゃないケースがほとんどだから、と言えるだろう。
僕の場合、中原中也にシンパシーを感じたゆえに、中也の出発点であるところの短歌を書いたのである。
そのシンパシーの中身だが、短歌の真髄は、認識であるということだ。
このブログの第1回に書いた中で「真」つまり真理ということである。真が無くて善や美があっても何になろうか。
江藤淳の「作家は行動する」という本にも書いてあったが、読者は作家の認識を追体験するということだ。
四の五の言わず、次回からは両方とも略歌歴に加えておこう。
しかし、選考委員会に気に入られようという気持ちはマイナス100%だから、本賞受賞はないだろう。次席がもらえれば有難い。
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